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異世界転移記 ~層彩のキャンバス~  作者: 0
第一章 <始まり>
4/29

4話

 瞼を開けると、まぶしい朝日が差し込んでいた。


 レースのカーテン越しにこぼれる淡い光が、天井のシャンデリアを透かし、いくつもの煌めきを部屋の隅々へ散らしている。

 ゆらめく光の粒が、静まり返った空間の中で、まるで浮遊する塵のように儚く揺れていた。


 ――けれど、そこは見慣れた寝室ではなかった。


 壁に掛けられた金縁の絵画。高すぎる天井。深く沈み込むほど柔らかな寝具。

 どれもが上品で、洗練され、贅沢だった。だがそのすべてが、どこか「他人のもの」だった。


 こうして目覚めてみればなおさら、この空間のすべてが――自分にはあまりにも不釣り合いに思えた。


 無事に、翌日を迎えたのだ。


 昨夜の出来事が、静かに脳裏をよぎる。

 問い詰めるようでいて、逃げ場を与えぬ言葉の数々。

 選ばせるようでいて、実際には選択肢など存在しなかった提案。

 言い返すことも、否定することもできず、ただ受け入れるしかなかった。


 ――その直後、男は一つ息を吐き、小さく頷いた。

 そして、静かに扉の方へ視線をやり、「この子を、屋敷の空き部屋に」とだけ命じた。


 すぐに扉の外から、ロリスと二人の侍女が現れた。

 男はそれ以上何も言わず、再び椅子に腰を下ろし、何事もなかったように本を開いた。まるで、僕への興味など最初からなかったかのように。


 ロリスは一度だけ僕に視線を向けると、無言で先に立った。

 豪奢な廊下、冷たい石壁、吸い込むように音を奪う絨毯。

 その背を追いながら、言葉を交わす余裕も意味も見いだせなかった。


 用意された部屋に案内されたとき、ロリスは扉の前で短く言った。

 「ここを使って」

 それだけを残し、振り返らずに去っていった。


 侍女たちは寝具の整えと軽い世話を済ませると、深く礼をして静かに部屋を後にした。

 誰も、必要以上に僕に関わろうとはしなかった。

 まるで――僕が“触れてはいけないもの”であるかのように。


 残されたのは静寂だけだった。

 それが時間の経過を教えてくれた。


 コン、コン――。


 控えめなノック音が響く。


 「失礼する」


 扉が静かに開き、ロリスが現れた。

 昨夜と同じ整った身なり。だがその表情には、どこか張り詰めた影が見えた。


 「起きていたか。……支度を。案内する」


 それだけを告げると、彼は踵を返し、廊下を歩き始める。

 僕は促されるまま立ち上がり、その背を追った。


 通されたのは、昨夜とは異なる一室だった。

 高く広い天井。重厚な装飾。分厚いカーテンに覆われた窓からは、光が一筋も差し込まない。

 息をひそめるような静けさの中、わずかに冷たい空気が肌を撫でた。


 部屋の中央には、黒塗りの卓が据えられていた。

 その上に、ひとつの物体が置かれている。


 ロリスは足を止め、手袋をはめた指先で、卓上のそれを示した。

 無言のまま、ただ一言――。


 「これに見覚えはあるか?」


 僕は視線を逸らさず、その黒い塊を見つめた。


 間違いない。それは――拳銃だった。

 人の命を奪うための、あの金属の道具。


 ロリスが、これを腰に携えていた。


 ――どこで、手に入れた?

