誘えない彼女と素直な彼氏
階段の踊り場にて。美人な彼女に、壁ドンやら耳打ちやらをされて、俺の心臓に大変悪かった。どくどく、と波打つ音が、いやにはっきり届いていた。
「夏目くん」
男子には塩対応で有名な雪白さんは、今はちょっと表情を和らげて、俺を見ていた。妖艶に微笑み、引き締められた桜色の唇の端が、ほんのりと上がっていた。
うん、もう一度言おう!
塩な雪白さんが、俺だけを見て微笑んでいる。
彼女の瞳に映るのは、彼女により陥落した耳を押さえる俺…
……だけ。
雪白さんの視界をまるで俺が独占してるみたいに。雪白さんが、俺だけを見てくれて、しかもちょっと笑いかけてくれてるみたいな。
か、可愛い。
え。
どうしよう、雪白さん。
俺まんまと雪白さんにハマっていってるんだけど、この調子で大丈夫かな。
俺単純だから、こんなことされたら調子乗りそう。
うーん。
………いや、大丈夫。大丈夫、俺は自分の立ち位置は分かってる。
俺は、モテモテの雪白さんの男避け代わりの彼氏。俺は雪白さんを好きだから、雪白さんにこの恋人期間中に、俺を少しでもいいなと思ってもらう。
あわよくば好きになってもらう。
あわよくば。
うん、おっけい。目的はハッキリした、夏目朝日。
だいじょーぶ。
「教室、戻りましょ?」
「う、うん」
俺は彼女に頷き返して、2人で教室までの廊下を歩いた。雪白さんが、ねえ夏目くん、と俺の名を呼んだ。
綺麗な輪郭が、前を見たまま微動だにしない。
ぱちり、と長い睫毛が数度伏せて、ちょっと口がすぼむ。きゅうと、眉が寄った。
「……お、追いかけたわけじゃないわ」
「ん?何のこと…?」
「べっ、別に、その、全然ね…?な、夏目くんが告白されるかも、って慌てて追いかけたわけじゃないわ、決して。心配になっていてもたってもいられなくなったわけじゃないの、全然、うん、全然」
「…?う、うん。そうだろうね…?」
あ。何のことかと思ったけど、アレか。
俺が乃亜に告白されてる最中に、雪白さんがタイミング良く現れたものだから、その弁明なのかな。
たまたま通りかかっただけ、って言いたいんだと思う雪白さんは。いえす、いえす。分かってますとも!
だってそうじゃなきゃ、何故雪白さんがタイミング良くあの場に居合わせてたのか…!
男避けの彼氏が告白らしきものをされてるからといって、雪白さんが追いかけるメリットも必要性もない。
だって、俺にこだわる理由ない……!
がーん。
そうだ、何かあったら俺は即終了っ…。
雪白さんは次の人を探してしまう。
愛想尽かされないようにしなきゃいけない。
不平等…!でも、惚れた弱みだから、しゃーない!
俺はどう頑張るべきなんだ……!
誰か教えて。
急募:美人な彼女に好きになってもらう方法。
何だか見えない視線を感じた。俺が見ると、雪白さんの目がこっちを向いていないこそすれ、すぅ…と明らかに細くなっていた。
雪白さんが、隣に並んで歩く俺の腕をノールックで、つんつんと人差し指でつついた。
ふぁぁ…!?
雪白さんが、俺に触れた…!
しかも、つんつんて。つんつんって、何?
