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【第一章完結】その魔法、合法ですか? ―召喚事故から始まる未整備魔法立法補助録―  作者: 榎本モネ
第1条 召喚事故における責任の所在

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第10項 会議室


 会議棟の最上階に続く廊下は、いつもよりわずかに冷えているように感じられた。


 実際に温度が下がっているわけではないのだろう。だが、壁面に沿って設置された魔力検知板の光が白く硬く、床に反射しているせいで、空気まで研ぎ澄まされて見える。通行者の魔力波形を読み取り、記録し、異常があれば即座に遮断するための装置だ。普段から設置されているものではあるが、今日は出力が上げられているのか、結界の膜が視覚的にも分かるほどに濃い。


 めぐるは扉の前で足を止め、意識的に呼吸を整えた。肩に乗った白玉が、小さく尾を揺らす。見えない結界の振動を感じ取っているのだろう。丸い黒目がきょろりと動き、耳がぴくりと立つ。


「問題ない。登録は済んでいる」


 低く落ち着いた声が横から響いた。


 レオンだった。今日は研究室での白衣姿ではなく、濃紺のスーツを端正に着こなしている。胸元には正式な委員章。そこに刻まれた肩書きは、はっきりと“魔法理論学者”を示していた。


「緊張しているか」


 問いは簡潔だが、声音はいつもよりわずかに低い。


「……少しだけ」


 正直に答えると、レオンは短く頷いた。


「正常だ。何も感じないほうが危うい」


 それ以上の慰めはない。だが、それで十分だった。

 彼が先に結界を通過する。淡い光がその周囲で揺らぎ、識別が完了したことを示す青色へと変わる。続いてめぐるが通ると、わずかな圧が身体を包んだ。参考人は委員とは別枠で記録される。受付の机に座る記録係が端末を操作し、淡色の札を差し出した。


「藤宮めぐる。参考人出席」

「はい」


 受け取った札は、他の委員より一段落ち着いた色合いだ。小さな違いだが、意味は明確だった。


 室内に足を踏み入れた瞬間、まず目に入ったのは、中央上座に座る銀縁眼鏡の男だった。

 細身の体躯に、寸分の乱れもない装い。机上には整然と並べられた資料の束。紙の角は正確に揃えられ、ペンは机の縁と完全に平行になるよう置かれている。彼の周囲だけ、空気が張り詰めているように見えた。


 王都法制審議院の常任調整官、クラウス・ヘルマン。そして今回の議長。長年、六属性魔法の法整備に関わってきた実務官僚であり、政治家でも研究者でもない。だが、両者の言葉を翻訳し、条文へ落とし込むことを職業としてきた人物だ。

 彼は顔を上げ、まずレオンに視線を向けた。


「魔法理論学者、レオン・ヴァーチェ。到着時刻、予定通り」


 議長席から発せられたその声は、記録係の読み上げというよりも、出席確認を装った位置づけの宣言に近かった。会議室中央の長机は楕円形に配置されている。議長は名簿から静かに視線を上げた。

 視線は冷静で、温度がない。まるで人物ではなく、肩書きを見ているようだった。


「はい」


 レオンは短く応じる。余計な言葉は足さない。声量も、場に合わせて抑えられている。椅子を引く音が静かに響く。その動作一つさえ、妙に整って見えた。彼は書類の束を机上に置き、わずかな歪みもない角度に揃える。

 対する議長の机も同様に整然としている。

 レオンの整理が終わったと見るやいなや、行政監察局の委員が、レオンが事前提出していた草案整理資料を指先で軽く叩く。


「レオン先生、お久しぶりですね。事前提出された整理案、拝読しました。これでは例外許容の幅が広すぎる。法は曖昧さを残すためのものではないですよ」


 口調はあくまで理性的で、非難の語彙は使っていない。それでも、その言葉は刃の角度を持っていた。開始前の雑談めいた時間は、これで終わったと誰もが理解する。

 室内にいた数名が、ほとんど無意識に資料を持つ手を止めた。若い研究者はページをめくる途中で指を止め、被害者支援団体の補佐員は配布中の資料を抱え直す。空気が、わずかに硬くなる。

