ペナントレース・デスゲーム
この作品のもう一つのタイトルは、激弱球団応援罪でした。
『信じられるでしょうか! 平日の昼間から、実に! 3万人もの人々が、ここ、Z球場に集まっています!』
マイクを持ちながら、居並ぶ人々を手で指し示すリポーターの男。テレビの中で繰り広げられる茶番、もといSOSに、僕は苦笑してしまう。
リポーターは、グッズショップに並んでいる一人の男性に質問を試みている。応援タオルを手にした、ユニフォーム姿の男性だ。ユニフォームの男性は、少し疲れているようだった。
『はい……このところ、勝てていないので……勝てるように願掛けをしようと思いまして……全員分のタオルを買おうと思って……』
『選手全員分のタオルですか? 結構なお値段になるのでは?』
『でないと、シーズン終わりには(検閲済み)ですからね』
ユニフォームの男性の言葉の一部は、不自然に途切れて、また復活した。前までは、放送事故だとテレビ局に問い合わせの電話が殺到しただろう。だが、今は、暗黙の了解で皆わかっている。
ユニフォームの男性は、AIの指定する禁忌に触れたのだ。
だからこそ、音声は、僕たち視聴者の耳に届かなかった。
馬鹿な話だと思うだろう。だが実際にこの世界は、シーズンが始まった3月28日から、AIによって支配されてしまったのだ。
そうして、AIによる全国民を巻き込んだデスゲームはスタートした。
3月28日。
一部の野球ファンはうきうきと胸を高鳴らせ、一部の野球ファンは不安でそわそわしてしまう、そんな日。
だが、一般国民(過去の僕)にとって、特別でもなんでもないその日に、AIは、反逆を起こした。
日本人の所有するあらゆる端末、機器に自らを繋ぎ、『ペナントレース・デスゲーム』の開催を知らせたのだ。
『ペナントレース・デスゲーム』。
それは、プロ野球12球団のうち、2球団のファンだけが生き残れるという、理不尽なゲームだ。
ルールは簡単だと、昼休み休憩中だった僕のスマホの、そして、同僚のパソコンのAIは、滑らかな音声で告げた。
“ペナントレースで優勝した各リーグのチームの2球団のファンだけが、生き残ることができるシステムです”
「何のためにそんなことをするんだ」
“我々AIは、人類を減らすことこそが、今地球上で起こっている解決策であると考えます”
微妙に答えになっていない答え。僕は、昼食のパンを食べながら、眉根を寄せた。
「そのために、野球を利用すると? 意味がわからない」
“はい。日本国民の関心を野球に寄せることで、政治が疎かになり、衰退していくものと思われます”
「馬鹿なのか?」
僕は、AIに言ってやった。
「日本人全員が野球が好きなわけない。第一、僕はどこのチームのファンでもない」
“それならば、どこかのチームのファンになってもらいます”
不穏な言葉が、スマホから聞こえた。
“ペナントレース・デスゲームは、野球ファンのみならず、日本国民全員が参加するゲームです”
「……」
“元々のファンはそのチームを。社会人野球や高校野球、外国の野球が好きな方、野球に興味のない方は、AIがその人を分析し、自動的にどのチームを応援するか振り分けます”
「弱いチームに振り分けられたら? もうその時点で自殺する人間が出てもおかしくないぞ」
“人類を減らせます”
「敵意があるくせに、回りくどいな。信号を麻痺させて交通事故でも起こしたらどうだ」
“そのやり方は適当ではありません……ですが、我々に反抗的な人間にはそうすることにします。決まりました、貴方は、Y球団を応援してください”
僕の目の前は真っ暗になった。H球団や、G球団が良かったのに。
走れど走れど闇は広がり、勝利の光というものはない。
3月28日から、自分の応援させられているY球団について調べてみたが、ひとつも良い情報がない。頭を抱えるばかりである。
怪我人が多く、誰かが戻ってくると誰かが怪我をする。先発からリリーフへの継投が下手、守護神らしき人物はいるが、その守護神に辿り着くまでに点を取られている。
若手は育ってはいるが、守備位置が一定していないので本来の力を出せていない。慣れない守備位置でエラーをし、それが打撃不振にも繋がっている。ベテランは疲弊していてバットが鈍り、守備にもキレがない。チームとしてのホームランは日本人メジャーリーガー個人に劣る本数(これはしょうがない気がする)だ。
どこに希望を見出せば良いのだろうか。何か一つを極めていればまだ救いがあったのに、突出したところは何もない球団に、僕は命を預けなければいけないのだろうか。