 そう思った瞬間、昨日あの男が口にした言葉が脳裏をかすめた。


 「例の殺傷事件」――“金属製の奇妙な物体”。

 なるほど、あれはこの拳銃のことだったのか。


 つまり事件の現場に残されていた“異物”こそが、僕と異世界をつなぐ確たる証拠だった。

 それを今、目の前でロリスが手にしている。

 ――すでに、この道具が問題視されているのは明らかだった。


 僕はひとつ息を吐き、視線をロリスに戻した。


 「はい、それは……僕の世界のものです。“拳銃”と呼ばれています。

 ごく一部の人間にだけ所持が許される殺傷具で、金属の弾を撃ち出して対象を傷つけ、あるいは――命を奪う」


 淡々と、嘘のない事実だけを告げた。

 誤解を恐れて沈黙するよりも、正確な情報を渡す方が今は得策だと判断した。


 ロリスは卓上の拳銃から目を離さぬまま、静かに言葉を継いだ。


 「――やはり、君の世界のものか」


 声音に感情は薄い。だがその奥には、確信を得た者の重みがあった。


 「この器具と、君によく似た者たちによって、一つの事件が起こった。……おそらく、君と同じ世界から来た二人組だ」


 喉が鳴った。息を呑みかける僕をよそに、ロリスは淡々と続けた。


 「彼らはこれを用いて、多くの者を傷つけた。

 威力は想像を超えていた。盾を持つ兵の鎧をも貫き、距離を隔てても命を奪う――そんな代物だったそうだ」


 言葉の合間、ロリスの目が一瞬だけ僕を射た。

 そこにわずかな感情が浮かんだ気がしたが、それが怒りか悲しみか、判断はつかなかった。


 「死者が出た。怪我人も多かった。そして、多くの者が目撃していた」

 声が少し低くなる。


 「――ゆえに、その場で処すしかなかった」


 乾いた沈黙が降りた。

 僕は言葉を失い、ただ彼の言葉の奥に、重い判断の跡を感じていた。


 「事件の後、現場に残されていたのがこれだ」

 ロリスは拳銃を見下ろし、低く呟く。


 「“拳銃”……そう呼ぶのか。興味深い。

 だが扱い方がわからずな。我々は罪人たちの動きを真似て試したが――」


 彼は拳銃を慎重に手に取る。

 「――何も起こらなかった。ただ、“カチッ”という音がするだけだった」


 金属音が微かに響く。

 ロリスは拳銃を机に戻し、真っすぐに僕を見た。


 「……君は、これを扱えるのか?」


 短い沈黙。僕は小さく頷いた。

 「理屈は知っています。撃ったことはありませんが、構造と使用法はある程度理解しています」


 男なら一度は憧れるものだ。知識として持っていて本当に助かった。知らないなんて答えたら、すぐに見限られていただろうからな。


 ロリスの目がわずかに細められた。

 驚きでも疑念でもない。確認するような静かな目だった。


 「――そうか。では、その“拳銃”について教えてもらおう」


 呼吸が一瞬止まり、僕は頷いた。

 ロリスの瞳に宿っているのは、敵意ではなく――理解を求める色だった。


 「……事件の件ですが」僕は静かに切り出す。「犯行は“二人”だったと」

 ロリスの眉がわずかに動く。


 「ということは、拳銃も“二丁”あったのでは?」


 短い沈黙。ロリスは視線を伏せ、やがて口を開いた。


 「――実はな」


 彼はゆっくりと卓の脇に置かれた刀へと目をやり、鞘の上を手のひらで撫でた。

 「もう一丁は、この刀で断ち切った」


 声は静かだった。だが、その一言に宿る緊張と記憶の重さが、室内の空気をひときわ鋭くした。


 「……それにしても」

 ロリスはわずかに目を細め、こちらをじっと見据えた。

 「君は、なぜ“二丁”あったと知っていた?」


 僕は、ふと目を伏せた。

 確かに、口にしてみれば妙な言い回しだったかもしれない。だが――


 (リボルバー型の拳銃。装弾数は五、六発が限界。だが、それだけで説明がつくわけではない。)

 (仮に訓練を受けた警官や軍人が扱ったとしても、短時間で全弾命中させるのは容易ではない。反動で照準が狂う。狙点を合わせ直す間に標的は動くし、遮蔽物や混雑、悲鳴や驚きで視界が乱れる。熟練者でも一発ごとに勝負所があるのだ。)


 僕はゆっくり顔を上げる。

 「……推測だが、論理的にはこう考えるべきだと思う」


 ロリスが小さく促す。僕は言葉を選びながら続けた。

 「リボルバーは通常五、六発しか撃てない。仮に一人の射手が連続で撃ったとしても、短時間に七人もの致命的被害を出すには、相当に条件が整うか、運が味方しないと説明がつかない。現場が雑然としていたことを考えれば、単独犯で達成するのは現実的でない」


 僕は拳を引き締めて付け加えた。

 「既に二人組という情報があるから、二丁同時に使われた可能性が高いと考えたんだ」


 (それに、拳銃を携える職業でも単独行動は少なくて、相棒と組むのが普通だって聞くし。)


