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【第一章完結】その魔法、合法ですか? ―召喚事故から始まる未整備魔法立法補助録―  作者: 榎本モネ
第1条 召喚事故における責任の所在

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第8項 名前が載る


 執務室に入ると、いつもと同じ匂いがした。紙とインクと、微かに残る薬草の香り。それだけで、めぐるは少し肩の力が抜ける。昨夜のやり取りを思い返す余裕が、ようやくできた。


「……あの」


 書類に目を落としたままのレオンに、声をかける。


「会合って、いつなんですか」


 ペン先が、止まった。


「来週末だ」

「……来週?」


 思わず声が裏返る。


「そんな急に……」


 レオンは顔を上げないまま、淡々と言った。


「急ではない。日程自体は、三か月前には決まっている」

「え」

「まあ、初回は顔合わせと方向性の相談になる」


 あまりに当然のような口調に、めぐるは一瞬、言葉を失った。三か月前。その頃の自分は、ここにすらいなかった。


「……じゃあ、それって」


 めぐるは言いかけて、やめた。自分が口を挟める話ではないと、頭では分かっている。それでも、胸の奥に小さな引っかかりが残った。

 レオンはようやく視線を上げ、めぐるを見る。


「同席の件だが」


 来た、とめぐるは背筋を伸ばす。


「正式な発言権はない。記録も、お前名義では残らない」

「はい」

「質問された場合のみ、答えろ。余計な補足は不要だ」

「……分かりました」


 ひとつひとつが、線を引くような言葉だった。だが、その線の引き方が、どこか慎重すぎる。


「ただ」


 レオンは言葉を区切る。


「現場感覚を問われる可能性は高い。その点では、お前の視点は有用だ」


 評価とも、免責とも取れる言い回しだった。めぐるは、少しだけ考えてから答えた。


「私、会合の空気とか、あまり分かってないですけど」

「だからだ」


 即答だった。


「分かっていない者がどう見るかは、時に重要になる」


 めぐるは、それ以上何も言えなかった。期待されているのかどうか。それを測る言葉は、どこにもなかった。

 話が途切れたところで、白玉が足元を横切った。机の脚に前足をかけ、よじ登ろうとして――滑った。

 ずる、と短い音がする。

 レオンは無言で立ち上がり、白玉を抱き上げた。あまりにも自然な動作で、めぐるは一瞬、目を瞬かせる。


「……すみません」


 なぜ謝ったのか、自分でも分からない。


「何がだ」

「いえ……」


 言葉が続かない。白玉はレオンの腕の中で丸くなり、満足そうに喉を鳴らした。重たい話題の直後とは思えないほど、静かな音だった。レオンは白玉を床に降ろし、再び席に戻る。


「会合まで、時間はない」

「はい」

「だが、焦る必要もない」


 それだけ言って、レオンは書類に視線を落とした。めぐるは一礼し、執務室を後にする。扉が閉まる直前、白玉が小さく鳴いた。



 その日の午後は、静かだった。レオンは相変わらず書類に向かっていたが、草案を書き進めている様子はない。代わりに広げられているのは、過去の記録や、既存の法令集だった。

