31話
数日後、鍛冶屋を訪ねた僕に、オルダンは火花の中から顔もろくに上げずに言った。
「伝えとく。……例のガラス職人だが、城の近くじゃなくて、二つ先の村に住んでるそうだ」
「村に?」
「そうだ。〈キエン〉って工房名でやってるらしい。人付き合いが苦手で、町の喧騒を嫌ってな。……ま、職人にはよくある話だ」
そう言いながら、オルダンは金槌をひとつ振り下ろし、乾いた音を響かせた。
ガラス職人が町を離れて住んでいるというのは少し意外だったが、そのくらいのこだわりがある人の方が、むしろ信頼できる気がした。
ちょうど前に国民としての登録証明書を書き、偽りとはいえ、ようやく表で使えるような身分を手に入れたばかりだった。
これまでは、城下町の中ですら、どこか肩身が狭かった。警戒されるでもなく、信用されるでもない――宙ぶらりんな立場。
でも今は、その紙一枚が僕にとっての“鍵”になっていた。
城から出るにあたり、胸の奥がふわりと浮くような、わくわくする気持ちに包まれていた。
未知の場所へ向かう高揚感。はじめて地図を広げたときのような、胸の内に広がる冒険の予感。
けれど、その一方で――
(……もし、何かの拍子に身元を怪しまれたら?)
そんな不安も、まったくなかったわけじゃない。
証明書に刻まれた名前は、間違いなく「カイ」。今の僕を示す唯一のもの。
けれどそれは、あの世界で生まれた“本当の僕”ではない。
たしかに、偽りだ。だが、同時に――選び取った名前でもある。
(今の僕は、あの名前で、ようやく立っている)
そう思うことで、心のぐらつきを押さえるように、胸の前で小さく拳を握る。
「――で、行く気はあるのか?」
ふいにオルダンが、火花の向こうから声をかけてきた。
「行くよ。ここまできたら、もう止まれないからね」
僕がそう答えると、彼はにやりと片方だけ口角を上げた。
「なら、用心しろ。あの村の近くは、道が悪い。道中、ロバでも馬でも借りとけ。……あと、礼を言っとけよ。紹介したって話が回れば、あっちも構えずに済む」
「わかった。ありがと」
「礼はいい。……そのレンズってやつ、できたら俺にも見せろ」
その言葉が、なんだか少しだけ嬉しかった。
店を出ると、ロリスが外で待っていた。僕の顔を見て、少しだけ眉を上げる。
「どうだった?」
「行き先は決まった。村に住んでるらしい。〈キエン〉っていう工房名だってさ」
「キエン……ふうん。あまり聞いたことはないけど、職人として有名だったり?」
「どうだろう。でも、オルダンが紹介してくれるくらいだから、腕は確かだと思う」
そう言いながら歩き出すと、ロリスも隣に並んで歩き出した。
「じゃあ、準備しなきゃね。……久しぶりのお出かけになる」
彼の言葉に、僕は頷いた。
――ガラス職人に会うための旅が、いま始まろうとしていた。
その日の午後、僕たちは最低限の荷をまとめた。
とはいえ、持っていくものは多くない。長旅ではなく、目的はただひとつ――ガラス職人の工房を訪ねること。
ロリスは手際よく旅の支度を整えていく。小さな薬瓶、折り畳める水袋、革の財布には銀貨をいくつか。
「本当にこれで足りる?」
僕の問いに、ロリスは軽く肩をすくめた。
「村ひとつ越えるだけだし、食料も途中で買えるよ。……あんまり重いと歩くのが面倒だろ?」
「……本当に冒険者みたいなことを言うね、君は」
そう言いながらも、ロリスの顔にはどこか楽しげな色が浮かんでいた。日々の仕事に追われる日常から少し離れる旅。短いとはいえ、それは確かに小さな非日常だった。
荷をまとめ終えると、ロリスは腰にぶら下げた革袋から折り畳まれた紙を取り出す。
それは手書きの地図だった。
村の位置や主要な道が簡単に描かれ、ところどころ目印となるものが記されている。ロリスはそれを広げ、指でなぞりながら確認した。
翌朝――まだ日が昇りきる前、僕たちは城門前に立っていた。
門の前に立つ衛兵の一人が僕を一瞥し、次にロリスの姿を見ると、表情が少し引き締まった。
