王女様と1つ屋根の下
真冬の家にあった来客用の布団が、春希の家の寝室に運ばれる。目の前でパジャマ姿でいる真冬を見て、春希はなぜこのようなことになっているのかを冷静に振り返っていた。
名も知らぬ男にストーカーされるというのは、春希が想像している以上に真冬に精神的ダメージを与えていた。春希が思っていたように、下手をすると真冬に危害が及ぶ可能性もある。ストーカーを受けるようになってから、真冬は夜に寝付くことが怖くなっていた。もしも玄関の扉を開けた瞬間にその男が立っていたなどと想像しようものなら、家から出ることすら躊躇われるようになってしまっていた。
人に弱みを見せることを嫌う真冬からすれば、このように誰かを頼ることは珍しいことである。ましてや、相手はストーカーと同じ男である春希であった。そういった意味で、春希は真冬の行動の意味を図りかねていた。
「……お前、オレが男だってこと忘れてないか? いくらストーカーが怖いからって、これはオレを試しているのか?」
「私だって、本当は福島さんに迷惑をかけたくないんです。でも……福島さんはストーカーではないですよね? それに、福島さんが信用に値する人物であることは、この1年間で証明済みではないですか」
「いや、そういう意味じゃなくてな……こんなの誰かに知られたら、大変なことなるぞ? 主にオレがだけど」
学園の王女様を家に泊めたということが周りに知れ渡れば、春希が袋叩きになるのは必至である。数多の男たちが狙っている真冬が、今こうして自分の目の前でパジャマ姿になっているのを見て、春希は一種の恐怖を抱いていた。普通の男であれば、このような絶好の場面で鼻息が荒くなるというところであるが、あいにく体裁を気にする春希からして見れば、それどころではなかった。
「……私、本当は男の人が苦手なんです。色々あって、男の人と話すのが少し怖いって思っているんです」
「そうなのか? 山形や岩手とは普通に話しているように見えるけどな。あと、色々言い寄って来てる男たちとか」
「山形さんや岩手さんは同じ生徒会ですし、周りの男子生徒たちも悪気が無いということは知っているので……あの人とは違います」
「あの人……?」
「あっ……ご、ごめんなさい。こんな変な話をするつもりじゃなかったんです。忘れてください」
苦笑いを浮かべながらも、真冬の表情はどこか暗いままであった。それは、ストーカーに追われているからという理由とはまた別のものではないかと、春希は感じていた。
「嫌なことなら話さなくて良い。誰にだって、知られなくないことや話したくないことの1つや2つはあるだろ」
「……話しても軽蔑しませんか?」
「無理しなくて良いぞ。オレも、この話は聞かなかったことにするから」
「また今夜も眠れない気がするので……時間潰しだと思って聞き流してください」
詳しく問いただされるかと思った真冬だったが、春希は真冬に余計な詮索はしなかった。真冬に気を遣っているとも見えるが、裏を返せばそれほど真冬に興味が無いとも捉えられそうでもあった。
しかし、真冬の捉え方は前者であった。春希が敢えてそのような態度を取っているのではないかと、真冬は冷静に分析するようになっていた。そして、この1年間ずっと隣に住んでいたにも関わらず、春希は誰にもそのことを話したりしていなかった。それだけでも、真冬は春希を信頼するようになっていた。
布団の上に正座しながら、真冬はゆっくりとした口調で話し出す。春希はベッドの端に座って真冬と向き合い、真冬の顔を見つめていた。
「……私、中学のときに付き合っていた男の人がいたんです。その人は優しい人で、私のことをいつも気遣ってくれる、とても良い人でした」
「今はそいつとは付き合っていないのか? まあ、宮城がここにいることが答えだとは思うけど」
「はい。私はその方とは別れました。私の前ではとても優しくて頼りになる人だったのですが、あるとき私は、彼が他の友人たちと話しているのを聞いてしまったのです。彼が私に近付いたのは、全てお金のためだったと。裕福な家庭で生まれた私は世間知らずだと思われていたのか、その方は私の家柄や財産を目当てとしているようでした。その話を聞いてしまった私は、彼のことが信じられなくなってしまい、少しずつ距離を置くことにしました。とある日、私は呼び出された彼に、友人たちとの話を聞いていたことを正直に話しました。これ以上、貴方とお付き合いすることは出来ない……と」