何でそんな可愛いことしてきたのか、このクールビューティーさん。
「……ねぇ、夏目くん。私の話は、聞いてるかしら?」
「ごめん。雪白さんが可愛いことしてきたから、頭全部占領されてる。指でつつくだけで、俺に多大な幸福感を与えられる雪白さんって、すごいね。幸せにしてくれてありがとう」
「へぁ……っ、え、な、何ぃ……?も、やだ……何でそんなこと言うの夏目くんは、何で真剣な顔してさらっと言えちゃうのよもうぅ……」
「どうかした雪白さん?」
「な、何でもないわ……!」
雪白さんが何と戦っているのか、むむむっと眉を寄せた。自己暗示するかのように、表情を控えていた。どうしたんだろ。
「こ、こほん。私は、貴方とあの子の告白現場をつけていたわけじゃないの。私、夏目くんのことを用があって探してたのよ」
「俺に用事…?」
「ええ」
雪白さんがブレザーの胸ポケットから、チケットのようなものを取り出した。
弁明しておくけど、不可抗力だ。胸ポケットから取り出すから、当然視線が向いてしまった。雪白さんの手で、ちょっとふよんとなった胸に、邪な気持ちをもっちゃいかんじゃろと俺は自分に言い聞かせた。
邪な気持ちは抱かなかったが、もう一度見た。
……不可抗力だ。
雪白さんは、ひらひらと2枚の紙を揺らした。
そこに印字されてる文字と、煌びやかな写真は、俺も見覚えがある。
県内にあるテーマパークのチケットだ。しかも、入園料とアトラクション乗り放題のフリーパスも兼ねた、万全に楽しめるチケットであった。
「し、知り合いに貰ったの。2枚、ね」
「そうなんだ。楽しそう。このご時世、チケットもなかなか高いから、めちゃくちゃラッキーだったね」
「え、ええ。そうなの。………」
「………?」
「………えと………」
「………うん」
雪白さんは何か言いかけて、しかし、憚られたように閉口する。俺は、何かを言いたげな雪白さんの言葉を待った。雪白さんが言いやすいように、人当たりのよさそうな笑みで聞いていた。
「………」
「………」
チケットは、雪白さんの手の中で変わらず、ひらひらしていた。雪白さんは、俯いた。
待てど暮らせど、その言葉の続きは語られず。
……え。お、俺の笑った顔って、寧ろ威圧感を与えてしまった?
言いにくくさせてしまった?
こ、これでも笑顔は見てて気持ちがいいって、褒められるくちなんだけど……
ど、どうしたらいいんだ。
何か俺から、言った方がいいのか?
「雪白さん。えっと、俺に用事っていうのは、そのチケットが関係してる?」
「……っ!…そ、そうだけど……い、いいえ、そうじゃないわ、いや、そ、そうなの……やっぱり、そうじゃないけど、そうだわ……」
どっち……?
雪白さんの言葉を待つ俺と、何だか言うのを躊躇う雪白さんの構図再び。
「………」
「………」
沈黙が、訪れた。
雪白さんは俯いたまま、肩をすくめた。
はあ、とため息をついて、俺にチケットを差し出した。
「………あげる」
「…え?」
「2枚とも、貴方にあげる。お友達でも、誘って頂戴」
「いいの?」
「うん」
俺は、差し出されたそのチケットを2枚とも受け取った。そのチケットは、胸ポケットに入れてたにしては、角も曲がらずに、綺麗な状態だった。雪白さんの性格が、よく出てるなあと思った。
「本当に、いいの?2枚とも?」
「うん」
雪白さんの表情は、どこか浮かない。いつも男子に向けている塩対応の顔とそう差異はなかったけど、何となく元気がなかった。
「……雪白さん」
「え?」
雪白さんが、ちょっと目を丸くした。
俺が差し出したチケットの1枚に、驚いたように顔を上げた。
「その……雪白さんから2枚譲り受けたけど、一緒に行く相手が、雪白さんというのはありですか…?雪白さんと行けたら、絶対楽しいし、嬉しい…から」
「………っ」
雪白さんの瞳が揺れた。
ほんのわずかに、彼女の口が開いた。
俺は、はっとした。
よく分かんないこと言ってしまった。そもそもコレ雪白さんのチケットだし、お前何自分がチケット買って誘ったみたいに言ってんだっていう天の声が聞こえてきた。
は!
自分で持ってたほうが絶対にいいのに、2枚とも俺に譲った雪白さん。もしかして、テーマパークは苦手とか?なのに、誘ってしまった。
いや、ま、まあ……
言うだけ言ってみろ精神全開です、こちら。
でも、俺もしやとんちんかんなこと言ってる…?と不安になってきた。
「…あ、いや、何か流れで受け取ってしまったけど、こんな豪華なチケット貰うのはやっぱ、申し訳なさすぎる!雪白さんが、持っておいた方がいいよ。雪白さんも、誰か友達とーーーーー」
「行く」
「え?」
雪白さんは、俺を真っ直ぐと見つめた。
「行く………貴方とその……行くわ」
意志のこもった瞳が、彼女が心から言っているのだと俺に教えてくれた。
俺の不安を、吹き飛ばす魔法みたいに。
俺は安堵で気が抜けて、小さく笑った。
「………ほんと?嬉しい」
「……っ、よ、…お互い、予定、確認したら……また決めましょ…」
雪白さんが、ごにょごにょと唇を中央に寄せた。
ちょっとそっぽ向きながら、でもその耳がほんのり赤かった。
初デートの約束、嬉しいことにできました。




