30話
ピアノを作ってみたいという気持ちは、ずっと胸の奥にあった。
けれどこの国には、街角で奏でられる笛や踊り歌のような、素朴だけれど確かな娯楽がすでに息づいている。
だから今は――まず、もっと実用的なものを先にしようと思った。
というわけで、僕はめがねの制作に取りかかることにした。
まずは紙を広げ、構造を軽く図に起こす。
レンズの形、フレームの接合部、耳にかけるための部品……
形としては単純だけど、素材と精度が求められる。とくにレンズ部分は、焦点が合わなければただの飾りにしかならない。
教会のステンドグラスや、貴族様御用達の装飾品に見られるように――この国にも、ある程度のガラス加工技術は根づいている。
形を整える技術も、色を加える技術も、決して粗雑なものではない。職人の手仕事には、それなりの繊細さと歴史があるのだろう。
もちろん、レンズのように「透明で均一な厚み」を求める加工は別の話だが、まったくゼロからではない。
ガラスの加工は――どこがやっているのかわからないな。
工房のような専門の施設があるのか、それとも何か別の職種が扱っているのか。
鍛冶屋で扱うイメージがないけど、オルダンに頼れば大丈夫かな。
彼なら、何かしら手がかりを持っているかもしれない。
金属を扱う技術と、ガラスを加工する技術は別物だけれど――共通点がないわけじゃない。どちらも緻密な作業を要求され、炎を使って素材を形作る。
鋳造の知識があるなら、熱を操る技術は持っているはずだし、もし細工職人との繋がりがあれば、何かしらヒントを得られるかもしれない。
まずは、オルダンに話してみるか。
そう思いながら、図面の端に、試すべき技術の候補をいくつか書き加えていく。ガラスの融点、金属との接合、枠の強度――詳しいことはわからないが、多分、貴族の装飾品や教会のステンドグラスを作る職人なら、ある程度の技術を持っているはずだ。
透明度の高いガラスを均一に仕上げる加工は、ただの装飾細工よりも繊細な手仕事を要求される。けれど、それを可能にする者がまったくいないとは思えない。
オルダンに話せば、職人の心当たりがあるかもしれない。あるいは、金属加工の技術を応用して、まずはフレーム部分だけでも試作できる可能性もある。
そう思いながら、紙の端にさらにいくつかの案を書き足していく。ガラスをどのように加工するか、枠の強度はどう確保するか――課題は多いが、少しずつ整理していけば形にできるはずだ。
それにしても、自分の博識さに驚くことばかりだ。
こうして理論を組み立てていると、今まで当たり前のように身につけていた知識が、思った以上に役に立っていることに気づかされる。
義務教育のありがたみを、こんな形で噛みしめることになるとは思わなかった。
ガラスの性質、金属の加工、技術の応用――考えれば考えるほど、日本で過ごした時間が、この世界でも生きていることを実感する。
設計図を紙袋に収め、僕はロリスとともに鍛冶屋へ向かった。なんだかんだ、屋敷以外では一番通っている場所だ。
オルダンとは仕事で関わるだけの間柄――そういう関係ではある。だが、脅される形でこの仕事を押しつけられた自分からすると、もはや腐れ縁のようなものだった。
「また来たのか」
店先に入るなり、オルダンは軽くため息をつきながら言った。その手にはまだ赤みの残る鉄の塊。作業の途中だったのだろう。
「悪い。ちょっと頼みがある」
僕は紙を広げ、簡単な設計図を見せる。
オルダンは眉をひそめ、しばらく視線をその上に落とした。
「……なんだこれは。枠に……輪っか? ガラスをはめ込むのか?」
「うん。光を通して、ものをはっきり見るための道具。目が悪くなった人が、また細かい文字を読めるようにするためのものなんだ」
説明しながら、僕は指でレンズの部分をなぞった。
