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国王代理のお仕事2




 ぎゅう。

「ひめさまぁ?」

 ぎゅう。ぎゅう。

「ひーめーさーま?」

 夜、ミレーユは自室で自身の侍女の一人に抱きついて離れなかった。

 メイド服の上からでも感じる温もりに安心感を覚える。

「何かありましたか? 些細なことでもお聞きしますよ?」

 ミレーユと似た背格好の侍女はトルマリという名前で、地方へ巡回に行くミレーユの身代わりとして部屋に引きこもる役目を持っている。ミレーユがいる時は普通に侍女としてお茶を用意したり身支度を整える仕事に従事する。

 年齢は十八歳と年上だが、他の使用人より友人に近い位置に立ってくれる有能侍女でもある。

「分からないの」

 立ったままぎゅうぎゅうとトルマリの腰に両腕を回してくっついて離れないミレーユの声はくぐもっているが、トルマリにははっきりと聞こえていた。

「自分が疲れているのか疲れていないのか、よく分からないの」

「そう言う時は疲れている証拠ですよ、姫様。マッサージします?」

「いい。こうしてる」

 正直に言えばソファに座るなりしたいが、そうするとすぐに寝てしまいそうだった。

 侍女に仕事をさせない悪い王女だと分かっているが、自分の部屋でくらい気を抜きたいのだ。

 護衛騎士の退勤時間を過ぎてからすぐにこの体勢になり、十分ほど経っている。

「ふふ、姫様の甘えん坊モードなんて久しぶりですね」

 巡回にも同行したサリが口元を手で隠しながら笑った。

 ベテラン侍女のマリエンヌが今は不在だからか和やかな雰囲気だけが部屋の中を満たしていて、ミレーユはトルマリから離れてサリに今度は抱きついた。

「……会議の後、部屋に戻る時にね」

 昼間の毅然とした王女の姿を抑えたミレーユの口調も子どものそれに近付く。

 大臣会議の後、一応大臣たちと鉢合わせる可能性を考慮して別の扉から自室に戻ろうとしたミレーユの耳に、お茶会を楽しむ令嬢たちの会話が届いた。

 先頭を歩いていたエヴァンの足が一瞬だけ止まったことに気付いて声を掛けると、経路変更の返事が来た。何か厄介な人でもいたかしら、と周囲を見渡せばいたのはお茶会を楽しむ令嬢たちだけ。一応給仕の使用人たちもいたが、経路を変更するような気を遣う相手ではない。令嬢たちはお喋りに夢中でミレーユたちに気付きもしていなかった。

「わたくしは断然、ウィルフィード宰相閣下ですわ! 若くして宰相となった手腕もそうですが、あの涼やかなご尊顔と知性を証明する片眼鏡が大変お似合いでいらっしゃって……!」

「分かりますわ! わたくし、何度かお父様にお願いして宰相閣下をお茶会にお誘いしているのですけれど、なかなかおいでくださいませんの。でも、丁寧にお断りのお手紙をくださるのですわ! その字がまた素敵で」

「わたくしは騎士団の団長様にいつかダンスを誘っていただくことを夢見ていますの。妻帯者と知ってはいても、憧れてしまいますわぁ」

「騎士団と言えば、ミレーユ王女の護衛騎士のお三方も素敵ではありませんこと?」

「今朝も伴っていらっしゃいましたわよね? 実はわたくし、あのほんのささやかなミレーユ殿下のご挨拶のために来ているようなものですの。皆様、秘密にしてくださいませね?」

 大きな声で秘密と言っては意味がないのではないだろうかとエヴァンは頭を抱える。

 恐る恐るミレーユを盗み見れば、目を丸くして固まっていた。

 カノンがミレーユの手を引いてすぐにその場から離れたのはまさしく英断だった。

 ルシウスは先に宰相執務室へと庭園を通らないルートで戻っていたからその場にはいなかったが、聞こえてくるルシウスと護衛騎士たちへの称賛を越えた黄色い声に居たたまれない気持ちでミレーユを送り届けたのだ。

 一般的な令嬢たちのよくある会話ではあったが、国王に代わって政務をこなし自由時間などほとんどないミレーユにとっては衝撃な内容だったに違いない。部屋に戻って侍女にお茶を淹れてもらって一息吐いている様子を見て騎士たちは心の内で安堵したが、ミレーユの動揺は騎士たちがいなくなってから現れた。

「姫様は、どのようなお気持ちになったのですか?」

 ミレーユからの話を聞き終えて、護衛騎士たちからの軽い引継ぎの中で何があったのかを聞いていたサリはまず感想を求めた。

 ベルン王国たった一人の王女で、国王に代わって政治を取り仕切ってはいるが、まだ十五歳の少女なのだ。

 それも幼い頃に母を亡くし、心を病んだ父に代わって大人の振舞いをするしかなかった可哀そうな少女なのだ。

 未成熟な部分が多いのも無理はない。

 ミレーユはぽつりと零すように呟いた。

「いつか、みんなが結婚したりして……私の側からいなくなったりする?」

「え?」

「姫様……?」

「結婚して子どもが生まれて、そしたらみんな私の元から去って行っちゃうの?」

 ぎゅう、とサリを抱きしめる腕に力が入る。

 サリとトルマリは顔を見合わせてミレーユの不安な様子に心配もするが、それよりも微笑み合った。

「それがですね、姫様。私たちはなんと、例え結婚しようと子どもが生まれようと、姫様の侍女を辞めるつもりはまったくないのです」

「そうですよー、姫様。勝手にお一人にならないでくださーい」

 サリはミレーユを抱きしめ返すと、トルマリも一緒になってミレーユを包み込むように抱きしめる。前から後ろからと侍女二人に抱きしめられたミレーユは「本当に?」と聞き返しながら腕に力をさらに込める。

