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【第一章完結】その魔法、合法ですか? ―召喚事故から始まる未整備魔法立法補助録―  作者: 榎本モネ
第2条 子どもの魔法使用における責任と行使者の特定

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第13項 昼行性のモモンガと、星耳のチンチラ


 王立学院の鐘が十の刻を告げたころ、研究室の窓辺にはやわらかな陽光が満ちていた。冬を越えたばかりの光はどこか薄く、それでも机の上に広げられた書類の文字を十分に照らしている。

 めぐるは羽根ペンを置き、そっと肩をすくめた。


「……ねえ、白玉」


 呼びかけると、机の端で丸くなっていた小さな影がぴくりと動く。薄い灰色の毛並みを揺らしながら、白玉はひょいと顔を上げた。エゾモモンガ。元の世界の文献に記されているそれは、夜行性の小型哺乳類であるはずだ。

 けれど今、彼は燦々とした昼の光の中で、めぐるの書類の上を軽やかに横切り、インク壺の縁に前足をかけて覗き込んでいる。


「だめ、落ちる」


 慌てて抱き上げると、白玉は不満そうに鳴き、しかし次の瞬間にはめぐるの肩に駆け上がって落ち着いた。

 机の向こうで分厚い書物をめくっていたレオンが、視線だけをこちらに寄越す。


「相変わらずだな」

「相変わらず、って……」


 めぐるは肩の白玉を指で撫でた。


「本当に、昼に元気ですよね。この子」

「本来は夜行性だ」

「ですよね」


 現代日本で動物図鑑をめくった記憶が、ぼんやりとよみがえる。夜の森を滑空する小さな姿。昼は木の洞で眠る生き物。

 けれど白玉は、夜になるとめぐると同じ時間にこくりと舟をこぎ、彼の枕元で眠る。朝になれば、彼と同じく目を覚まし、昼のあいだ活発に動き回る。

 レオンは本を閉じた。


「生活周期の同調。加えて、知能の発達。偶然と片づけるには整いすぎている」

「知能って……」


 めぐるが苦笑すると、白玉はなぜか胸を張る。


「文字を判別し、簡単な指示を理解する。感情の機微も読む。通常の個体より発達しているのは確かだ」


 淡々とした口調に、めぐるは小さく息を吐いた。


「やっぱり……同時召喚、ですか」


 勇者でも賢者でもなく、法律事務所の事務員だった自分が呼び出され、その魔法陣に巻き込まれるようにして現れた一匹のエゾモモンガ。偶然と呼ぶには出来すぎた組み合わせ。

 レオンは頷く。


「一度、魔法生物研究科で診てもらおう」

「え、そこまで?」

「異常の有無を確認するだけだ。害がないと証明されれば、それで終わる」


 白玉は肩の上でくるりと向きを変え、めぐるの頬にすり寄った。その温もりに、めぐるはふっと肩の力を抜く。


「……そうですね。確認してもらえるなら、安心です」


 そうして二人と一匹は、学院内の別棟――魔法生物研究科へと向かった。



 研究科の棟は、遠目には温室のようだった。大きなガラス窓の向こうに、緑が揺れている。中に入ると、ほんのりと土と草の匂いがした。


「やあ、ヴァーチェ」


 迎えたのは、柔和な顔立ちの中年教授だった。丸眼鏡の奥の目が楽しげに細められる。


「君が動物を連れてくるとはね。研究対象かい?」

「検査だ」


 レオンは短く答え、めぐるを促す。

 そっと降ろした白玉は、磨き上げられた検査台の上で、妙に落ち着き払っていた。

 透明な結晶板が幾重にも重なった装置の中央にちょこんと座り、丸い黒目で天井を見上げている。天井には、淡い光を放つ魔力灯が浮かび、その光が結晶板に反射して、白玉の毛並みを銀色に縁取っていた。


