王女様の変化
「……それで、今日もここに泊まるのか?」
「……ダメですか?」
「いや、ダメというわけではないが……真冬が嫌じゃなければだけど」
「じゃあ、今日も春希くんの家に泊まります。ストーカーとばったり会ったりしたら、怖いですから」
喫茶店で真冬と渚と別れた春希は、しばらく駅前の本屋で時間を潰してから帰宅した。同じマンションに住んでいることを渚に話していなかったため、真冬のことを渚に託し、自分は時間差で帰宅していたのだ。
春希が帰宅してから30分程が経過すると、春希の部屋のインターホンが鳴る。すると、先に帰宅していた真冬が春希の部屋を訪れていた。
春希の自宅の中へと入った真冬はパジャマへと着替え、昨日と同じように床に布団を敷いた上に座っている。その様子を、春希も同じようにベッドの上に腰掛けて見つめていた。
「さっきは渚が変なこと言って悪かったな。真冬は、別に無理してオレのこと名前で呼ぶ必要はないからな。好きなように呼べば良い」
「……それは、普通に名前で呼んでも良いってことですか?」
「それはもちろん構わないが、間違っても学校で呼んだりするなよ。周りの男子たちに、オレが殺されるからな」
「わざと間違えれば、春希くんが他の男の子たちにボコボコにされるところが見れるというわけですか?」
「冗談に聞こえないから、本当にやめてくれ。オレは、平穏無事な生活が1番なんだよ」
高嶺の花と名高い真冬と一緒にいるというだけでも信じ難いが、いつの間にか春希の生活の中に少しずつ真冬が入り込んでいるというのも事実であった。それでも、学園での平和な生活を望んでいた春希は、油断しないように気を引き締め直していた。
しかしながら、口ではそう言いつつも、春希は真冬と過ごす時間が決して嫌いかと言われると、そうではなかった。周りが想像している学園の王女様と、目の前にいる真冬の人物像が一致していないことを知っているのは自分だけという少しの優越感と、真冬にシンパシーを感じていたからである。
「渚さんと帰って来る間に、色々と春希くんの話を聞きました。渚さん、春希くんのことを結構知っているんですね」
「渚からはストーカーの気配を確かに感じたってメールしか来ていないが、そんなことを話しながら帰って来たのか? あいつ、余計なこと言わなかっただろうな?」
「春希くんのこと、とても信頼しているみたいでしたよ。春希くんが渚さんを頼りにしているのも、分かるような気がしました」
「まあ、あいつには色々と知られてるしな。今から隠すようなこともないさ」
小さく息を吐きながらも、春希がいつもとは少し違う雰囲気であることに、勘の鋭い真冬は気が付いていた。そして、自分の心の中にそのような感情があることに驚きつつも、その感情は胸の奥底にしまい込もうとする。
まさか、自分が春希にそのような感情を抱いているとは真冬自身も思ってもいなかったことであるし、それを否定したい気持ちも入り混じっていた。そして何よりも、渚に対してそのような感情を向けていたことに、真冬は自分を許すことが出来なかった。
「渚さん……大丈夫でしょうか。春希くんにメールが来ているということは無事に帰ることが出来たということでしょうけど、本当に渚さんがストーカーに襲われでもしたら……」
「ああ、それについては本当に心配しなくて良いと思うぞ。渚は今まで、万引き犯とか強盗犯を平気で投げ飛ばして捕まえたことがあるからな。警察からの感謝状がレジの壁に飾られてるから、今度見てみると良い。あれが結構、犯罪の抑止力になってるみたいだしな」
「春希くんがそこまで誰かを褒めているのを初めて聞きました。そういうことは、ちゃんと本人に言ってあげた方が良いですよ?」
「あいつはすぐに調子に乗るからダメだ。まあ、でも渚には本当に感謝してるよ。あいつがいなければ、今のオレはもっと捻くれた人間になっていたかもしれないからな」
どこか遠くを見るように、春希は渚と出会った日のことを思い返していた。
生徒会だけでなく、春希はバイト先でも渚と一緒にいることが多い。1年生のときは同じクラスであったため、それなりに交流はあった関係なのである。真冬の知らない世界で、春希と渚は誰も入ることの出来ない信頼関係で繋がっていた。
そして、そんな春希の顔を見た真冬は、とある質問を春希に投げかける。それは、真冬の意思とは関係無く、自然に口から出てしまった言葉であった。
「……春希くんは渚さんのことが好きなんですか?」
「オレが渚のことを? どうしてそう思うんだ?」
