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【貴方の底なしの優しさを知ってるから】

入学式の日、朝からお腹が痛かった。

食あたりではないと思う腹痛だったのだけれど、何でこんな日に…と汗を滲ませながら、あまりの痛さにトイレで悶絶していた。


高校初日に、何でこんな目に。


でも休みたくなかった。

新入生代表の挨拶を、事前に任されていたからだ。


うちの高校は、入学試験のトップが、新入生代表を代々務めている。私はそれを決して誇示したいわけではなかったが、それでも休みたくなかった。

無人の壇上で「新入生代表は欠席です」なんてアナウンスされたら、恥ずかしい。


……今思えば、その場合は代わりの人が用意されていたんじゃないかと思うけれど、当時はそんな考えに行き着かなかった。

入学早々任された挨拶を放棄したら、自分が責任感のない人間に思われる気がして。


薬を飲んで、重い身体を引きずって何とか外に出た。

両親は来れないと言っていた。仕事の忙しい人たちだから、仕方がない。

でも今日は居てくれたら、車で送ってもらえただろうにな……


兄も大学の授業があって、既に家を出ていた。両親が出席しないのを知った兄は「俺が行こうか?」と言ってくれていたけれど、私が来ないでと断っていた。

やっぱり、頼めば良かった……。



汗をぐっしょりとかいて、呼吸をする度に悪寒がした。暖かい春の季節にブレザーまで来てるのに、寒かった。


よろよろと駅の改札を抜けて、ホームで電車を待った。幸いにも電車はすぐに来た。

それに乗り込んで、隅のほうで壁に寄りかかる。

目的の駅に着くまで、停車駅は7ある。

痛みを我慢してそれを1つひとつクリアした気分にして誤魔化し、あと5駅、4駅、3駅……と心の中で数えていた。

早く着いて……


目的の駅に着いた。

後は学校へ歩くだけ。


あとちょっと、ちょっと……


道でうずくまった。

駄目だった。

あまりの寒さに震えて、腕をさすった。歯がカチカチと鳴った。


周りの通行人の人たちは、突然道の端でうずくまった私を不思議そうに見ていた。あるいは心配そうに、あるいは怪訝して。


うちの高校の制服を着た生徒も、沢山通りかかった。

入学式だから、手伝いの上級生を除いて、大体は同級生だろう。

ああどうしよう、変な目で見られてる……


痛いし、寒いし、こんなん最悪。

やっぱり休めば良かった。

何でこんな日に……


涙がじんわりと、目尻に浮かんだ。


「ーーーー大丈夫?」


それはすっと通った声で、透明感のあるテノールだった。


私は顔を上げた。

それは、色素の薄い茶髪に、ブラウンの瞳。細い目元の私と違って、くりっとしている。

くっきりとした二重の瞼も、女の子からしたら羨ましいものだった。


エネルギーに満ちた明るさでいて、爽やかな軽やかさを纏った……私とは正反対の、青春ど真ん中を生きているような人だった。


「寒い?……ちょっとごめんね」


その彼は私の横にしゃがみ込んで、心配そうな声遣いで、私の汗をハンカチで拭った。ほとんど触れたか触れてないか分からないくらいの触りだった。


ひんやりとした汗が消え去って、少しましになった気がした。


「し、新品だから、安心して。……ごめん」


おずおずと私にそのハンカチを差し出した。


果たして、何に言い訳をしているんだろうか。

彼の目は狼狽えていてまるで痴漢だと疑われて必死に弁明しているみたいな口ぶりだった。


「今は動きたくない、よね」

「…………」


声に出せなかったけれど、私は彼の問いにこくん、と頷いた。汗が滲む。

彼はちょっと困った顔をした。どう扱えばいいのか迷ったんだろう。


「保健室の先生をここに呼んだ方がいいか、保健室まで運んだ方がいいか……」


学校の敷地までは、そう遠くない。

だからこの2択だったのだろう。


彼はほんの僅かの時間、迷ったように黙った。

しかし思ったよりも早く決断して、彼はブレザーを脱いだ。

視界が上手く開かない私は、彼の突然の行動に一体何だろうと思った。


答えはすぐに分かった。彼は私にくるりと背を向けた。屈んだまま、地面に近いところで手を伸ばした。


「乗れる…?」


おんぶして運んでくれるということだろうか。

つまり早く保健室に行こう、ということ。


嘘だろう。高校入学早々、同級生の男子におんぶされるなど誰が予想してただろうか。


絶対重いし、細身の彼じゃ無理だ。


「………や、それは、申し訳……な……」

「申し訳ないというのが理由なら、遠慮しないけどいい?」

「……え…?」


意外にも、ここからは見た目に似合わず、彼は強引だった。