「ずいぶん堂々としているね」


 魔法生物研究科の主任教授が、感心したように言う。白髪交じりの髪を後ろで束ね、細い指で空中に浮かぶ魔力計測式をなぞった。


「ヂヂ」


 自分なら、こんな見慣れない装置に乗せられたら落ち着かないだろう。堂々としている白玉に感心する。

 装置が低く唸り、結晶板の間を青白い光が流れた。魔力を可視化する術式が起動し、白玉の体を包む薄い膜のようなものが浮かび上がる。

 それは淡い緑を帯びた光だった。けれど、よく見ると、その縁に、別の色が細く混じっている。


「……あ」


 めぐるは息を呑んだ。緑の縁を縫うように、淡い銀色が走っている。


「見えるかい?」


 教授が穏やかに問いかける。


「これが、この子本来の魔力波長。そして、縁に重なっているのが――君のものだ」


 胸の奥が、ひやりとする。自分のせいで、白玉が変わってしまったのではないか。そんな考えが、どうしてもよぎる。

 教授は空中に展開した魔法式を操作し、波形を拡大した。


「波長の一部が、ほぼ完全に同期している。召喚時の魔力干渉だろうね。同時に呼び出された場合、魔法陣は対象を“ひとまとまり”として処理することがある」


 結晶板が、今度は淡い金色に光る。白玉の頭部付近に、小さな光点がいくつも現れた。


「これは……?」

「脳活動に対応する魔力反応だ。活性値が高い」


 教授は楽しげに目を細める。


「生活周期を司る領域も、君の波長と同調している。だから昼に活動し、夜に眠る。無理をしているわけではない。むしろ、自然に再調整された結果だ」


 白玉は、装置の上でくるりと一回転し、誇らしげに鳴いた。めぐるは思わず笑ってしまう。


「……適応、してるんですね」

「そう。害はないよ。むしろ高度な順応だ。知能の発達も、その副次効果だろう」


 教授はさらに別の術式を起動した。今度は、白玉の周囲に細かな光の粒が浮かび上がる。空気中に漂う微弱な魔力残滓を可視化する魔法だ。

 めぐるは、そっと白玉を見つめる。自分のせいで、ではなく、自分と共にいるからこそ、変わった。そう考えると、不思議と胸があたたかくなる。


「問題はありませんか?」


 問いかける声は、思ったよりも落ち着いていた。


「ない。少なくとも、健康面ではね。定期的に観察はしたいが、危険は見当たらない」


 その言葉に、めぐるは深く息を吐いた。レオンが横から静かに言う。


「記録は共有してもらえるか」

「もちろんだ。珍しい事例だからね」


 装置の光がゆっくりと消え、結晶板が透明に戻る。白玉はぴょんと跳ねて、めぐるの腕に飛び込んできた。


「お疲れさま」


 その柔らかな体を抱きとめながら、めぐるは胸の奥に残っていたわずかな不安が、すっかり溶けていることに気づいた。



 せっかくだからと、教授は施設内を案内してくれた。

 検査室を出ると、研究棟の奥へと続く廊下には、さまざまな気配が満ちていた。

 小さな火属性蜥蜴が、飼育槽の中でちろちろと炎をまといながら眠っている。その隣の飼育槽には、色とりどりの糸を吐く蜘蛛が研究員に観察されていた。

 ガラス越しに見える飼育区画では、羽根の先に小さな火花を宿す小鳥が止まり木にとまっている。別の区画では、水の膜をまとった兎が、ゆらゆらと揺れる水槽の中で跳ねていた。


「かわいい……」


 思わず頬がゆるむ。白玉は肩の上から、やや警戒気味にそれらを見下ろしている。


「魔法生物は、百年前の魔力出現以降に生まれた種も多い」


 教授が歩きながら説明する。


「既存の生物が変質したものもいれば、魔力そのものから発生した個体もいる。生態は実に多様だ」


 床には、魔力の流れを整えるための細い術式が刻まれている。淡く光るそれらは、各区画ごとに属性を調整し、生物にとって最適な環境を保っているのだという。

 めぐるは、ひとつひとつに目を奪われながら歩いた。白玉は肩の上で、きょろきょろと周囲を見回している。


 小型哺乳類区画に入ったとき、空気がほんの少し変わった。

 ここは外界に近い魔力環境を再現しているらしく、植物も自然な配置で植えられている。木製の止まり木や、柔らかな藁の巣が並ぶ中で、一匹のチンチラが静かに座っていた。

 背は淡い灰色。腹は真白。だが何よりも目を引いたのは、その耳だった。

 内側が、夜空のように深く暗い。そこに無数の小さな光が瞬いている。星が、耳の中で瞬いているかのようだった。


「……すごい」


 思わず足を止める。その瞬間、チンチラがこちらを見た。

 黒い瞳が、まっすぐにめぐるを捉える。そして、他の個体が距離を保つ中、その一匹だけが、静かに近づいてきた。

 柵の隙間から、小さな前足が伸びる。めぐるが指を差し出すと、ちょん、と触れた。


「珍しいな」


 教授が目を細める。


「この子はあまり人に懐かない。耳で空気中の魔力やゴミを吸い取る性質があってね。神経質なんだ」

「空気中の魔力?」

「未使用の術式残滓や、環境中に漂う微細な魔力の欠片だよ」


 ちょうどそのとき、チンチラの耳の内側が、ふっと明るくなった。

 きら、と光が弾ける。次の瞬間、小さな欠片が耳から零れ落ちた。床に触れる直前、淡い星屑のように輝く。

 めぐるは思わず息を呑んだ。


「それは……?」

「吸い取ったものを凝縮して排出したものだ。だが用途はわかっていない。魔力構造が特殊でね」


 チンチラは、柵越しに身を乗り出し、さらに近づこうとする。研究員が少し困ったように笑った。


「本当に珍しいです。ここまで寄るのは」


 めぐるは、胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。教授は、そんなめぐるの表情を読み取ったのか、静かに言った。


