34話
森を抜けた先に、視界が一気に開けた。
木々の隙間からこぼれていた光が、今は惜しみなく降り注ぎ、僕たちの足元を柔らかく照らしている。土の匂いと湿気に満ちていた森の空気は、乾いた風に変わり、どこか穀物の香りが混じっていた。
そこに広がっていたのは、ゆるやかな丘の斜面に沿って建つ村――〈メルベラ〉だった。思ったよりも早い到着ではあったが、険しい道に見えている割には案外と手入れをなされていて、思ったほど足への負担が少なかった。
藁ぶき屋根の家々がぽつぽつと点在し、石垣や木柵で囲まれた畑がいくつも並んでいる。村の中央には広場があり、小さな井戸と粗削りな木造の集会所が見えた。
道は踏み固められた土のままで、ところどころに車輪の跡が残っている。農夫たちが背負いかごを揺らしながら歩いており、牛を引く老人がゆっくりと帰路についている姿もあった。
「……着いたね、メルベラ」
ロリスが、ほっと息を吐くように言う。長い道のりの果てに、ようやく辿り着いたという安堵が声ににじんでいた。
「思ったより、静かで……素朴な村だな」
「うん。ここは昔から、自給自足の生活が根づいている村だからね。街ほどの賑わいはないけど、その分、生活の流れがゆっくりしてる」
ロリスの言葉通り、村には穏やかな空気が流れていた。遠くで牛の鳴き声がし、畑のあぜ道では年配の女性が籠を抱えながら野菜を摘んでいる。僕たちの姿に気づくと、にこやかに手を振ってくれた。
村の中心から少し離れた場所に、古びた水車が静かに回っているのが見えた。木製の軸が軋む音を立てながら、ゆっくりと水をかき上げている。
畑の脇には、石を積み上げて作られた低い壁があり、その向こうでは数人の村人が作業をしているのが見えた。土を掘り返しながら、時折笑い合う声が風に乗って届いてくる。
「静かだけど、活気はあるな」
ロリスがぽつりと呟く。
僕たちは、村の通りをゆっくりと歩きながら、目的の場所を探した。
視線を巡らせると、通りの端に控えめな看板が掲げられているのが見えた。木製の板に、焼き印のような文字で 〈キエン〉 と記されている。
「……あそこか」
ロリスが指をさし、僕も頷く。
僕たちは看板の下で足を止めた。
〈キエン〉――この村で唯一のガラス工房らしい。
建物は石造りの壁に木の梁が支えられた頑丈な作りをしている。扉の横には開け放たれた窓があり、その奥には作業台がちらりと見えた。
炉の熱が外にまで伝わってくる。かすかに漂う炭の匂いに混じり、溶けたガラス独特の香りが微かに感じられた。
ロリスが軽く鼻を鳴らす。
「ガラス工房って、もっと静かなもんかと思ってたけど……結構活気あるんだな」
中からは、何かを削る音や、工具がぶつかる乾いた音が響いている。職人たちが忙しく作業をしているのがわかる。
僕はひと息ついて、扉に手をかけた。
木製の扉は少し重く、軋む音を立てながらゆっくりと開いた。
中に一歩足を踏み入れると、温かな空気とともに、目に飛び込んできたのは所狭しと並べられた作業道具と、様々な色合いのガラス素材たちだった。天井の高い空間には、梁から吊るされたランプや道具が揺れており、炉の光が赤くその一部を照らしている。
壁際には加工途中のガラス瓶や器、色とりどりの細工物がずらりと並んでいた。中には、宝石のようにきらめく小さな球体や、複雑な模様を刻まれたランプシェードのようなものもある。ガラスと聞いて僕が思い浮かべていた“食器”という範囲を大きく超えた、多様で芸術的な品々だった。
「……すごいな。まるで宝石店みたいだ」
思わずそう呟くと、ロリスも感心したように頷いた。
「これほどとは……オルダンが勧めるのもわかる」
ロリスがぽつりと呟いたその言葉に、僕も自然と頷いていた。
あの街で聞いたときは、正直そこまで気に留めていなかった。オルダンが「腕は確かだ」と言っていたのも、単なる営業トークの一部だと思っていたくらいだ。けれど今、目の前に並ぶ作品を見れば、それがただの紹介ではなかったことがわかる。
工房の棚には、様々な形のガラス製品がずらりと並んでいた。
透明な瓶や器だけでなく、淡く色づいたグラス、細かな文様を刻んだ窓板、そして銀の枠に収められた装飾品まで。
中でも目を引いたのは、教会の窓に使われるようなステンドグラスの破片だ。陽の光を受けて、その色彩が工房の壁に揺らめいていた。