私が有無を言わないうちに私を背中におぶり、ゆっくりと歩き出したのだ。細身なのにどこにそんな力が……と思ったけど、意外にも彼は腕が太くて、背中は広かった。


それから、彼は私の腰のあたりから、自分のブレザーをふわりとかけた。何だろうと思ってたら、ブレザーを脱いだのはこのためだったらしい。

私のスカートからちょうど足が覗いていた部分だったので、彼の配慮の中でこれが本当に、一番ありがたかった。


私の足が周りから見えないようにブレザーで覆い隠しながら、彼はよろめきもせずに学校へと向かった。

私をおぶって、ブレザーもずり落ちないように手で支えながら、振動のないように安定した足取り。


……初手で、こんなスマートな対応をできるなんて、私はこの時、彼には姉か妹でも居るのかと思った。


のちに彼が兄2人の下で育った末っ子だと知って、じゃあ彼にこの正解を教えたのは誰かしら元カノか?と嫉妬でしばらく大変だったのは、今の彼には内緒だ。


私の靴が当たって、彼のブレザーは砂まみれになっていた。ごめんなさいごめんなさい。


「ブレザー………」

「え?ああ、俺どうせすぐ汚すから。中学ん時も、母親に何でアンタ汚して帰ってくるのよって怒られたし」


あはは、と彼は静かに、なんてことないように笑った。そうなのかしら、と私は半信半疑でいつつも、結局は彼の優しさに甘えた。


恐ろしいことに、これはまたのちに、私に気を遣わせないための嘘だったと判明する。

彼は寧ろ、几帳面の部類だった。

ブレザーはいつも綺麗だった。


彼は建物の中には入らず外を歩いて、保健室へとそのまま向かった。

こんな格好なので、生徒でごった返している建物内は注目されるのを避けて、私に気を遣ってくれたのだろう。


幸いにも保健室には外から通ずるドアがあり、彼は私をおぶったまま、そのドアをノックした。


中から保健室の先生が出てきて、「あらま!」と彼におぶわれている私と、彼とを交互に見て驚いた。


「彼女、具合が悪いみたいなんです。ベッドで寝かせてもらえませんか」

「ええ、ええ、もちろん。中にお入りなさい」

「ありがとうございます。失礼します」


彼は靴を脱いでから中に上がり、私をベッドまで運んで、優しく下ろしてくれた。

しゃがんで、私のローファーを脱がしてくれた時は、シンデレラってこんな目線だったのかなとぼんやり思った。


「………新入生、挨拶………」

「え?」


私が熱に浮かれながら、ボソボソと呟いた言葉に彼が小さく声を上げた。


まずは礼を言えこのばかもん、と今の私なら当時の私に叱りつけているところだが、その当の本人は意識が朦朧としていてそれどころではなかった。


ぼんやりとした頭で、やらなきゃいけないことを必死に思い出していた。


「もしかして、君って新入生代表挨拶する人?」


何であの単語聞いただけで分かったんだこの人、と当時は思ったが、そうなのだ。


私は今でこそ彼に恋愛方面に関して「鈍感鈍感鈍感」と言いまくっているが、彼はその他方面に関しては総じて鋭い人なのだった。

1言っただけで、10分かってくれるタイプの人だった。

……本当に、恋愛方面以外は。


彼はうんと頷いた。柔らかく微笑んで、任せてと目を細めた。


「俺、じゃあ担当の先生を探して、伝えてくるね。ここでゆっくりしてて」

「…………ありが、とう」

「いいえ」


本当、この人は何から何まで無駄のない人だった。予め正解が分かってるんじゃないかというくらい、スマートだった。


彼が去った後、私は瞼を閉じた。

意識が朦朧とする中、彼にひたすらありがとうと言いながら、やがて…………





私は、は!と飛び起きた。

つけていた腕時計で時間を確認すると、午前11時28分。


ーーーすでに入学式は終わっている時間だった!


私が混乱していると、気付いた保健室の先生が声をかけてくれた。


「具合はどう?」

「あ、お、おかげさまでだいぶ……えっと、入学式……」

「もう終わって、新入生は皆んな自分のクラスに移ってるわ。あとは軽くホームルームだけして、解散かしらねー」

「えええ!?」


私は目をひん剥いた。

とんだ大失態だ。入学式を寝過ごすなんて!


「………え?え?」

「ああ、説明するとね。あの後、あの男の子……夏目くんって言うらしいのだけれど、彼が戻ってきたの。担当の先生に貴方の状況を伝えてきて、ぎりぎりまで貴方の具合次第で式に出すかどうかを待つことになった、と教えてくれたわ」


親切だった彼の名前は……夏目くん、と言うらしい。


私が眠りこけている間に、彼は担当の先生への連絡まで済ませておいてくれていたらしい。

それなのに、私ときたら!

帰って来たら私が眠っていて、彼もたいそう驚いただろう。


んぁぁ!し、死にたいぃぃ……!!