「このガラスが、光を集めて焦点を整えてくれる。で、そのガラスをこういう枠に固定して、耳に引っかけて顔に載せる。いちいち手で持たなくても済むようにね」
オルダンは目を細めて図面を見つめ、しばし無言になった。
やがて、ふんと鼻を鳴らす。
「なるほどな……お前の言ってることが本当なら、これは――目が悪くなった連中にとっちゃ、かなりの代物だぞ」
「そう。だからこそ、ちゃんと作ってみたくて」
オルダンはにやりと口の端を上げた。
「面白いこと考えるな。……ガラスの成形は無理だが、枠の試作なら、すぐにでもやってやれる」
ロリスはその横で、腕を組んだまま何も言わなかったが、わずかに口元が緩んでいるのが見えた。
オルダンは紙を持ち上げ、もう一度ざっと目を通した。素材の候補や接合部の構造も描き込んでおいたのが、多少は彼の理解を助けたようだ。
「ただし、問題はガラスの方だな。……こういうもんは、鍛冶屋の仕事じゃねぇ」
「うん、それはわかってる。ガラスの成形は、別の職人を探さなきゃならないと思ってる」
僕がそう答えると、オルダンは腕を組んで、少し思案するような顔をした。
しばし黙って考え込んでいたオルダンは、やがてふっと息を吐き、面倒くさそうに言った。
「……まあ、こっちで話つけてやるよ。ガラス職人の当てが、ひとつだけある」
僕は思わず顔を上げた。
「本当?」
「ああ。ただし、気の短い爺さんだ。話の持って行き方次第じゃ、作業どころか門前払いだな。何年もあってないからもうすでに下ばってるかもしれんがな」
「それでも、ありがたい。紹介してもらえるだけで助かるよ」
「礼はまだ早ぇ。まずは枠の試作からだ。ガラスが入らねぇなら、ただの面白い飾りだ」
オルダンは紙を軽くたたきながら、作業台の奥へと歩き、金属の在庫を確かめはじめた。
「素材は……真鍮でいくぞ。軽くて丈夫だ。細工にも向いてる。ちと値は張るが、ここは妥協できねぇだろ」
「異論はないよ。むしろありがたいくらい」
オルダンの無骨な背中を見ながら、僕はそっと息を吐いた。
思ったよりも、ずっといい形で最初の一歩を踏み出せた――そんな気がしていた。
ふと横を見ると、ロリスがこちらを見ていた。目元が少し和らいでいて、口元にもわずかな笑みが浮かんでいる。
「……やっぱり君は、変わったものを作るのが好きなんだね」
その声は、少しだけあたたかくて――どこか、楽しげだった。
僕はそれに苦笑で返しながら、手元の設計図に目を落とす。まだ荒い線ばかりの、試作にも満たない図面。それでも、その中に確かに宿りはじめているものがある。
形になる前の、曖昧で、それでも確かな「なにか」。
しばらく二人の間に言葉はなかったけれど、その沈黙には、不思議と居心地のいい静けさがあった。
奥の作業場から、金属を削る音が響いてくる。火の粉が散り、ほんのりと熱を帯びた鉄の匂いが流れてきた。
「お前のやることは、いまいちよくわからんがな……まあ、楽しませてもらってるぞ」
作業の手を止めず、オルダンがぽつりとそう呟いた。
それが誰に向けられた言葉なのかは、わからなかった。
けれど、僕の胸の奥に、じんわりとあたたかいものが広がっていく。
――ガラス職人の話がどう転ぶかは、まだわからない。
不安ではあるものの、オルダンが紹介してくれるとなればきっと腕がいいだろう。
この日は、金属の削れる音を背に受けながら、僕たちは静かに鍛冶屋を後にした。
夕暮れに染まりかけた空の下、ふたつの影が並んで伸びていく。
手に残った設計図の紙はまだ粗削りで、風にふわりと揺れた。
それでも今は、ほんの少しだけ――前に進めた気がしていた。
やがて道は夜へと溶けていき、世界はしんと静かになった。
面白かったらブックマークや下の評価よろしくお願いします!
感想やアドバイスも受け付けておりますのでぜひ書いてください!