 ロリスはしばし沈黙した後、小さく息を吐き、口の端をわずかに上げた。

 「頭が回るな、お前」


 わずかに笑みの気配を帯びた声だったが、目は真剣なままだった。

 「……なるほど。五発、六発――それなら、弾が出なかった理由も納得だ」


 ロリスは再び拳銃を手に取り、金属の重みを確かめるように眺める。

 「ならば――弾というのは、作れないのか?」


 彼の問いに、僕は少し考えてから答えた。

 「完全には無理です。ですが、形や素材についてならおおよそ想像はつきます。

 ただ、製造には精密さが必要です。誤差があれば暴発の危険もある。……容易にはいきません」


 ロリスは小さく頷き、しばらく拳銃を見つめていたが、やがてゆっくりとこちらを向いた。


 「……そうか」

 短くそう呟くと、彼は机の上に拳銃を静かに戻した。


 そして、少し声の調子を変えた。

 「――さて。拳銃の話はここまでだ」


 その声音には、明確な切り替えの響きがあった。僕は無意識に背筋を伸ばす。


 「本来の目的を、まだ伝えていなかったな」

 ロリスは立ち上がり、姿勢を正す。その所作は軍人のように無駄がなかった。


 「私、ロリス・グランは、上層部の命により――貴殿の監察官として任命された」

 「……監察官?」


 ロリスは頷き、続ける。

 「加えて、必要に応じて貴殿の護衛を務めることにもなっている」


 言葉を飲み込む音が、自分でも聞こえた。

 「……護衛、ですか」


 「そうだ。監視対象である以上、近くで行動を共にする必要がある。

 だが、万一の事態があれば――守る責任も、私にある」


 ロリスの声は淡々としていたが、逃げのない確固たる響きを持っていた。

 「命令だ。私情はない」


 僕は一瞬、言葉を失った。

 監察――つまり監視。

 それは疑われているということだ。だが同時に、護衛でもある。


 矛盾しているはずなのに――なぜか、妙に納得できてしまう自分がいた。




 「……どうして僕に、そこまでの措置が?」


 思わずこぼれた問いに、ロリスはほんのわずかに目を細めた。


 「君の存在が、この国にとって“不確定要素”と判断された。それが理由の一つだ」

 言葉を慎重に選びながら、彼は静かに続ける。

 「だが同時に、君の知識には価値がある。だからこそ、排除ではなく“保護”の方針が取られた」


 声音は穏やかだったが、その裏にある現実は冷ややかだった。

 ――まるで「まだ処分されていないだけ」とでも言われているようだ。


 僕は思わず唇を結び、視線を落とした。

 信頼されていないことは、頭では理解していた。けれど、こうして言葉にされるとやはり堪える。


 「……つまり、信用はされてないってことですね」


 「当然だ」

 ロリスはきっぱりと答える。だがその声には冷たさよりも、むしろ誠実さがあった。

 「信頼というのは、時間をかけて築くものだろう?」


 そう言って彼は小さく息を吐くと、さっさと立ち上がった。

 「まあ、堅い話はこのくらいにして――職場に案内しよう」


 「職場!?」


 思わず声が裏返った僕をよそに、ロリスはもう扉へと向かっていた。

 「そうだ。君もこれから、そこで働くことになる」


 「え、でも……僕、まだ何もしてませんけど?」


 「構わん。君の世界で得た知識を、こちらの研究に役立ててもらう」


 振り返らずに告げるロリスの声は、淡々としていながらもどこか確信めいていた。

 戸惑いながらも、僕はその背を追う。準備も説明もないまま、事が進んでいくのに、不安を覚えずにはいられない。


 「でも、僕には何をすればいいのか分かりません」


 「安心しろ。最初から全てを理解しろとは言わん。我々の世界を知り、君の知識がどこで活かせるか――そこからだ」


 ロリスはそう言って扉を開ける。

 その向こうに広がっていたのは、予想を遥かに超えた光景だった。


 高い天井、壁一面を覆う書棚。整然と並ぶ机と古びた計測器。まるで時代を超えた研究室のようだった。


 「ここが、君の職場だ」


 「ここが……」


 僕は息を呑み、あたりを見回した。

 並ぶ書物の数は圧倒的だったが、表紙に刻まれた文字はどれも見たことのないものばかりだった。


 「……本はたくさんありますけど、僕には文字が読めませんよ」


 思わずそう呟くと、ロリスはちらりとこちらを見て、淡々と口を開いた。


 「なのに言葉が通じてしまうのは――なぜだろうな」


 静かな声だった。冗談にも聞こえない。

 確かに、会話はできている。けれど、文字はまるで理解できない。

 違和感だけが残るのに、意思疎通には不自由がない。


 「とりあえず、文字はわからなくて構わん」


 ロリスの目は冷静で、それでいてどこか遠くを見つめていた。

 「君の世界にあって、この世界にないものを――作り出せばいい」


 「……作り出す?」


 思わず問い返すと、ロリスは頷いた。


 「そうだ。この世界には、君の世界で当然とされる技術も道具も存在しない。

 だが、君がそれを再現できるなら、それはこの国にとって大きな力になる」


 言葉は穏やかだったが、そこに含まれる期待は重かった。

 「君の知識を使って、新しいものを生み出してもらう」


 同じ言葉をもう一度、はっきりと繰り返す。

 まるで命令でもあり、宣誓でもあるように。


 「――この国のために尽力してもらおう」


 その一言に、思わず息を呑んだ。

 尽力。そんな大層なことが自分にできるのか。

 見知らぬ世界で、右も左も分からない僕に。


 ロリスはそれを見透かしたように、静かに続ける。


 「君の知識は、この世界では貴重だ。

 ここにないものを形にする。それができるのは、君だけだ」


 その声音に、冷たさはなかった。代わりに、確かな信念のようなものがあった。


 「もちろん、強制はしない。君自身の意志で選べばいい。

 ――だが、私は君がこの世界で生きる道を見つけてくれると信じている」


 その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

 怖さと、ほんのわずかな期待が入り混じる。

 僕は静かに頷いた。

 たとえこの世界が異質でも――今、自分に与えられた役目を受け止めるしかないのだ。

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