「まあ、それはそうだろうな。それで、そいつはなんて言ったんだ?」
「『お前のことなんか最初から好きじゃなかった。金や名誉以外、お前に近づく理由が無い』と、そう言われたのです」
「随分と打算的な考えのやつだな……考えが浅はかというか、開き直るのも逆にすごいことだと思うが」
視線を窓の外へと向けていた真冬に、春希はその悲しい過去を詮索しようとは思わない。ただ、真冬が話したことを受け止め、時計の針が進むのを待つつもりだった。
しかし、自分とは違う理由でこの街に来た真冬に対して、春希は決して小さくない興味を持ち始めていた。ただの飾られた学園の王女様ではなく、自らの意思を持って生きていると思った真冬に、春希は自分との違いも同時に感じていた。
「その方は生徒会長もしていましたから、周りからの人望も厚かったようです。実際に私と彼が別れたという話が流れたとき、大半の人たちは私を悪者として扱い、彼を慰める方が大勢いました。そこからでしょうか……私が男性との距離を置き始めたのは」
「そうか……それで、そいつは違う高校に進学したのか?」
「はい。以前に私は福島さんに、この学園に来た理由は進学や就職に有利だからとお話しました。確かにそれは事実ですが、同時にそんな彼と同じ高校になってしまうのが怖いと思ったからです」
「まあ、普通はそう思うよ。一緒の高校にいたら、ことあるごとに思い出してしまうだろうし、話を聞く分にそいつには少なからず人望もあったんだろう。そいつを支持するやつらに敵対視されるのも面倒だしな」
「……福島さんは、私のことを変だとは思いませんか?」
「オレが宮城のことを? どうしてそうなるんだ?」
自虐的な質問をしてきた真冬に対して、春希は素直に首を傾げていた。
春希から客観的に見ても、真冬は同じクラスにいる女子たちよりレベルが高いということは事実であった。育ちの良さ然り、成績優秀なところも然りである。それでいて、人との距離感を常に見ながら接しているところも、とても同じ高校2年生とは思えなかった。
「私が学校で他の方と接しているときと、今のように福島さんと話しているときでは、様子が違うと思うでしょう? 私は、学校でそのように振る舞っているのです。なるべく敵対視されないよう、ある程度の距離感を保っている。彼氏も作らなければ、同じ女子からも嫌われるようなことはなるべくしない。常にそんな考えを巡らせながら生きている人を、変だとは思いませんか?」
「……そうか? オレはそれで良いと思うぞ。何も変なことじゃない」
「……どうしてそう思うんですか?」
自分の想像とは真逆の答えが返ってきたこともあり、今度は真冬が首を傾げる番だった。春希は神妙そうな面持ちで、真っ直ぐに真冬と向かい合う。
「それを言ったら、オレの方がよっぽど問題だろ? 山形や秋田とは生徒会絡みで同じクラスだからという理由で話はするが、他のやつらとはほとんど話したこともない。要は、面倒なことに巻き込まれるのが嫌だから、人と関わらないようにしているんだよ。宮城は誰もでも仲良くすることが出来てるけど、オレはその正反対の存在だ。他の女子からオレの話を聞いたことくらいはあるだろ? いつも何を考えてるか分からないし、何で生徒会なんかやってるんだって思われてそうだからな」
「それは……彼女たちが福島さんのことを知らずに言っているだけなのではないですか? 確かに、周りの女子たちは福島さんのことを掴みどころのない人だと話すことはありますが、私はそうは思いませんよ」
「オレがここまで話をしたのは、宮城が初めてだよ。だから、宮城にはそう見えているのかもしれないけど、あいつらには別にどう思われていようと構わない。そういう考えを持ってるオレの方が、余程変な人間だろ?」
「それでも、私は福島さんのことを信じています。周りが知らない福島さんでも、私が知っていれば良いでしょう?」
真っ直ぐな視線を向けられ、春希はしばらくの間口を閉ざしていた。