 めぐるはその横で、指示された資料を整理している。


「……これ、被害報告の分類、細かすぎませんか」


 思わず口にすると、レオンがちらりと視線を寄こした。


「細かいからだ」

「?」

「会合では、そこを削ろうとする者が必ず出る」


 淡々とした声。


「『例外だ』『頻度が低い』そう言ってな」


 めぐるは、資料の一部に視線を落とす。小さな文字で書かれた、魔法事故の経緯。

 どれも、軽くはない。


「……削られたら、どうなるんですか」

「制度から、こぼれる」


 即答だった。それ以上の説明はない。だが、その一言で十分だった。めぐるは、資料を揃え直しながら言った。


「私、専門的な反論とかはできませんけど」

「それでいい」

「でも……」


 言葉に詰まる。レオンはペンを置き、椅子にもたれた。


「会合で求められるのは、正解じゃない」


 珍しく、少しだけ間を置く。


「『それを切ったとき、何が起きるか』それを想像できるかどうかだ」


 めぐるは、はっとした。それは、自分が見てきたものだった。被害のあとに残る、名前のつかない不便さや、取りこぼされる声。


「だから」


 レオンは、淡々と続ける。


「お前は、法案を説明しようとするな。“どう見えるか”だけ、見ていればいい」

「……見る、だけでいいんですか」

「ああ」


 視線が、再び書類に戻る。


「それで十分だ」


 めぐるは、胸の奥で何かが少し落ち着くのを感じた。役割を与えられた、というより、立ち位置を示された感覚に近い。

 白玉が資料の端を鼻先でつついている。紙がわずかに揺れた。めぐるはそれを直しながら、静かに息を整える。会合は、来週末。まだ近いようで、遠い。

 だが少なくとも――自分が、何を見るべき場所なのかは、少しだけ見えた気がした。



 夕方になると、研究棟の廊下は少し騒がしくなる。昼間は籠もっていた研究者たちが、それぞれの区切りをつけて外に出ていく時間帯だ。

 めぐるが資料を棚に戻していると、向かいの部屋から聞き覚えのない声が漏れてきた。


「――で、今回はヴァーチェも来るんだろ」


 扉は半開きだった。中にいたのは、レオンではない。年配の男と、若い女性の声。


「理論枠は外せないって判断でしょうね。ただ、本人は相変わらず委員会向きじゃないですけど」


 軽い笑い声。めぐるは、手を止めた。レオンの名前が、こうして“第三者の会話”に自然に出てくること自体が、少し意外だった。


「現場側はどうだ?」

「今回は被害支援団体が強めです。この前の事故が、効いてますから」


 そこで声は遠ざかる。足音が廊下の向こうへ消えていった。めぐるは、しばらくその場に立ったままになった。


 委員会。理論枠。現場側。被害支援。言葉の断片だけで、会合の空気がぼんやりと立ち上がる。

 ――思っていたより、ずっと人が多い。そう感じた。


「聞いたか」


 いつの間にか、レオンが後ろに立っていた。


「……少し」

「そうか」


 それ以上、追及はない。レオンは廊下の方を一瞥し、低く言った。


「会合では、名前より立場が先に出る」

「立場」

「学者、実務者、現場責任者、それから――」


 一拍。


「痛い目を見た側」


 めぐるは、何も言えなかった。自分がどこに入るのか、考えるまでもない。


「だから、気負うな」


 レオンの声は、相変わらず平坦だった。


「全員が、自分の役をやるだけだ」

「……先生も?」

「俺もだ」


 即答だった。それが、少し意外だった。

 天才魔法理論学者。委員会向きじゃない男。理論担当の一人にすぎない存在。その全部を、レオンは淡々と受け入れているように見えた。

 足元で、白玉が小さく鳴く。廊下の人の流れに落ち着かず、めぐるの靴先にしがみついていた。めぐるはそれを拾い上げ、肩に乗せる。


「……会合、思ったより賑やかそうですね」

「静かに荒れる」


 レオンはそう言って、外套の内側に手を入れる。取り出したのは、掌に収まる程度の小さな道具だった。

 金属でも石でもない。表面は滑らかだが、光を反射しない。形は円盤に近く、縁にだけ、細い溝のような模様が刻まれている。模様は魔法陣というほどはっきりしておらず、視線を外すと、どんな形だったか思い出せなくなるような曖昧さがあった。