 レオンは椅子に腰を落ち着けながら、落ち着いた声音で応じた。


「曖昧さではありません。未確定領域です」


 視線は行政監察局の委員から逸らさない。


「六属性外魔法の実態が整理しきれていない以上、断定的な文言は運用段階で破綻します。現場が判断できない条文は、法として機能しません」


 感情は乗せない。ただ、理屈を積み上げる。行政監察局委員の口元がわずかに動いた。


「破綻するのは理論家の都合でしょう」


 柔らかな声音だが、棘は隠していない。それに対し、行政監察局も同じように棘で返した。


「学説を守るために条文を緩める。それは立法ではありません。立法は、学問の未完成を待つ場ではない」


 その言葉は、理論よりも統治を優先する立場の宣言だった。空気がさらに張り詰める寸前、ゆるやかな声が横から差し込む。


「お二人とも、まだ始まってもいませんよ」


 左手側に座る老婦人が、手元の湯気の立つ茶器をそっと置きながら微笑んだ。丸い眼鏡の奥の瞳は穏やかだが、その観察は鋭い。被害者支援団体の代表として、長年、事故と向き合ってきた人物だ。

 彼女の前には分厚い報告書が何冊も積まれている。背表紙には日付と被害件数が記され、長い年月の重みを物語っていた。


「私たちは理論の優劣を競うために集まったのではありません」


 老婦人は両手を軽く重ねる。


「被害を減らす方法を探すために、ここにいるはずです」


 その言葉は柔らかいが、場の軸を正す力を持っていた。

 行政監察局の委員は、わずかに顎を引き、視線の角度を変える。それは譲歩ではなく、議題を進めるという意思表示に近い。

 その隣では、ブロンド髪の女性が静かに端末を操作している。


「現場としては、定義の明確化が最優先です」


 彼女は視線を上げずに言う。背筋は真っ直ぐで、指の動きに無駄がない。魔法運用局の現場統括責任者。法が成立すれば、解釈し、通達し、適用する立場の人間だ。


「線引きが曖昧なままでは、判断が個々の担当者に委ねられます。それが最も危険です。恣意的運用は、被害を拡大させます」


 理論と理念の応酬に、実務の現実が差し込まれる。どれも正しい。だが、優先順位が違う。

 さらに奥では、若い研究者が資料を勢いよく閉じ、口を開いた。


「そもそも六属性という枠組み自体が旧態依然です。外側を規制する発想ではなく、体系そのものを更新すべきではないでしょうか」

「本日の議題外です」


 議長が即座に遮る。


「体系論は別会合で扱います。本日は草案検討に集中してください」


 若い研究者は唇を噛み、反論を飲み込んだ。視線だけが不満を残したまま資料へ落ちる。


 めぐるが座っている参考人席は中央から一段外れているが、全員の横顔が見える位置だ。観察するには最適で、発言するには遠い。

 白玉は肩の上で静かに丸まりながら、時折耳をぴくりと動かしている。結界の微細な振動を感じ取っているのかもしれない。賢いが、ただのエゾモモンガだ。だが、その存在は不思議と場の緊張をわずかに和らげる。

 議長の視線が、ゆっくりとこちらへ向いた。


「参考人」


 名を呼ぶのではなく、立場を呼ぶ声音だった。低く、抑揚を削ぎ落としたその一言が、静まりかけていた室内の空気をさらに一段、冷やす。


 議長は椅子の背にもたれず、わずかに前傾した姿勢のまま、めぐるを見据えている。銀縁の眼鏡の奥の瞳は光を反射して読みにくいが、視線の角度だけは明確だった。評価でも好奇でもない。線引きをする者の目だ。