真冬の言う通り、春希がここまで誰かに自分のことを話すことは珍しいことであった。同じ生徒会の夏や綾乃、それに青森渚や岩手透を相手にしたときでさえ、春希は本当の自分を見せたことは1度もなかった。それがなぜ真冬には素の自分を曝け出しているのか、春希自身もよく分かっていなかった。
「……そんなにオレのことを信用しても良いのか? 宮城がオレのことを信用しているのは良いが、お前のことを利用しようとしていた元彼と同じ男だぞ? そんな男の部屋に泊まっているだなんて、無防備過ぎると思わないか?」
「以前に福島さんが私に言ったことですよ? 福島さんにその気があるなら、私のことをとっくに襲ってるって」
「まあ、確かにそれはそうだが……お前はもう少し自分の可愛さを自覚するべきだと思うぞ? オレじゃなかったら、とっくの昔に襲われてると思うが」
「福島さんは、私のことを可愛いと思いますか? 私よりも変な福島さんには、私はどう写っているのでしょうか?」
「そうだな……」
真っ直ぐに見つめてくる真冬の瞳に、春希は思わず吸い込まれそうになっていく。このように特定の女子と関わりを持つことは初めてである春希だったが、不思議と違和感をそこまで持つことは無かった。
春希は、真冬のことをほとんど知らない。隣同士に住んでいるとはいえ、今までそのほとんどを勉強とバイトに費やしてきた春希にとって、真冬はただの隣人に過ぎなかった。それでも、真冬に対する意識は春希の中で少しずつ変わりつつあった。
「正直、宮城のことを誤解してたよ。どうせ、周りから王女様と言われて天狗にでもなってるんじゃないかって思ってた。周りの人間を見下して、高いところに1人でいるような、そんな風に思っていたよ」
「それはものすごい誤解ですね。まあ、それを言ったら私も福島さんのことを誤解していたようなものですから、特に気にしたりしませんよ」
「でも、本当は周りと同じ人間なんだなって思ったよ。家の鍵を無くしたり、ストーカーに追われたことで宮城とこうして話しているけど、ちゃんと芯の通った人間なんだなって思ったよ。きちんと勉強もして、生徒会の役割もこなして、人間関係だって円滑に出来ている。オレは今まで、宮城のことをただの隣人としか思っていなかったから、少しお前を見る目が変わったよ。だから、さっきのことは訂正する。宮城は、しっかりと自分の意思を持って生きている、立派な女の子だよ」
「……そんなこと、初めて言われました。福島さん、本当にそう思ってますか?」
「嘘でこんなこと言ったりしないさ。これでも、宮城と同じように関わる人間は選んでいるつもりだ」
「……眼科に行くことをお勧めします」
そう言うと、真冬は持参していた毛布で顔を覆い、春希から目を背けていく。真冬の言葉通り、そのようなことを言われたのは初めてのことであった。
今まで、真冬は誰とでも上手く接してきたつもりだった。中学のときの失敗を繰り返さないよう、浅く広くの人間関係を心がけ、踏み込まれそうになったときは自ら距離を取ったりしてきた。そのような生き方を肯定されたのだから、真冬の頭の中では様々な感情が混ざり合っていた。信じられないという気持ちもあれば、恥ずかしいと思う気持ちもある。春希と同じように、真冬もこうして誰かと話すのは初めてのことであった。
そんな結果、真冬は憎まれ口を叩くという結末に至ったわけである。
「まあ、眼科に行くことは考えておくよ。ほら、そろそろ電気消すぞ?」
「……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
春希がリモコンを操作すると、寝室の明かりが消える代わりに常夜灯が点灯する。淡いオレンジ色の光が寝室を僅かに照らし、春希と真冬はお互いに布団の中に入った。
「……福島さん、ありがとうございます」
「……気にするな。ここまできたら、ストーカーから必ず守ってやるから安心して寝ろ」
「……まだ起きてたんですか。恥ずかしいから忘れてください」
布団に入ってからしばらくした頃、春希の寝ているベッドの方に寝返りをした真冬が、ぽつりと呟く。真冬に背中を向けるようにして寝ていた春希は、真冬の心配を軽くさせようと返事をする。
真冬は少しだけ頬を膨らましながら、静かに眠りへと落ちていった。