「美しい……けど、これ、本当に全部ここで作られたのか?」
思わずそう呟くと、背後から静かな声が届いた。
「ええ、ここで作っていますよ」
振り返ると、作業服を着た中年の職人が立っていた。
彼はガラスの欠片を持ち、少し微笑みながら言う。
「ここでは、食器や窓板だけじゃなく、装飾品や道具の加工……そして、一部の魔道具の製作もしています」
職人の言葉に、僕は思わずロリスと視線を交わした。
魔道具――それは単なる細工物ではなく、魔力を宿し、特定の用途に使われる特別な品々だ。
「魔道具も、ガラスで?」
僕が問いかけると、職人は頷きながら、棚の奥に並ぶ小さな球体を指し示した。
「例えば、これは光を集めて放つランプのようなもの。内部に魔力を込めることで、一定の時間、自然に発光する仕組みになっています」
その説明を聞いて、僕は思わず目を凝らした。
淡い色を帯びたガラスの球体がいくつか並んでいる。どれも微妙に形が違い、職人の手で慎重に作られたものだとわかる。
「魔力を込めることで、ただのガラスが魔道具になるんですね……」
職人は軽く笑いながら言った。
「ええ。魔法を直接扱うのとは違い、こうした工芸品に魔石や集魔のオーブを用いて、魔力を融合させることで、日常に役立つ品を作ることができるのです。」
ロリスはじっとこちらを見つめた。感心している場合じゃない――そんな目だった。
僕は軽く息を整え、職人に向き直る。
「腕の良い職人さんを紹介していただけませんか?」
職人は少し目を細め、僕たちの様子をうかがうようにした。
「何かオーダーしてほしいお品物がございますでしょうか?」
その問いかけに、僕は持っていた紙を広げる。そこには、簡単な設計図――眼鏡の試作図が描かれている。
職人の視線がそれを捉えた。
しばらく沈黙があった。炉の火が揺らめき、工房内の細かな作業音が遠く聞こえる。
「……これは、少し珍しい品ですね」
ようやく口を開いた職人の声は、興味深そうな響きを持っていた。
職人は設計図をじっと見つめながら、眉をひそめた。
「ほかの国の装飾品ですか?」
彼の視線は、細かな枠組みやレンズの形状に留まりながらも、ピアスやかんざしのようなものだと考えているようだった。
確かに、装飾品としての可能性も考えられるが、これはそういうものではない。
僕は軽く息を整え、説明を始める。
「これは、文字の上に置くことで拡大効果を得られるガラス玉なんです。そして、それを目に固定することで、手を使わずに視界を補助できる仕組みになっています」
職人は一瞬驚いたような表情を見せた。
「……目に固定?」
その言葉を繰り返す彼に、僕は頷く。
「そうです。視力が低い人が、よりはっきりと物を見るための道具です。ただの飾りではなく、実用的な品なんです」
僕は指で図面の一部を軽くなぞりながら説明を続けた。
「この部分は、耳にかけて鼻に接しているので、三点で支える構造になっています。重さを分散させることで、長時間つけても負担が少なくなる設計です」
職人は興味深そうに頷きながら、さらに図面をじっくり見つめる。
「……なるほど。たしかに、装飾品とは違う造りだな」
僕はさらに付け加える。
「この金属部の加工については、国随一の鍛冶師であるオルダンに依頼しています。彼の技術なら、丈夫でかつ精密な仕上がりにできるはずです」
その名前を聞いた瞬間、職人の眉がわずかに動いた。
職人は僕たちをじっと見つめた。
「オルダン……鍛冶の腕は確かだと聞いていますが、国お抱えの鍛冶師をどうやって?」
その言葉には、純粋な驚きと少しの警戒心が含まれていた。
彼は僕の服装をちらりと見てから、改めて問いかける。
「失礼ですが、お貴族様ですか?」
ロリスは特に驚くこともなく、軽く肩をすくめた。
「一応な」
その返答に、職人はわずかに目を細め、納得したような表情を浮かべた。
「なるほど……それなら、オルダンが関わっていても不思議ではないですね」
僕は少しだけ居心地の悪さを感じつつも、話を進めることにした。
「とはいえ、貴族の権力で押し通してるわけじゃありません。これは純粋に、技術が必要な仕事だからこそ頼んでいるんです」
職人はしばし考え込んだ後、小さく頷く。
「そうですか……では、具体的にどんな加工が必要になるのか、詳しく聞かせていただきましょう」