「本会合は立法検討の場です。情緒的発言は不要。理解していますね」


 語尾は疑問形だが、確認というより通告に近い。

 あらかじめ枠を定め、その内側でのみ発言を許すという宣言だった。


 その言葉は、めぐる一人に向けられているようでいて、実際には二方向へ放たれている。

 当事者としてのめぐる。そして、その隣に座る被害者支援団体の老婦人。感情や体験が議論の軸に入り込むことを、あらかじめ牽制する意図が透けて見える。

 会議室の奥で、紙をめくる音がぴたりと止まった。


「はい」


 めぐるは短く答える。喉の奥に余計な言葉が浮かばなかったわけではない。だが、それをここで吐き出すことが得策でないことも、理解している。

 めぐるは背筋を伸ばしたまま、視線を逸らさない。抗議も、挑発も含まない。ただ、役割を受け入れるという静かな意思表示だけを置く。それ以上は言わない。

 議長はわずかに鼻先で息を鳴らした。感情というより、判断が済んだという合図に近い。


「結構」


 乾いた一語を落とすと、机上の書類を几帳面に揃え直す。紙の角を指で揃えるその動作は、無意識の癖なのだろう。乱れを許さないという性質が、仕草の端々に現れている。

 その静寂を破ったのは、レオンだった。


「議長」


 声は低く、しかしはっきりと室内に届く。


「参考人は事例提供のために招かれています。発言の機会は必要です」


 言葉は簡潔だが、そこには理論家としてではなく、委員としての立場が滲んでいる。彼は正式な委員としてこの席に座っている。その責任と権利を踏まえた発言だった。

 議長は視線をゆっくりとレオンへ移す。


「必要なときに与えます」


 間を置かず、即答。


「その判断基準は」


 レオンは引かない。声量は変えないまま、問いを重ねる。


「議長判断です」


 刃のように冷たい応答だった。理屈を挟む余地を与えない、権限の宣言。

 音が消えたように、室内が固まる。若い研究者は無意識に息を止め、現場統括の女性は端末の画面を見つめたまま指を止める。

 緊張は、目に見えない糸のように楕円卓を横断している。その糸を、ふっと切るように、小さな笑い声が響いた。


「若い方は血の気が多いわね」


 老婦人だ。茶器に手を添えたまま、どこか楽しむように目を細めている。空気を読めないのではない。読んだうえで、あえてずらしている。


「若くはありません」


 レオンは即座に返す。表情はほとんど変わらない。


「そういうところよ」


 老婦人はくすりと笑う。言葉のやり取りは軽いが、その軽さが場に隙間を作る。張り詰めていた糸が、わずかに緩む。誰かが小さく息を吐いた。


 そのときだった。白玉が、めぐるの肩の上で小さく身じろいだ。ふわりとした尾が揺れ、細い指先が布地を掴む。白玉は鳴かない。ただ、めぐるの袖をぎゅっと掴む。その力は小さいが、確かな不安の表れだった。


 近くに座っていた若手研究者が、興味深げに視線を向ける。


「……敏感ですね」


 研究対象を見る目だ。純粋な観察の色がある。室内奥で、低い振動が床を伝った。補助結界の試験起動だろう。目に見えない力場が壁際を走り、空気の密度がわずかに変わる。


「夜行性の生き物は環境変化に敏い」


 レオンが淡々と答える。説明は簡潔だが、声の底にわずかな配慮が混じる。


「管理は徹底願います」


 議長が被せるように言った。


「会合は動物園ではありません」


 露骨な言い回しだった。白玉だけでなく、それを連れてきためぐるへの牽制でもある。数人が視線を伏せる。室内の温度が一段下がったように感じられた。

 老婦人が穏やかに口を開く。


「賢そうな子じゃありませんか。静かですし」


 声は柔らかいが、わずかに芯がある。


「静かであれば問題はありません」


 議長は一切譲らない。基準はあくまで機能性。情緒や愛嬌は考慮外だ。

 白玉はその間も鳴かず、めぐるの袖を握ったまま、丸い瞳で室内を見渡している。警戒しているのだろう。


 壁際の時計が、静かに針を進めていく。開始時刻が近づくにつれ、室内のざわめきは自然と沈んでいった。


 まだ開会は宣言されていない。結界も完全には閉じられていない。


 だが、席はほぼ埋まり、資料は行き渡り、端末は接続を終えている。

 被害者支援団体の若い職員が最後の書類束を机上に置き、現場側の補佐官が通信状態を確認する。理論部門の研究者はペン先を整え、何度目かの修正箇所を指でなぞる。


 同じ空間にいながら、向いている方向は交わらない。


 被害件数の減少を最優先にする者。

 運用の明確化を求める者。

 理論の整合性を守ろうとする者。

 権限の秩序を崩さないことを第一にする者。


 そして、当事者としてここに座る者。めぐるは胸元の札に視線を落とす。


 ――参考人。


 控えめな文字だ。肩書きとしては、この場で最も軽い。だが、その小さな札があるからこそ、めぐるはこの場にいる。

 白玉が静かに息をつく。めぐるはその小さな体温を感じながら、再び顔を上げた。


 室内の空気が、ゆっくりと密度を増していく。結界の振動が、今度は規則的に脈打ち始める。


 開始の言葉だけが、まだ落ちていない。だが、もう後戻りはしない。ここで引かれる線は、やがて誰かの明日を決める。

 その最初の言葉が発せられる瞬間を、全員が静かに待っていた。



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