「これを持っていけ」


 レオンはそれを、めぐるの方へ差し出した。


「……これは?」


 問い返すと、レオンは少しだけ間を置いてから答えた。


「認証具だ」

「認証……?」

「委員会の会合に入るためのものだ。正確には、入れるかどうかを判定する道具だがな」


 めぐるは受け取るのを一瞬ためらい、それから両手で受け取った。思ったより軽い。だが、軽すぎるわけでもない。中身が空洞という感じではなく、密度がある。

 掌の上で、何かが微かに温度を持った。


「……動いてます?」

「お前に反応しているだけだ」


 レオンは淡々と言う。


「これ自体に情報は入っていない。読むものでも、記録するものでもない」

「じゃあ……」

「資格を見るだけだ。関係者かどうかをな」


 資格、という言葉に、めぐるは思わず視線を落とした。認証具は、今は何の光も音も発していない。ただ、そこにある。


「持っていれば、通す」

「持っていなければ?」

「通さない。それだけだ」


 あまりにも単純な言い方だった。


「……私、委員じゃないですよね」

「知っている」


 レオンは即答した。


「だが、呼ばれた」

「それだけで?」

「それだけで十分だ」


 それ以上の説明はなかった。任命でも、期待でも、評価でもない。ただの事実として置かれる。

 めぐるは認証具を握り直し、ポケットにしまった。布越しでも、そこにある感触がはっきり分かる。


「失くすな」

「はい」

「壊すな」

「はい」

「勝手に使うな」

「……はい」


 三つ目で、少しだけ間が空いた。レオンはそれに気づいたのか、気づいていないのか、視線を前に戻す。


「会合までに、目を通すものは多い」

「……紙ですよね」

「当然だ」


 その返答に、なぜか少しだけ安心する自分がいた。めぐるは、ポケットの中の認証具に触れながら、黙ってその背中を追った。



 部屋に戻ると、白玉はすぐに床へ飛び降りた。慣れた動きで一周し、問題なしと判断したのか、今度は窓際へ向かう。夕暮れの光が、ガラス越しに差し込んでいる。

 めぐるは椅子に腰を下ろし、外を眺めた。遠くで、研究棟の灯りが一つ、また一つと点いていく。今日も、何事もなく終わった一日――そう言っていいはずだった。


「……はあ」


 小さく息を吐き、めぐるはポケットから例のものを取り出す。認証具を机の上に置くと、昼間見たときと変わらない。光らない。音もしない。ただ、そこにあるだけだ。

 ――本当に、これで入れるのか?疑問が浮かんだ、その瞬間だった。

 認証具の縁に刻まれていた溝が、ふっと淡く浮かび上がる。光というより、影が反転したような輪郭。空気の層がずれる感覚に近い。


「……え?」


 めぐるが身を乗り出すと、認証具の上に、何もない空間から文字が滲み出た。

 紙でも、光板でもない。空中に、魔法で“示されている”としか言いようのない表示。


 整然と並ぶ、名前の列。肩書き。所属。役割。

 ――委員会構成員一覧。学者。実務者。現場責任者。被害者支援。監査役。知らない名前ばかりだが、その数だけで、これが個人の集まりではないことが分かる。

 そして、少し下。めぐるは、無意識に息を止めた。


 藤宮めぐる

 区分:参考人

 出席区分:分科会限定


「……」


 声が出なかった。名前の横に、何の説明もない。推薦理由も、期待も、注意書きもない。ただ、配置として、そこにある。

 白玉が棚の上から身を起こし、こちらを見た。認証具に視線を向け、きゅ、と小さく鳴く。


「……これ、見えてる?」


 問いかけると、白玉は首を傾げただけだった。どうやら、見えているのは自分だけらしい。表示は、数秒後、静かに薄れていった。何事もなかったかのように、認証具は元の無言の道具に戻る。

 めぐるは、しばらく動けずにいた。重要人物だとか、そういう言葉は、どこにもない。ただ、「そこに座る席がある」と示されただけ。

 それなのに。


「……来週末、か」


 思わず、呟く。遠い話だと思っていた制度の中に、自分の名前がある。しかも、もう、決まっている。

 机の端で、白玉が再び丸くなった。その背を見ながら、めぐるは認証具をそっと布で包み、引き出しにしまう。重いわけじゃない。だが、軽く扱っていいものでもない。

 灯りを落とす前、めぐるはもう一度だけ、その引き出しに目をやった。


 ――今日は、進まない日だった。だが、確かに一歩、進んでしまった気がする。そんな予感が、静かに残っていた。



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