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【第一章完結】その魔法、合法ですか? ―召喚事故から始まる未整備魔法立法補助録―  作者: 榎本モネ
第1条 召喚事故における責任の所在

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第11項 参考人


 会議室の扉が閉じる音は、意外なほど軽かった。だが、その向こうに満ちている空気は、決して軽くはない。


 楕円形の卓を囲む十数名の委員たち。その中央に置かれた水差しの表面が、結界の淡い光を反射している。六属性魔法に関する条文が整然と積まれた資料の束。その隣に、まだ白紙のままの紙束があり、未整理魔法に関する検討用、と小さく書かれている。

 その白紙こそが、今日の主題だった。あの白紙は、制度の空白であると同時に、めぐるの立場そのもののようにも見える。

 どこにも書かれていない。定義も、守られる条件も、帰る方法も。ここに座っているのは、条文にすらなっていない存在なのだと、胸の奥がひやりと冷えた。


「それでは、参考人に発言を求めます」


  議長の声は低く、抑制が効いている。


「未整理魔法による召喚事故の当事者、藤宮めぐる氏」


 一斉に視線が集まった。値踏みする視線ではない。けれど、検討材料を見る目だということはわかる。

 めぐるは静かに立ち上がった。肩に乗っていた白玉が、わずかに爪を立てて体勢を保つ。小さな体がぴくりと動き、室内の結界の振動を確かめるように耳を動かした。

 めぐるは一礼し、再び腰を下ろした。


「本日の招致理由を確認します」


 議長が淡々と続ける。


「現行法は六属性魔法については一定の整備がなされております。しかし、複合・派生・未分類魔法に関しては定義および規制の枠組みが不十分であり、その空白が今回の召喚事故を招いた可能性がある。本件は、その制度上の空白を検討するための実例として扱います」


 実例。その言葉は静かだったが、重かった。その言葉の中には、藤宮めぐるという名前も、これまでの人生も含まれていない。ただ、分類不能の事故という事実だけが抽出されている。


「まず事実関係から伺いましょう」


 口を開いたのは、行政監察局の上級監察官だ。口元は笑っているが、目は冷えている。


「あなたは、物品召喚実験に巻き込まれた。そうですね?」

「はい」

「実験は未分類魔法の複合式だったと報告されています。六属性の範囲内ではなかった」

「……そう聞いています」

「召喚された瞬間の状況を説明できますか?」


 めぐるは一瞬、視線を机に落とした。日本の法律事務所で使っていたボールペンの感触を思い出す。あの日、コピー機の前で資料を揃えていたはずだった。あのときのめぐるは、午後の予定しか考えていなかった。まさか、世界単位で予定が消えるとは思っていなかった。


