モクゲキ
ここで回想入ります
風間美希は中学生の頃から俗に言うマセガキではあったのだが、同学年の男子からモテル訳では無かった。コロンと太っていて胸も発達が早く身体に更なるボリュームを感じさせていた。手は赤ん坊みたいに丸くて関節には輪ゴムの跡のような線が食い込んでいる。それとは対照的に、斎藤千鶴は痩せ型でいつまでも容姿は小学校の高学年時とあまり変わらずに、振る舞いはぼうっとした子といった感じだった。
ぼうっとした感じの千鶴は実際に、風間さんは刺激的だなあと男の子の話とちょっとえっちな話をする風間美希を傍観していた。いつの間にかそれが友達関係になっていた。後で解ったことだが風間美希の話すことは他の同級生の女子達にはあまり受け入れられていないようだった。
そこで、ぼうっとした千鶴に自分の話を聞いてもらうというのが風間美希の日課になっていた。
そんなある日の夏。その頃昼休みにクラスメイトの間でバレーボールをするのがブームだったことから教室には誰も居なかった。身長はすらりと高かったものの、ぼうっとした千鶴と胸と身体が邪魔な美希はそのブームには乗り切れない。3階の教室の窓からグランドをのぞくように身体をよりかかせると、風間美希は言った。
「ねえ、千鶴ちゃんはキスってどんな感じすると思う?」
中休みにクラスのリーダ的な存在の松本さんが絶対に後で後悔するような大きな声でキスの味について話していたことの続きが始まったと千鶴は思った。
「ええ?そんなのわかんないよう」
「あたしさあ、姉ちゃんに聞いたらね、味なんてその時食べた時のものの味がするから焼肉の味しか知らないとか、夢のないこと言うんだよね」
風間美希は可笑しそうに、3つ年上の姉の話をした。千鶴は、この姉の影響で美希の話はえげつないものになっているらしいとわかった。
「焼肉!?なんで?」
「姉ちゃんの彼氏、社会人なんだって。学生はガキでつまんないんだってさ。お金持ってないし」
「ふうん、それでデートで焼肉を食べることが多いってわけ」と千鶴は興味なさげに言ったつもりだった。
「ねえ、してみたくない?」
「焼肉デート?」千鶴は誤魔化したのではなく本気でそう思って言った。焼肉は大好きだが友達同士で行くには高すぎる。千鶴が、お小遣いの残高を気にかけようとした瞬間だった。
「違うよ!キスよキス、ほらほらここに!」
とても軽く、ふざけ半分に尖らせた唇に指をさして千鶴に身体を近づけて来た。千鶴は少し戸惑ったが、相手が男で無いのなら深い意味にならないような気がした。だからこそ、その練習台として千鶴を選んでいるのだ。それなら、千鶴だって今後の恋の為に練習したっていいはずだ。
何故か、好きな男の人の為に取っておこうとかそういう発想は無かった。
「じゃあ、練習ってことで」
難しいのだろうか?と軽い不安が過ると、妙におかしさがこみ上げて吹き出しそうになった。よく見ると風間美希も笑いを堪えてるような顔をしている。この遊びは悪ふざけが過ぎるのかも知れない。千鶴は一瞬でそれを終わらせた。一秒だけ自分の唇を相手の唇に乗せるだけだ。味なんてしない。だが、ハッキリ言ってバレーボールなんかよりよっぽど簡単で達成感があった。
「あー!本当にした!アハハ!呆気無い!ウフフフ!」
「ハイ!味なし!!……ちょっと、考えすぎだったんじゃない?みんなさあ」
千鶴は窓の外を見た。青空の下で実に健康的に円陣をくんだ中に真っ白なバレーボールが飛んでいる。一応は人眼を気にしては見たがバレーボールに夢中だ。その事が何だかダサイように思えてくる。
「アハハ!笑ったー!姉ちゃんに言ってやるよ、大したことないって、フフフ」そう言いながらオバサンみたいに千鶴の肩を叩いて笑った。
「言ってやんな?あー、でもあんまり言わない方がいいかなー彼氏じゃないし」
「勝ち誇られたら言ってやるよ、ウフフ……でも、まあ感覚はわかって良かったんじゃない?あんたも?」
「うん、まあねー」
風間美希と千鶴がふざけながらお互いをねぎらっていると、後ろで人の気配がした。二人は、グランドの方ばかり向いていて反対側の、教室と廊下をしばらく確認していなかった。振り返ると、風紀委員の谷本乃莉が小説の文庫本を片手に立ち尽くしていた。谷本乃莉も、またバレーボール不参加者だった。彼女の場合は典型的な主要5教科の成績はいいが体育が全くダメといったタイプだった。
「谷本さん、見た?」と風間美希は言った。
「……見たよ……」その声は、極小だった。毎日きっちりと一本に後ろで束ねた髪型で見るからに純粋、純潔そうな谷本乃莉にはふざけてキスするなんて行為は程遠そうだった。
「アハハ!!バッカみたいでしょ、谷本さんはちゃんとした女の子になってよね!」
風間美希は、明るく言い放つとまたオバサンみたいに肩から腕にかけてバシっと叩いた。谷本乃莉の身体はそれで折れてしまいそうだった。
「い……痛い!」
「ほら、バカ!加減ぐらいしなよ!」千鶴は言った。
「エヘヘ!ゴメン……」
「いいよ、面白かったから」谷本乃莉は、はにかみながら言った。
以降、何となく3人で示し合わせて、学校生活を送るようになった。キスの話は、時々笑い話として登場したが、ソレ以上でも以下でもなかった。そして、壊滅的に悪かった千鶴の成績はキノリと親しくなるごとに良くなって行き、同じ高校に通うこともできた。風間美希は親に姉と同じ高校へと進学させられ別れ別れになった。だが、もともと千鶴の実家同士がそう遠くない距離にあった為にしょっちゅう最寄りの駅で顔を合わせることとなり、高校生活が別になったからといって風間美希との交流が消滅することは無かったのである。