「……ロリスさん。お久しぶりです」
そう言って、衛兵は軽く敬礼をする。その所作は丁寧で、だが過剰ではない。職務に忠実な者の、それなりに慣れた挨拶だった。
ロリスはそれに頷き返しながら、さらりと答える。
「おはよう。今日は私用よ。町を出るだけ」
「承知しました。……同行者の方の確認をしても?」
「もちろん。彼は私の……まあ、仲間よ。登録証もあるわ」
そう言って、ロリスが僕を振り返る。僕は軽くうなずきながら、懐から登録証を取り出して差し出した。
衛兵はそれを手に取り、素早く内容を確認してから、もう一度こちらに視線を戻す。
「確認しました、カイさんですね。……問題ありません。お気をつけて」
その一言に、僕は思わずほっと息を吐いた。どこか緊張していたのかもしれない。書類の名前が、たしかに“今の自分”を通してくれたという実感が胸の内にじんと広がる。
「ありがとう」
「……外の道は、この時期ぬかるみやすい。気をつけてな」
「うん、気をつけるよ」
ロリスが僕の横に並び、門の外へと歩き出す。僕もそれに続いた。
「……団長って言わなかったね」
「そりゃあもう、正式にはそうじゃないもの。今はただの案内役、でしょ?」
肩越しにそう言うロリスの横顔は、どこか軽やかだった。かつて背負っていたものを少しだけ降ろして、今は旅人としての顔をしている。
僕たちは門を抜けて、城下を離れた。
これから向かうのは、二つ先の村〈ベルメラ〉。
その先に、オルダンの紹介してくれたガラス職人〈キエン〉がいる。
朝の風はひんやりとしていて、草の香りを含んでいた。土の道には朝露が残り、踏みしめる足元からは静かな音がした。
小鳥のさえずりが空にほどけていく。
自分にとって、王都の外にこうして出るのは、これが初めてだった。
……いや、正確には、鉱山へ向かったことが一度ある。でも、あのときは緊急事態だったし、まともに景色を楽しむ余裕なんてなかった。
今回は違う。
たしかに“偽り”の名前を使っているとはいえ、堂々と城門を抜け、朝の光の中を歩いている。ひとつの目的を胸に――ちゃんと自分の意思で向かっているのだ。
(……そう思うだけで、少しだけ足取りが軽くなる)
とはいえ、これから向かう〈ベルメラ〉の村までは、山を一つ越えなければならない。
地図で見た限りではそう険しい道ではなさそうだったが、それでもそれなりに歩き通す覚悟は必要らしい。体力にあまり自信のない自分にとって、それは少し不安の種だった。
「……やっぱり馬、借りておけばよかったかな」
ぼそりと漏らすと、隣を歩くロリスがくすっと笑う。
「馬があっても、途中で乗り捨てる羽目になるよ。あの山道、結構ごつごつしてるから」
「そうなの?」
「うん。途中までは馬車道だけど、途中からは歩きじゃないと進めない。わざわざ遠回りでもいいが、道が整備されている分通行人も多い。人目が付かないところで風魔術で一飛びすれば険しい山道なんて言うのも苦じゃない。……でも大丈夫。歩き慣れてないなら、ちゃんと休憩はさんでいこう」
そう言って前を向くロリスの背中には、どこか頼もしさがあった。日頃から動き回っている彼にとっては、これくらいの旅は散歩みたいなものなのかもしれない。
「……じゃあ、がんばるよ。せめて足を引っ張らない程度には」
「うん、よろしく。もしバテたら、おぶってあげるよ?」
「冗談でしょ」
「さあ、どうかな?」
くすくすと笑うロリスの横で、僕は苦笑いしながら首をすくめた。
空はすっかり明るくなっていて、山の輪郭を淡く照らしている。
小さな旅のはじまり。足元の朝露はまだ乾ききっていなかったけれど、その一歩一歩が、少しずつ“外の世界”への実感になっていく。
――この先に、どんな職人が待っているのか。
胸の奥に、不安と期待が静かに交じり合っていた。
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