私は頭を抱えた。


「ふふ。彼、優しかったのよ。ぎりぎりまで貴方のこと待ってあげて、貴方がうなされてたから起こすのが忍びなかったんでしょうね。貴方を寝かせたままにすることにして、自分は入学式に行ったの」


やっぱり、死にたい。

まさか私なんかの寝顔を見られたのかしら。


私は、もう1つの気になることを思い出して、がばっ!と布団から起き上がった。


「し、し、新入生代表挨拶は……?」

「ふふ。さあ、誰かしら。…あ、でもさっき貴方のクラスの担任の先生が様子を見に来て、ついでに教えてくれたわ」


保健室の先生は、それからちょっとおかしそうに笑った。まるで、全部分かっているみたいに。


「今年の新入生代表は、()()()()()()()()()()()()()()()()だったーーーらしいわよ?」


んあぁぁぁ……っ!!!


私は頭を抱えて、悶絶した。

そんなの、1人しか居ない。


最後の最後まで何してるの、私………!!





******



保健室の先生に、彼のクラスを教えてもらって、教室を覗いてみた。彼は既に周りと打ち解けていて、男女グループの輪が出来ている。


私はそれを教室の入り口から、じっと見ていた。


ポニーテールの女子が「ねぇねぇ」と夏目くんに話しかけた。


「夏目くんって、すごいねー。新入生代表って、一番頭良い人でしょ?」


ポニーテールの女子からの言葉に、夏目くんはおかしそうに吹き出して、ひらひらと手を振った。


「いやや、違うんだ。本当は7組の雪白璃衣さんって人。すごく綺麗な人だった。俺は代理で。じゃなきゃおかしいじゃん、俺バカだもん」

「えー、嘘ー」

「ほんと、ほんと。今度の中間テストの結果でも見たら分かる」


ポニーテールの女子がきゃきゃっと、彼と楽しそうに話していた。今日が入学式とは思えない、親密ぶりだ。


ふ、ふーん?

やっぱり夏目くんは、そっち側の人間だったのね……

手慣れてると思ったのよ。

べ、別に?私モヤモヤなんかしてませんけど?


近くにいたツーブロックの男子が、驚いた顔をした。

彼も夏目くんに話しかける。


「でもそれにしても、堂々としてたじゃん。あれで代理?すごくね?」

「そうかー?まあ、でも人前で話すの、そんなに緊張しないタイプなんだ。中学の時、生徒会長してたし」

「あーどうりで」


会話の内容から察するに、夏目くんは急遽新入生代表挨拶を任されたのにも関わらず、それを悟られない堂々としたスピーチをしたらしい。

嘘でしょ?まさか原稿なし?


わいわい、と盛り上がっている彼の周り。

人に話しかけるのが苦手な私がそこに混じれるわけがなく、右往左往していると、先に彼の方が気付いた。

私と目が合って、ニコリと微笑んだ。


私の方へと近付く。

意識が朦朧としていた時にも見ていたけど、明らかに種類の違うタイプの陽の人だったので、私はしどろもどろになった。


「雪白さんだ。後で様子見に行こうと思ってたから、ちょうど良かった。具合はどう?」

「お、おかげさまで……」

「そう。それは良かった」


人当たりの良い笑みを浮かべた彼に、私の心臓がトクンと跳ねた。

ふ、不整脈?


私は彼に頭を下げた。申し訳なさでいっぱいだ。夏目くんは、慌てたように私に顔を上げさせた。

私は心臓のあたりを押さえながら、言った。

眉根を寄せる。


「あの……本当に、本当に…色々とありがとう…あと、ごめんなさい、色々と迷惑をかけて」

「いやいや!迷惑なんて。寧ろこっちがごめん、新入生代表挨拶の件。学年主任に頼まれた俺がやったんだけど、本来雪白さんの晴れ舞台だったわけで」

「いいえ、それも含めてありがとう。好感触だったみたいだし」

「いや、うちの家族とか俺に似合わないって保護者席で爆笑してたからね?酷いよね」

「ーーーふふっ」


彼が眉をひそめて大真面目にそんなことを言うので、私は吹き出した。口元に手を当てて、くすくすと笑った。


ああ、この人…底抜けのお人好しなんだなぁ。


相手に気遣わせないユーモアもあって、スマートなのにどこかぎこちなくて、かと思ったら王子様みたいなことをサラッとして………


何より笑顔が眩しかった。

太陽みたいに明るい、元気印の。


こんなの、好きにならないわけがなかったのだ。


「お大事にね、雪白さん」

「うん、ありがとう夏目くん」


彼が手を振って、私も振り返す。

くるりと彼に向けた背中。その裏で、私は多分微笑んでいた。






ーーーーどうして朝日くんを恋人に選んだか?


そんなの、貴方の底なしの優しさを知っていたからよ。

ずっと、好きだったの。

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― 新着の感想 ―
あらやだ、理想の王子様ですわ。 こんなのされたらイチコロでしてよ! 野郎の私でもイチコロですわ~!
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