「本当です。姫様が解雇しない限り、私たちは……マリエンヌ様も含めて、ずっと姫様の侍女です。きっと護衛騎士の皆様も同じ気持ちですよ」

 サリの言葉にトルマリが深く頷く。

 二人の言葉が本心だとすぐに分かり、ミレーユの表情から不安が消えた。

 専任侍女の三人は常々、ミレーユの不安について話し合っていた。

 王妃である母を幼い頃に亡くした影響が強く、周囲の変化を恐れている。しかしそれをミレーユ自身は気付いていない。だからこそ侍女は常にミレーユの精神の安定を最優先として行動している。

 結婚もしたいし子どもも欲しい。けれど、自分の人生をミレーユより優先させようとは思っていない。

 せめてミレーユに婚約者ができるまでは、現状維持に努めよう。マリエンヌを中心として侍女たちは結束を固めているのだ。

 護衛騎士と直接こういった会話をしたことはないが、カノンもエヴァンもトーラスも、ミレーユの護衛騎士を辞する気持ちは微塵もないと見ていれば分かる。

 特にカノンは、ミレーユのためだけに騎士になったも同然だ。

 サリとトルマリは、今日の護衛業務を終える直前のカノンの言葉を思い返す。

『姫様、明日も必ず俺が来ます。だから、安心してお休みください』

 ミレーユの手を取り額に付けるカノンの姿にエヴァンが「そこまでするか?」と呆れていたが、揶揄ったりはしなかった。

 嬉しそうな顔を隠し切れないミレーユに誰もが安心したのだから。

「安心したら、お腹が空いてきたわ」

「姫様、ご夕食がまだでしたものね。お部屋にお持ちしましょう」

「ええ。お願いね、トルマリ」





「姫様の様子は?」

 ミレーユの部屋を出たトルマリは、扉を閉めた直後に声を掛けられてにっこりと笑った。

「もう大丈夫です。明日にはまたいつもの姫様に戻られているはずです」

「……そっか。それを聞いて安心した」

 ほっと息を吐いて壁に背を預けたエヴァンは、騎士服の首元を緩めようとした手に気付いて首の後ろを掻いた。

「それじゃ、騎士団に戻ります。お疲れ様でした」

「エヴァン様、お疲れ様でした」

 丁寧に頭を下げてエヴァンを見送ったトルマリは、足音が聞こえなくなったのを確認してから顔を上げる。王宮勤めの侍女らしく凛とした立ち姿で見えない後ろ姿をしばらく見つめていた。

「……ふふ。今日はいい夢見れそう」





 宰相執務室にノックの音が響いた。

 部屋の主が許可を出すと、扉はすぐに開かれ、そして閉じる。

「少し、お時間よろしいでしょうか?」

 ノックをした人物――カノンは恭しく頭を下げて尋ねる。

「何かありましたか?」

 宰相執務室の主であるルシウスは持っていた書類の束を雑に執務机に置くと、応接用のソファにカノンを誘った。

「お仕事はよろしいので?」

「姫様の婚約者候補探しなので、急ぎではありません。姫様の前ではできないことですし」

 忙しいという理由でミレーユの婚約者問題は凍結案件だ。十四歳だというのに婚約者の候補すらいないのはいかがなものかと毎度の大臣会議で上げられる議題でもあるが、王妃のこともあって慎重になっていると言い張れば何も言われなくなる。王女も病弱であると噂を流している効果だろう。さらに婚約者にも何かしら問題があってはならないと言えば議題も上がりはしても一瞬のことだ。裏では大臣の令息を推す動きもあるが、ミレーユ本人が却下し続けている。

 ルシウスは宰相として考え続けなければならない最重要案件としてミレーユがいない時間を見計らって候補を探し続けているのだが、自身も婚約者を持たない身だからなのか、選考基準に不安が多い。

「その候補の中に……」

 お茶を用意させようとかと扉を外を向いたルシウスにカノンは言った。

「自分の名前を加えておいてもらえませんか?」

「理由をお聞きしても?」

 間髪入れない聞き返しにカノンは喉の奥に力を少しだけ入れた。

「万が一にでも姫様が婚約者を探すと仰せになった際に知った名があれば、選ばれずとも笑んでくださるかもしれません」

 言葉は冗談のように聞こえただろう。その証拠にルシウスの鋭い視線がカノンを突き刺している。だが、カノンは冗談では言っていなかった。

「自分は騎士です。王女殿下の護衛騎士という職ですが、殿下の身に何かがあれば迷わず身を投じる覚悟があります。そのため婚姻を望んでは……いえ、貴殿にそういった話をしても意味はありませんか。自分は、騎士という職を誇りに思っています。命を落とす可能性を否定できないからこそ伴侶を得るつもりはありません。ですが、姫様は別です。姫様が自分を望んでくれることがあったなら、自分は――男として姫様だけを求めます」

 騎士らしい決意の固い表情をしている、とルシウスはどこか遠く離れた場所での出来事のように感じた。

 飲み屋の席でこういう人がいるらしい、と又聞きしている感覚に近い。

 目の前の人物はよく知る人物だというのに。

 王女の護衛騎士とした立派な地位を持ち、生まれも貴族の家だ。ミレーユが伴侶にと望めば届かなくもない距離にいて、すでにミレーユからの信頼も得ている。

 なるほど、こういったところにも候補はいるものなのかと気付きを得た。

「なので、貴殿の名前も入れておいたらどうですか?」

 執務机の上に置いたままの書類の一枚に後で書き留めておこうかと考えていると、さらなる提案に思考が止まった。

「なぜ?」

 純粋に疑問に思い、首を傾げた。



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