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続く物語

作者: つき

 どうして別れはこんなにも悲しいのだろう。

 私は、体育館に掲げられた校章を見つめて、遠い日のことを思い返していた。

 いつだって笑っていた。辛いこともたくさんあったけれど、記憶の中の皆はいつも、優しい笑みを浮かべていた。

 ふと気付くと、涙が頬を伝っていくのが分かった。瞬きするたびに大粒の涙が目からこぼれ、床にシミを作っていく。


 今日は、卒業の日。


 三年間通ってきた中学を卒業すると同時に、私は六年越しの片思いも卒業しようと決めていた。

 涙でかすれた歌声が体育館に響き、いつもは意地っ張りな男子までもが目を赤くしている。その姿が胸を打ち、私の目からははまだ涙をこぼれ落ちていってしまう。

 毎日が輝いていたことに、今更気付く。最後の日になってやっと、みんなと一緒でよかったと、心から思えた。

 どうしてもっと早く気付けなかったんだろう。

 後悔ばかりを頭を過ぎってしまう。

 そして、私の頭の中に巣食う後悔の大半は彼に関することだった。


 山岡トオル。


 普段はあまり笑わない彼だけど、笑ったときにできるえくぼを見つけた瞬間は、いつだって胸が高鳴った。でも、そんなことはみんな知っていることだった。彼はスポーツも器用にこなし、勉強もできた。顔は割りと整っている方で、もてない方がおかしいことだった。

 私の友達も、彼に恋をしていた。

 バカだ。私はとんでもないバカだった。

 友達に遠慮して、彼を避けてばかりいた。

 小学校のときもそうだ。

 私のことをからかってくる彼に笑顔一つ返さずに拒絶した。それでも彼は気にしたそぶりを見せず、私をまたからかっていたけれど。

 それももう遠い想い出だ。

 中学に入学してからは彼とまともに会話なんてしていない。でも二年生のときに同じクラスになってからは、ときたま彼は私をからかってきた。その度に私の心がどれだけ大きく揺れ動いていたか、彼はきっと知らない。

 できるなら諦めたかった。

 彼への恋を忘れ去りたかった。

 そして、きっとその願いは近いうちに叶うだろう。

 私と彼は別々の高校に行くことになっている。もう会うこともないだろう。同窓会で会うかもしれないが、それはもう遠い未来の話だ。その頃には、彼のことを良い思い出にできているだろう。ううん、できていないと困る。


 私は今日、彼から卒業する。


 別れの歌の最後のコーラスが終わり、体育館は湿気の含んだ沈黙で満たされた。

 私は次から次へと零れてくる涙を必死に拭いた。今まで学校で泣いたことなんて一度くらいしかなかった。それなのに今、私は号泣している。できることなら声をあげて泣き出したかった。

 喉の奥が焼けるように熱い。泣いては駄目だと思っていても、頭の中に思い描くのはみんなとの記憶ばかりだ。その記憶の中には、もちろん彼という存在がある。

 修学旅行で私が腕時計を外せず困っていると、いつものようにからかいながらも時計を外してくれた彼。

 ベランダで二人きりになった瞬間、私のことを小学校のときのあだ名で呼んだ彼。

 些細な出来事ばかりを私は覚えていた。

 彼との記憶は私にとっては宝物で、どんな小さなことでも忘れないようにしていたのだ。

 給食のときの彼。掃除のときの彼。さまざまな彼の姿が私の頭に思い浮かんでは消えていく。

 ずっと、好きだったよ。

 伝えることのできない思いを、私は退場と共に胸にそっとしまった。


 卒業式のあとの教室はいつもよりも騒がしく、空気はどこか湿っていた。

 本当に終わりなんだねと口々に誰かが呟き、担任からの別れの言葉にまた泣かされる。

 私も涙をこぼしながら、そっと気付かれないように彼へと視線を送った。彼はいつもと同じように真っ直ぐ前を見ている。残念ながら涙はこぼしていないようだ。

 私は誰かに気付かれないうちにすぐに視線をそらす。

 この恋は秘密。

 誰も私が彼のことを好きだと言う事を知らない。

 私は鞄の中のカメラを膝に置いた。記念にいろいろと撮ってはいるけれど、まだ彼とは撮れていない。

 撮りたい、とは思う。

 最後の思い出に彼と並んで写真に写りたいと思う。

 でも、絶対できない。 

 私にはそんな勇気はないのだ。

 膝の上のカメラに向かってため息をつく。結局、女友達ばかり写してしまうことになるだろうカメラ。

 このどうしようもないジレンマもいつかは、優しい記憶になるのだろうか。

 この学校で過ごしてきた三年間と同じように、素敵な想い出になってくれるだろうか。



 教室でのホームルームも終わり、寄せ書きも書き終わった。

 もうクラスの大半は名残惜しみながらも帰ってしまっていた。私はお世話になった先生に挨拶するために職員室へ一人で向かった。私は恥ずかしげもなく泣きじゃくりながら先生と抱擁を交わす。