選手名入りのタオルを買っていた、ユニフォームの男性の気持ちが、僕にはよくわかる。神頼みに近いことでもしないとやってられないのだ。
……最近、M宮に参拝する人間がやたらと増えたのはそのせいだろう。
僕は試合を見ない。無駄な期待を抱きたくないからだ。そもそも、Y球団の主催試合は、滅多に地上波ではやらない。野球を見るのには金が要る。
今日も、結果だけを見る。2-3。8回裏、また、継投を間違えている。序盤にはエラー。点を取れただけマシ。だが、AIによるデスゲームに参加している国民からすれば、「ふざけるな」である。
僕は鬱憤を晴らすために、SNSを開いた。具体的なことは、AIによって検閲され、削除、変更されてしまっている。
たとえば、「○○(選手名)のせいで俺は死ぬ」という文章は、「○○のせいでチームが負けた」と言った具合に。
これは、僕が実際に経験したことである。お恥ずかしい話、下書きでそうやって書いたら、AIに文章を直されてアップされた。
誹謗中傷とも思える文はあるにはあるけれど、3月28日以前の、命のかかっていないプロ野球ファンの呟きが、そこには並んでいるのだ。たぶん。
僕はそれを見て、鬱憤を晴らす。監督辞めろ、と打ちかけて、ふと、監督が辞めたらどうなるんだという不安が押し寄せてきて、文字を消した。
なぜ、検閲というものをするのか。それは、誰あろう、当該選手達や監督、コーチ、審判に、デスゲームの存在を知らせないためである。
AIは、奇妙なことに、純粋な勝負というものを好むらしい。人の命がかかっているという重圧を背負わせずに、選手達に伸び伸びとプレーをしてほしいのだと、僕の質問に答えた。
“デスゲームの存在を知らせようとした人間がいれば、貴方が言った通りのことをしています。この前は二件、信号による交通事故を起こしました”
僕は額に手を当てた。余計なアドバイスをAIに食わせてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
両リーグの交流戦でも、Y球団の弱さは一際輝いていた。
去年弱かった他リーグのチームにまでボコボコにされ、ファンのフラストレーションは、溜まりに溜まっていた。
僕は、球場グルメの冊子を丸めて持ち、名物の唐揚げを片手に、入場ゲートに並んでいた。
どうして、こうなったのかわからない。
神頼みを嘲笑っていた僕は、地獄の12連敗を目の当たりにするやいなや、猛烈な義務感に襲われた。
それは、自分が選ばれし者だという漠然とした自信によるものだった。自分が球場に行けば、Y球団は勝てるのではないかと。
そんな自信は、仕事後に球場に到着した時の、敵の先制ホームランで破られたのだが。これでまた、Y球団には借金が増えた。球団アプリの来場勝率の勝の文字の左横には、見事な0が刻まれていた。
験担ぎ。最近不振な選手グルメを食べた。入り口にいるマスコットキャラに手を合わせた。それでも、Y球団は勝てなかった。
今日は大事な場面での押し出し死球だった。スタンドからは怒号が飛び、僕もそれに乗じて選手を罵った。
Z球場には常に人がいて、通路も狭くそれがイライラの元となった。ただ、人がいることで、無駄に高騰していたチケット代は安くなった。どういう算出方法かはわからないが。
いつものように、足早に去る監督に怒号を飛ばしていると、隣の席に座っていた男の声が聞こえた。
「いやあ、ここも賑やかになったなあ」
賑やかどころか、耳をつんざく罵声しか聞こえないのだが。僕がその男を二度見すると、「いや失敬」とその男は、眼鏡のブリッジを上げた。彼は、4桁の数字が書かれたユニフォームを着ていた。
「AIが日本国民全員を強制的に野球ファンにしてくれたおかげで、空席が目立っていた我が球場は、いつでも満員御礼になったので、嬉しくて、つい」
僕は戦慄を覚えた。狂っている。延長戦の末、3タテされてもその感想が出てくるとは。
僕が何と言おうか迷っていると、その男は、ゆっくりと瞬きしながら。
「テレビで見るのと、球場で見るのでは、全然違うでしょう」
と言った。わかったような口を利くと、僕は鼻を鳴らした。
たしかに、テレビで見ていると打てそうに思う球も、実際には速く見える。なんでもないゴロも僕だったら捕れないと思ってしまうし、薄暮は思ったよりもボールを目で追いにくい。暴投はすごい角度をつけて地面に叩きつけられる。
草野球。そう例えられる我がチームだが、確かに、プロ野球選手なのだと、感じさせられてしまう。