「実はね、この子の預け先を探している」

「預け先……ですか?」

「研究協力個体として。環境を変えて経過を観察したい。だが扱いが難しくてね」


 チンチラは、まるで話を聞いているかのように、めぐるを見上げている。かわいい、という感情と同時に、どこかで現実が顔を出す。

 白玉のこと。自分の立場。生活費。将来。

 ここは自分の世界ではない。今は研究補助として働き、住まいも与えられているが、余裕があるとは言えない。


「もちろん、無償ではない」


 教授は穏やかに続ける。


「飼育費は研究科が負担する。加えて、観察記録の提出ごとに協力費を支払う。星屑の回収にも対価を出そう」


 思わず、めぐるはレオンを見る。レオンは静かに頷いた。


「現実的な提案だ」


 胸の奥が、静かに揺れる。助かる、と思った。だが同時に、戸惑いもある。


「……俺に、務まるでしょうか」


 思わず本音がこぼれる。


「白玉だけでも、まだ手探りで」


 教授は笑う。


「無理をさせるつもりはない。君はすでに召喚関連の特異事例の当事者だ。ただ、この子との相性が良いようだしね」


 チンチラは、再び小さな星屑を落とした。それはめぐるの靴先に触れ、きらりと光る。白玉が肩の上から身を乗り出し、じっとその星屑を見つめる。

 しばらくの沈黙。めぐるはゆっくり息を吸った。


「……少し、考えさせてください」


 教授は頷く。


「もちろんだ」


 めぐるたちが立ち去るときも、チンチラは名残惜しそうに、柵のそばに留まっていた。



 チンチラの元を去ったあとも、その感触が指先に残っていた。ほかの施設の説明を聞きながら、頭に浮かんでいるのは、あのチンチラのこと。


「どう思う?」


 レオンが問う。


「……正直、迷ってます」


 空を見上げる。昼の青が、やけに広い。


「助かるのは、事実です。でも、お金のために引き取るのは違う気がして」

「だが現実は無視できない」

「はい」


 しばらく歩き、やがてめぐるは足を止めた。

 研究棟の窓の奥、小さな灰色の影が、こちらを見ている気がした。胸の奥が、静かに決まる。


「……もう一度、話を聞いてもいいですか」


 そう言って、めぐるは教授へ目を向ける。わかっていたかのように、教授は頷いた。



 改めて条件を確認し、世話の方法を教わり、必要な書類に目を通す。研究協力費の額は、決して大きくはないが、生活を支えるには十分なものだった。

 教授は最後に言う。


「無理だと思ったら、いつでも戻していい。これは契約だが、同時に信頼でもある」


 教授はそう言うが、飼育するからには、最後まで面倒を観る覚悟だ。めぐるは、ゆっくりと頷いた。


「……お願いします」


 再び訪れた飼育ゾーン。柵が開かれると、あのチンチラが一目散に巡るの元へ駆け寄ってきた。めぐるの足に擦り寄るその体を抱き上げる。チンチラは抵抗することなく、大人しく腕の中に収まった。

 小さな体温が、確かにそこにある。命の重みを感じていると、白玉が肩から降り、慎重に近づいた。

 鼻先を寄せる。一瞬の静止。


「ヂ」

「キュイ」


 確認は済んだらしい。やがて、二匹はお互いに擦り寄ると、並んでめぐるの腕の中に収まった。耳の中の星が、昼の光の中でやわらかく瞬く。

 めぐるは、思わず笑った。


「よろしくな」


 その言葉に応えるように、星屑がひとつ、静かに零れ落ちた。



 研究科を出た帰り道。

 白玉はいつものように肩に。新しい小さな重みが腕の中にある。


「名前、どうしようか」


 ぽつりと呟く。


「白玉がいるから……」


 少し考え、笑った。


「大福、かな」


 レオンの眉がわずかに上がる。


「なんだそれは」

「故郷の甘味です」


 白玉が歓迎するように鳴き、大福は満足げに耳を震わせた。


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