「突然、光に包まれました。音は、ありませんでした。ただ――引き寄せられる感覚があって、気がついたらこちらの世界にいました」

「帰還手段は?」

「提示されていません」


 提示されていない、という言い方をめぐるは選んだ。本当は、「ない」と言われたに等しい。けれど、その断定を口にすると、何かが決定的になってしまいそうで、怖かった。


「補償は?」

「生活支援と就労の機会を」

「金銭的補償は?」

「具体的な基準はありませんでした」


 行政監察局の委員は、ふむ、と鼻を鳴らす。


「責任者の処分は?」

「研究停止と指導、と聞いています」

「刑事責任は?」

「……問われていません」


 あの空気を思い出す。謝罪はあった。戸惑いも、反省もあった。だが、責任という言葉は、最後までどこか曖昧なままだった。

 沈黙が落ちる。今度は、端正な顔立ちの女性――魔法運用局の現場責任者が口を開いた。声は柔らかいが、無駄がない。


「事故発生後の対応について伺います。あなたの身元確認、滞在資格、就労許可などは、どのような手続きを経ましたか?」

「特例措置として、暫定的な滞在許可が出ました。ただ、法律に基づいたものではなく、現場の判断として提供されたものでした」

「では、法的地位は明文化されていない、と」

「はい」


 女性は小さく頷く。


「今後、同様の事故が起きた場合、どの段階で法的介入が必要だと考えますか?」


 問われ、めぐるはゆっくり息を吸った。


「実験段階での審査基準が必要だと思います。未分類魔法である以上、六属性と同じ安全基準では足りません」

「具体的には?」

「責任主体の明確化と、事故発生時の補償基準の事前設定です」


 今度は、被害者支援団体の代表の老婦人が、そっと問いを落とした。


「あなたは、帰れないのね」


 それは質問というより、確認だった。百年前の魔法混乱期を知る世代の老婦人の瞳には、憐憫が浮かんでいた。


「はい」

「怖くは、ありませんでしたか」


 その声には、責める色も、誘導する意図もない。ただ事実を受け止めようとする響きだけがあった。


「怖かったです」


 めぐるは、正直に答える。夜になると、知らない星の位置が窓の外に見えた。自分がどこにも属していない感覚が、足元からじわじわと広がっていく感覚。


「でも、怖いという感情が、どこにも記録されないのが、一番怖かった」


 老婦人の指が、茶器の縁でわずかに止まる。

 めぐると委員のやり取りを聞いていたレオンが口を開いた。


「現行法のどこに、あなたを守る条文がありましたか」


 静かな問いだった。レオンはすでに、答えを知っている。それでも、この場でめぐるに発言させることの重要性がわかっていた。


「……ありませんでした」


 その答えは、室内に吸い込まれるように消える。

 議長が軽く顎を引いた。


「あなたは、このような未整理魔法に対する規制を必要だと考えますか」


 核心だった。めぐるは少し考え、言葉を選ぶ。


「必要だと思います……ただ」


 めぐるは続けた。


「未知だからという理由だけで禁止する形にはしてほしくありません。線を引くのなら、消すための線ではなく、越えたときにどう対処するのかを定める線にしてほしい」


 室内の空気が止まる。


「今回の事故は、悪意ではありませんでした。でも、事故で終わっていい話ではないと思います。ここに来てから、私は何度も説明を求められました。どうやって召喚されたのか。どう適応しているのか。困っていないか。けれど、「私は誰なのか」を問われたことは、一度もありませんでした」


 そこまで言って、めぐるはきゅっと掌に力を入れた。


「私は物ではありません。生活があり、仕事があり、築いてきた人間関係がありました」


 静かだが、揺らがない声。


「事故が起きた後に、その人がどんな立場になるのか。そこまで含めて決めるのが、法律だと思います」


 誰もすぐには口を開かなかった。議長が短く言う。


「参考人の意見は、記録します。本日の検討材料といたします」


 形式的な締めだが、重みはある。


「以上で、参考人への聴取を終了します」


 めぐるは立ち上がる。ふと、レオンの方を見ると、彼は表情を崩さなかったが、わずかに視線だけが合った。

 ――ここまでは、よくやった。

 そう言われた気がして、胸の奥の強張りが少しだけほどけた。

 一礼して、扉へ向かう。白玉が肩の上でくるりと向きを変え、耳をぴんと立てた。

 背中に委員たちの視線を感じながら、廊下に出る。その瞬間、張り詰めていた何かがほどけた。


「はあ……」


 詰めていた息を吐き出すと、小さな手がめぐるの頬に触れて、慰めるように「ヂヂ……」と鳴いた。


「大丈夫」


 白玉に、そして自分に言い聞かせるように呟く。そのまま、扉に少し寄りかかった。この向こうでは、会議は続いている。




「さて」


 議長が資料を揃える。


「本日の主目的は顔合わせと、今後の方向性の確認です。参考人の発言を踏まえ、議論を進めます」


 最初に口火を切ったのは、行政監察局の委員だった。


「結論は明白です。未分類魔法は登録制とすべきだ。研究開始前に申請、審査、許可。無許可実験は厳罰」

「現場の負担が過大になります。現実的ではありません」


 魔法運用局の女性が即座に返す。


「未分類魔法は日々発生しています。研究段階で全てを把握するのは不可能です」

「不可能だから放置するのか?」

「放置はしません。ですが、術式単位で追う方式は破綻します」

「ではどうする?」


 行政監察局と魔法運用局が言い争う。行政と現場の意見が食い違うのは、どのような場でも起こりうることだ。彼らの争いを静かに聞いていたレオンは、ふう…と小さく息を吐いて口を開いた。