僕は持参していた図面と設計案を取り出し、テーブルの上に広げた。職人は黙ってそれを眺め、時折うなずきながら細部に目を通していく。こちらから口を挟むまでもなく、彼はすぐに要点を掴んでいた。炉の熱で火照った空気の中、静かに時間だけが流れる。
やがて、職人は手を止めて顔を上げた。
「なるほど……確かに、ただの装飾品とは訳が違う。細工の精度も、耐久性も、いい加減な腕では務まらない」
僕は小さく頷く。
「だからこそ、オルダンの紹介に頼った。彼が“信頼できる”と言ったから、ここまで来たんです」
職人はしばらく黙ったまま僕たちの顔を交互に見つめていたが、やがてその口元が少しだけ緩んだ。
「……いいでしょう。請け負いますよ。条件は……まあ、こちらでも用意しておきます。まずは契約を交わしましょう」
彼は工房の奥から帳面と羽ペン、インク壺を持ってきて、木のテーブルに置いた。
「この欄に、契約代表者の名前を」
僕はうなずき、羽ペンを手に取った。軽く深呼吸して、迷いなく書き記す。
カイ・ヴェルノート
職人はインクの乾き具合を見ながら、それをゆっくりと読み上げ――次の瞬間、目を大きく見開いた。
「……カイ、ヴェルノート……?」
目の奥に、明らかな驚きが走る。その反応に、僕はやや身構えつつも静かに頷いた。
「はい。それが、僕の名です」
職人は数秒の沈黙のあと、何かを確かめるように視線を僕に向け直した。そして、少し低い声でつぶやく。
「……それは、あの“ヴェルノート”の……?」
その口調には、単なる偶然の一致では片づけられない響きがあった。まるで、その名に込められた何かを、彼が知っているかのように。
どう答えていいかわからず、僕は言葉を探して口を開きかけた。けれど、その前にロリスが一歩前に出て、代わりに答えてくれた。
「ええ。カイは、ヴェルノート家のご子息でございます」
その声音は淡々としていながらも、どこか誇りを帯びていた。まるで、彼自身がそれを恥じる理由など一切ないとでも言うように。
職人は目を細め、しばらく僕の顔をじっと見ていた。その視線には、驚きだけではない、もっと複雑な感情がにじんでいた。警戒、敬意、あるいは――懐かしさのようなものさえ。
「そうですか......」と軽く返事をして、彼はそれ以上言葉を重ねることなく、沈黙したまま僕たちを見つめていた。炉の奥からぱちりと音がして、静まり返った工房の空気にその小さな音がやけに大きく響く。
僕はその視線を正面から受け止めながらも、どう言葉を返していいかを決めかねていた。過去のことを語るつもりはなかったが、逃げるような態度も取りたくなかった。
やがて職人はふっと目を細め、静かに背を向けた。
「……まあ、名前なんてものは、どうでもいいですよ。ここで必要なのは、腕と信頼ですから」
そう言って、作業台の引き出しから帳簿のようなものを取り出すと、手早く書き記した書面を僕たちに差し出した。
「契約の記録です。仕事の詳細は先ほどの内容で承っておきます。……ヴェルノート様」
最後の呼び方に、どこか微かな皮肉を滲ませながらも、その口調には敵意はなかった。
「ありがとうございます」と、僕は静かに受け取った。
ロリスが隣で小さく笑ったような気がしたが、僕は気づかないふりをして、書面に目を落とした。そこにはしっかりと、自分の名前――“カイ・ヴェルノート”が記されていた。
契約の記録に目を落としながら、僕は静かに息をついた。無事に話がまとまった安堵と、職人から受け取った信頼の重みが、少しだけ胸を温かくした。
だがそれ以上に、職人の反応が心に残っていた。
“ヴェルノート”という名を出したときの、あの一瞬の沈黙。そして慎重に言葉を選ぶような眼差し。
――偽物の父とはいえ、その家名が、こんなふうに人に影響を与えている。
僕が名乗る前から、周囲はその名を知っていた。僕が名乗ったあとの空気の変化――それが、なぜか妙に気にかかって仕方がなかった。
これまで意識しないようにしていたけれど、セファー・ヴェルノートという存在は、僕が思っている以上に大きい。味方にも、敵にも。
仮の養父であるとはいえ、彼がどんなふうに人に見られているのか。――いや、本当の意味で、どんな人間なのか。
嫌な印象しかなかったが、世間における影響力がかなり大きいようだ。
今さらながら、知りたくなっていた。
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