 また遊びに来ますからね、と約束もして。

 人がほとんどいなくなった学校を歩きながら、帰るために自転車置き場へと向かう。

 自転車置き場へ向かうまでの階段は長く、いつもなら億劫だった。それなのに今は、もっと長く続いていけばいいとさえ願ってしまう。最後の一段を踏み終えた後、私は校舎をもう一度見上げた。

 いつか。

 その単語がぽんと頭に浮かび上がってくる。

 そう、いつか。

 いつかまた、きっと。

 その後に続く言葉は思い浮かべようとしたとき、自転車置き場から声が聞こえた。

 私はやましいことなど何もないはずなのに、つい物陰に身を潜めてしまう。何故なら、声の主は彼だったからだ。そして彼の目の前には私の友達がいる。

「山ちゃん、最後だから言わせて」

 彼女が次に言う言葉はバカでも予想できた。

 まさか、そんな。

 私は目の前が真っ白になる。

 どうして最後の日に限って、好きな人が告白されるシーンを見なくちゃいけないのか。

 神様は意地悪だ。

「私、ずっと山ちゃんが好きだった……!」

 好き。

 それは、私が彼に言いたかった言葉だ。

 言いたくて伝えたくてたまらなかったのに、結局、今日まで言えなかった言葉だ。

 彼は、彼はなんて答えるのだろう。OKしてしまうのだろうか。そして彼女と恋人になってしまうのだろうか。


 嫌だ。


 そんなの嫌だ。

 でも、私にはどうすることもできない。

 ただこうやって物陰から彼を見つめることしか出来ないのだ。

「俺……」

 彼の低すぎず高すぎない声が自転車置き場に響く。

 私は早鐘のように鳴り続ける鼓動を抑えるために、胸を強く握り締めた。緊張で額に汗が浮かんでくる。

 やだ、聞きたくない。だけど嫌でも私の耳は彼の声を拾ってしまう。

「俺、他に好きな人いるから、だから、ごめん」

「そっか……」

 友達がふられてしまったと言うのに、私は安堵のため息をついてしまった。私は最低な奴だ。それでも、彼が告白を断ってくれたのは嬉しかった。

 告白した友だちは彼に別れを告げて行ってしまった。彼は、突っ立ったまま動かない。

「おい、吉岡。スカートさっきからはみ出てるぞ」

「へ?」

 突然彼の口から私の名前が出てきて、驚きで変な声が出てしまう。

 まさか、隠れていたこと最初からばれていたのだろうか。

「盗み聞きなんて趣味悪いぞ」

 いつものからかいを含んだ声。

 私は物陰から気まずそうに顔を覗かせた。

「あ、ごめん……」

「まあ、別にいいけど。吉岡は誰かに告白とかしてた訳? だからこんなに帰るの遅いのか?」

「はあ? んな訳ないでしょ。先生たちと最後に熱い抱擁を交わしてたの」

「それはそれは、先生も大変なことで」

「どう言う意味よ」

「自分で考えろ」

「はあ!?」

 どうして最後のときまで、彼の前で可愛く振舞えないのだろう。

 口から出て行く言葉は全て可愛らしいとは程遠い言葉ばかり。

 私はそのことに気付き、すこし口を閉ざす。

「……なんか、吉岡と学校でこんな風に話すのも、これが最後なんだな」

「な、何急に湿っぽいこと言い出すのよ」

「あー、なんかお前とは小学校からの付き合いだろ? でも高校からは別々だから、なんか変な感じだなーと思って」

「それは、そうかもしれないけど」

「俺さ、お前に言いたいことがあって、残ってたんだ」

「……へ?」

「今までいろいろとからかってばかり来たけど……今まで、ありがとな」

 そう言って、彼はニッコリと笑った。あの、いつものえくぼを浮かべて。

 彼からお礼を言われた。そのことは分かっている。でも、何故お礼を言われたのかが分からない。私は彼が困っているときに何も手助けなんてしてない。いつも見守ることしかできなかったからだ。

「じゃ、それだけだから、またな」

 私が何も言葉を返さないうちに、彼は自転車に乗って風のように私の目の前を駆けて行った。

 このままじゃ終われない。何か言わなくてはいけない。私は、滅多に呼ぶことのない彼の名前を、無我夢中で叫んだ。

「っ、山岡……!!」

 自転車の、速度が緩まる。

 私は人生で一番大きな声を彼に向かって捧げた。

「またねっ!!」

 好き、なんて言えなかった。でも、彼はさよならではなく、またねと言ってくれた。だから、私もせめてこれだけは伝えたかったのだ。

 いつか、いつかまたきっと、会えるから。

 卒業。

 それは確かに逃れられない別れ。だけど、永遠の別れではないから。

 彼は私の声に応えるように右手をあげて、自転車で坂道を下っていった。


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