「あっ、いえっ……すみません、忘れてください。どうしてこんな変なこと聞いているんでしょうか、私は……」
戸惑いを隠すことが出来ない真冬は、バツが悪そうに春希から視線を逸らす。そのような真冬を見るのは春希にとって新鮮であったため、敢えてその理由を追及したりはしない。
学校にいるときの真冬とは違う側面を見ることが出来ており、春希にとって真冬の印象は少しずつ変わりつつあった。
「オレと渚はそんな関係じゃないさ。きっと、渚に聞いても同じような答えが返ってくると思うぞ。確かに渚のことは好きだが、それは人間性としてという意味だ。異性としてという意味で、あいつを見たことは1度も無いよ」
「……そうなんですか?」
「それに、オレはもっとお淑やかな女性が好きなんだ。周りで騒がれると、色々と相手をするのが大変だからな。だから、真冬みたいな空気を読めるお淑やかな女性の方が、オレはよっぽど好感が持てる」
「なっ……!? な、何を変なことを言ってるんですか!? か、揶揄わないでください!」
「さっきの喫茶店での仕返しだよ。それくらいオレも恥ずかしい思いを渚の前でさせられたんだから、これでおあいこだ」
「……春希くん、意外と意地悪なんですね」
「ああ、そうかもな。自分でも意地悪だとは思ってるけど、言ってることは嘘じゃない」
「えっ……?」
ベッドに座っていた春希に真っ直ぐ見つめられ、真冬は思わず頬を赤く染めていく。吸い込まれそうなほど透き通った春希の瞳に射抜かれ、真冬は春希から視線を逸らすことが出来なくなる。
今まで真冬が見てきた男子たちの中で、春希は異質とも言える存在だった。周りと馴染もうとせず、常に自分の世界観の中で生きている。その中に入ることは誰とで許されず、辛うじて夏や綾乃といった生徒会のメンバーがその周りに存在しているだけだった。
しかし、それはきっと春希のほんの一部分に過ぎない一面であり、本当の春希は周りが言うような冷たい人間ではないのではないかと、真冬はそう思うようになっていた。それは、春希が真冬をこの部屋に招き入れていることで証明しており、淫らな考えを一切持ち合わせていないことからも、真冬は春希に対して一定以上の信頼を寄せられるようになっていた。
そして、1度芽生えてしまった想いはそう簡単に消えることはない。真冬の中でその考えは少しずつ大きくなり、真冬の考えを遮っていく。
「こんなことを言うのは失礼かもしれないけど、オレは真冬のことを誤解してたよ。この前も言ったけど、周りからお嬢様って言われて、てっきり思い上がっているんじゃないかって思ってた。自分を囃し立てる周りのことを、本当はどこか見下したように見ているんじゃないかって思うこともあった。けど、本当の真冬はオレが思っているような人じゃなかった」
「……本当に、本人を目の前にして言うのは失礼だも思いますよ? それで、今の春希くんの目には、私はどう写っているのですか?」
「そうだな……純粋で、とても繊細な女の子だと思ったよ。真冬の家のことを知ったからという意味もあるけれど、強い人だなって思った。オレなんかと違って、しっかりと自分というものを持って生きているのだと、オレはそう感じたよ」
「初めて言われましたよ……そんなこと。春希くん、平気で恥ずかしいことを言うような人でしたか?」
「誰にでもそういうわけじゃないさ。少なくとも、オレがこんなことを言ったのは、真冬が初めてだよ。本当に……真冬は心が強い人だなって思うよ」
穏やかで優しげな視線であったが、その中でも春希は自分と真冬との違いを感じており、少なからず劣等感を持っていた。それは、その視線の中に少なからず敬意と憧れという意味を含んでいた。
誰かにそのようなことを言われたのは初めてであった真冬は、恥ずかしさから布団の中に潜り込んでいく。そして、春希に背中を向けるようにして、ゆっくりと頭を布団の外に出していた。
「……そんな恥ずかしいこと言う春希くんなんて知りません。匿ってくれているお礼に夕飯をご馳走しようかと思いましたが、やっぱり止めました」
「はは、期待してたんだけどな。まあ、ストーカー騒ぎが収まるまで、別にここは好きに使ってもらって構わないよ。他に誰が来るというわけじゃないしな」
ストーカーに対する対策を考えながら、春希はなるべく真冬に余計な心配をかけまいとする。今のところ頼りになるのは渚だけであったが、春希は渚に対する絶対的な信頼を寄せていた。
そして数日後、渚が真冬と帰宅している間にストーカーを投げ飛ばして警察に突き出したという連絡が、春希のスマートフォンに寄せられていた。