「私は、未整理魔法全体に適用される包括的な基本原則を設けるべきだと考えます」


 室内がわずかにざわめく。レオンの提案に、行政監察局の委員が反論した。


「抽象的すぎる」

「一つひとつを規制するのは、追いつきません」


 レオンは動じない。ふむ、と頷いた議長は「具体的には?」と先を促した。


「未分類魔法を用いた実験・運用に共通する義務を定める。責任主体の明確化、事故時の補償基準と義務、被害者の法的地位の定義。個別の術式ではなく、適用範囲を広く設定する」


「包括法、ですか」


 老婦人が静かに呟く。


「その中に、被害者保護条項を明文化することを希望します」


 老婦人が口を挟む。


「特に、被害者の地位は明文化されるべきです……召喚当事者を『物品扱い』することを禁じる条文も検討すべきでしょう」


 室内にざわめきが広がる。


「物品扱いなど、誰も正式にはしていない」

「でも、条文になければ、禁止もされていないということです」


 魔法運用局の女性が応じる。


「事故後の即時停止権限も必要でしょう」

「理念は理解する。しかし、範囲が広すぎれば、研究の自由を過度に制限する恐れがある」


 行政監察局の委員は腕を組んだ。

 レオンは、淡々と言葉を発する。


「だからこそ、思想を先に定めるべきです。何を守るための法なのか」


 議論はそこで加速した。


 登録制か、包括規定か。

 事前審査か、事後責任か。

 研究の自由をどこまで認めるか。

 被害者の法的地位をどう定義するか。


「研究は社会の基盤だ」

「だが無制限ではない」

「六属性法の拡張で足りるのでは?」

「六属性は前提が違う」

「分類不能なものを一括りにする危険性は?」

「一括りにしなければ、規制そのものが立ち行かない」


 声が重なり、時に遮り、時に沈黙が落ちる。


 議長はその間、一度も制止しなかった。ただ、全員の発言を等しく記録し、要点だけを紙に走らせていく。


 半刻が過ぎた。しかし、議論は収束せず、同じ地点を旋回し始めていた。

 そこで、ようやく議長が口を開く。


「整理します」


 それだけで、室内が静まる。


「本日の議論は大きく三点に分かれました」


 指を一本立てる。


「第一に、未分類魔法を個別に管理する登録・許可制案」


 二本目。


「第二に、未整理魔法全体に適用される包括的義務規定案」


 三本目。


「第三に、被害者の法的地位および補償義務の明文化」


 視線を巡らせる。


「いずれも排他的ではありません。登録制と包括規定は併存可能です。被害者保護は、そのいずれにも組み込むことができます」


 誰も反論しない。


「よって、本委員会は――」


 短く間を置く。


「未整理魔法個別の術式規制を直ちに整備するのではなく、まずは未整理魔法“全体”に波及する包括的法枠組みの策定を軸とし、その中で登録制の位置づけも検討します」


 はっきりと言い切る。


「次回会合までに、各委員は条文案、もしくは方向性案を提出してください。一度に完成を目指す必要はありません。各自が“何を守るための規制か”を明示した案を持ち寄ること」


 ペンを置く。


「本日は顔合わせであり、起点です。結論を急ぐ段階ではありません。以上で本日の会合を閉じます」


 静かな決定だった。椅子が引かれる音が、ようやく場の緊張を解く。


 議論は始まった。

 そして、条文という形になるまで、終わらない。




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