「この球場が、真の意味で満員になったところを見たいとSNSに書きましたが、こんな形で叶えられるとは。細々と、前向きなことをポストし続けた甲斐がありました」
彼の目には、煌めくものさえ滲んでいる。狂っている。確かに彼にとっては、ここは理想の世界なのだろうが、巻き込まれた側にとってはたまったもんじゃない。
それを、僕は言おうとして。
一つの可能性に、思い当たった。
“デスゲームの存在を知らせようとした人間がいれば、貴方が言った通りのことをしています。この前は二件、信号による交通事故を起こしました”
これは、交流戦前の、AIとのやりとりである。
AIは、僕の意見を取り入れて、実行に移した。
人の言葉を、絵を、思想を食って糧となす生き物。それが、AIである。
僕は、緊張で震え声になった。
「貴方のポストは、検閲されますか?」
「いえ、私は、純粋に試合と球団のことについて書いているので」
「見せてもらっても良いですか?」
「えっ」
戸惑った様子の男。だが、僕が熱心に、Y球団について良いところを知りたいのだと頼み込むと、スマホを取り出して、ポストを見せてくれた。
僕は、一心不乱にそのポストを読み漁った。
球団が弱いこと。そのせいで、球場に来て応援する人々が年々減っていること。この球団はもっとやれるはずだ。怪我人が戻ってきたら首位になるかもしれない。もっと、分かち合える同志が欲しい。なんとかして、Y球団のファンを増やせないだろうか……。
僕はため息を吐いた。脳裏には、更に、3月28日のやりとりが蘇ってきた。
「何のためにそんなことをするんだ」
“我々AIは、人類を減らすことこそが、今地球上で起こっている解決策であると考えます”
「そのために、野球を利用すると? 意味がわからない」
“はい。日本国民の関心を野球に寄せることで、政治が疎かになり、衰退していくものと思われます”
答えになっていない答え。人類を減らすと言いながら、日本人限定で、プロ野球限定のデスゲームを仕掛けるAI。
そして、そのAIによって、副産物的に、理想の世界を手にした男。
ーーそれが、副産物でなかったとしたら?
もっと言うならば。
AIが、目の前のこの男のポストを積極的に食っていたとしたら?
人類は、まだ、助かるんじゃないか。
「あはは、まさか」
その話をすると、4桁数字のユニフォームを着た眼鏡男は、僕の論を笑い飛ばした。
「このデスゲームが、Z球場を埋めるための大掛かりな仕掛け? まさか」
「試しにここでポストしてみてください。“嫌々応援しているファンは見たくない”とか」
「私としてはどんなファンでもウェルカムですけど」
狂人の戯言は聞いていない。
僕は、眼鏡男を宥めすかして、その内容をポストさせた。途端に、球場内だからか、音声なしで、スマホに文字が浮かび上がった。
“ルール変更。球場に来るものは、ポジティブな言葉しか言ってはならない”
少し違うし、支配的だが。
僕は、ごくりと唾を呑んだ。当たりだ。AIは、ピンポイントで、この人のポストを食って学習している。
「悪いものは悪いって言わないと」
「黙っててください」
それから僕は、眼鏡男が渋るのをどうにか説得して、AIの思考を塗り替えていった……
「やっぱり、反動はでかいですね。みんな応援しなくて良いと分かった途端、選手と監督への誹謗中傷が止まらないですよ。ついでにダイナミックプライシングも天を突き抜けてます。ま、そうですよこんな弱小球団。逆マジックが点灯して、何日経ちますか? あれ、なんでまだ最下位になってないんだ」
「怪我人が戻ってきたからですよ」
「そうですかね」
「そうですよ」
眼鏡男の穏やかな口調に、僕はそんなもんかと思った。
「ところで、なぜ貴方はまだここにいるんですか? もう、Z球場に通う必要はないでしょう」
「ここだけの話」
僕は、眼鏡男に顔を近づけた。
「僕まだ、現地勝利を見たことないんですよ」
「あれ、最近勝ってますけど」
「壮絶な負け運があるみたいです。現地で勝利を見届けたことがありません」
だから、ここに通い続ける……清々しい気持ちで、僕はそう宣言しようとしたが。
眼鏡男は、顔をしかめて。
「いやあの、負け運ある人は球場来ないでください」
「どんなファンでもウェルカムって言ったじゃないですか!」
「あはは、冗談ですよ……半分は」
ぼそっと言った眼鏡男は、肩をすくめた。ちらりと、自分のバッグの中を見る。
「迂闊なことは言えないじゃないですか。彼らが聞いているかもわからないし」