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3話

 僕は無言で騎馬兵の列の中央に押し込まれ、重い鎧を着た衛兵たちに囲まれながら進んでいった。歩く度に地面を踏みしめる音が響く。周囲は市場の賑わいとは裏腹に、徐々に静寂が支配していく。


 その時、隊長の腰元に目が留まった。彼の鋭い視線から外れることなく、僕はどうしてもその腰にある物に気づいてしまった。それは、明らかに見慣れたものではない。まるで、時代背景にそぐわない物だ。


 隊長の腰に据えられていたのは、精巧に作られた金属の箱のような物だった。形状は、見慣れた銃に近い。だが、その銃がこの時代には存在しない代物であることは、僕にもすぐに分かった。周囲の建築物や、衛兵が身に着けている重厚な鎧を見れば、この世界にそのような技術は存在しないはずだ。


 その銃は、明らかに未来的だった。


 不自然な感覚が胸をよぎる。どうしてこんなものが、この時代に? あの銃が示すものが何かは分からないが、ここには明らかに違和感が漂っている。目の前の兵士たち、そして隊長すらも、あの銃に似合わない時代背景の中で立っている。


 僕はその疑問を胸に抱えながら、無言で引き続き連れて行かれた。


 道の両脇に並んだ人々が、行列を見守っている。彼らの表情にはさまざまな反応が浮かんでいる。何人かの商人たちは、口を開けたまま目を見張り、足を止めている。彼らの視線は、僕が引かれる様子をただただ追っていた。


 「何だあれ…?」

 「見ろよ、あいつ、あの警告の場所に落ちてきたんだろうか…?」


 周囲からは小声で囁かれる声が聞こえてくる。それでも、誰もが立ち止まって見守り、進行する行列を避けるように道を開けていく。みんな、どこか興味深げで、また恐れているような表情を浮かべていた。


 僕の顔が熱くなり、胸の中に不安と恥ずかしさが入り混じった感覚が広がる。こんな形で注目を浴びるなんて思いもしなかった。まるで見世物のように、周りの視線がすべて僕に集まっていく。


 彼らの目が、僕をあざ笑うように感じられたわけではない。でも、そんな些細な誤解が僕の心をざわつかせた。


 「なんで僕なんだ…?」と自問する自分がいた。こんな形で皆に見られるなんて、あまりにも不自然で、気恥ずかしい。


 その時、ふと気づいた。自分がこんなに恥ずかしさを感じている理由は、きっと自分がただの通りすがりだと思っていたからだ。そんな僕が、今や注目の的になっている事実に、心の中での無力感が沸き上がった。


 歩幅を少し速め、周囲の目から逃げるように視線をそらしながら進んだが、それでも背中に感じる無数の視線は消えなかった。


 僕は無言のまま連行され、街並みを抜けていく。視線を向けるたびに広がる石造りの建築物の数々は、ますます時代錯誤な印象を強めた。だが、それを考える余裕もなく、僕はただ、隊長らしき男の背中を見つめながら歩き続けるしかなかった。


 やがて、目の前に巨大な建造物が姿を現した。


 門をくぐると、先ほどまでの雑然とした街の喧騒が嘘のように消え、静謐な空気に包まれる。宮殿——そう呼ぶのがふさわしいほど壮麗な建物だ。石造りの壁には緻密な彫刻が施され、高くそびえる柱が荘厳な印象を与えている。


 広々とした大広間を抜けると、途端に空気が変わった。壁を彩る金と深紅の装飾、天井に煌めく精緻なシャンデリア。だが、その華やかさとは裏腹に、奥へ進むほどに道は入り組み、まるで迷宮のようだった。


 幾度も曲がり角を繰り返し、左右対称に並ぶ扉の前を通る。どこもかしこも同じような装飾が施されていて、ここがどこなのか、すぐに見失いそうになる。甲冑がこすれる音と足音だけが廊下に響き、余計に静けさを際立たせていた。


 隊長が立ち止まり、低く一言。

 「ここだ。」


 次の瞬間、背中を押されるようにして部屋へと足を踏み入れる。


 部屋へ押し込まれた僕の背後で、隊長が低く指示を出すのが聞こえた。

 「下がれ。」


 短い言葉だったが、それだけで兵士たちは一斉に動いた。迷いもなく、整然とした動きで扉の外へと引いていく。その様子はまるで、すでに決まりきった手順のようだった。

 扉が閉ざされると、廊下に響いていた鎧の擦れる音も遠のき、静寂が落ちる。


 「……さて。」


 隊長は静かに息を吐きながら、僕の方へと振り向いた。さっきまでの軍人然とした態度とはどこか違う。少しだけ肩の力を抜いたような、だが、それでも威圧感を消せない目つきが、真っ直ぐに僕を射抜いていた。


 隊長の視線を正面から受け止めながら、僕は喉の奥がひりつくような感覚を覚えた。広間を進む間に感じた壮麗な宮殿の空気とは打って変わって、この部屋の静けさが妙に重くのしかかる。


 隊長は無言のまま僕を見つめ続ける。

 何かを待っているのか、それとも僕の反応を探っているのか——けれど、沈黙が長く続くほど、居心地の悪さが増していく。

 何か言うべきか。だが、下手な言葉を発せば、それこそ状況を悪くするかもしれない。


 そう考え始めた矢先——


 その時、突然、部屋の扉が静かに開かれた。


 中から現れたのは、隊長とは異なる威厳を感じさせる人物だった。彼は一歩足を踏み入れるやいなや、まるで空気が一変したかのように部屋の雰囲気を支配した。

 漆黒の衣をまとい、金糸の刺繍が施されたその衣服は、高貴さを誇示していた。身のこなしも優雅で、背筋が自然と伸びており、まさに貴族的な気品を漂わせている。

 

 隊長が軽く頭を下げると、その人物は僕に目を向けることなく、隊長に一言告げた。


 「その者を連れてきたのか。」

 声は静かだが、重みを持っていた。


 隊長はすぐさま背筋を伸ばし、恭しく答えた。

 「はい。封鎖区域にて確認されました。状況を踏まえ、直ちにお目通りをお願いすべきかと。」


 目の前の男は、隊長の言葉を聞きながらゆっくりと室内を進み、僕の前でようやく歩みを止めた。その視線が、ようやくこちらに向けられる。目が合った瞬間、身体の芯が凍りつくような錯覚を覚える。


 年齢はさほど高くはなさそうだが、その瞳の奥には、場数を踏んだ者だけが持つ深く沈んだ洞察の色があった。ひと目で見透かされるような、不思議な緊張感が走る。


 あの人の声は、やけに短く、鋭かった。


 ただ一言、「名を」と。


 僕は名乗った。カイ。反射的に口にしていた。


 喉が渇いていたはずなのに、声は意外にもちゃんと出た。


 それを聞いた男は、静かにこちらを見たまま、何も言わなかった。ただ、何かを測っているような目だった。


 ──見透かされてる、そんな感じ。


 「出身は?」


 そう尋ねられた気がする。けれど、もう、そのあたりから曖昧だった。


 この世界、いや、正確には僕の知る世界ではない。そんなことは分かっていた。それでも、ありのまま伝える以外に答えはない。


 「僕は、東京で育ちました。」


 その言葉を口にした瞬間、部屋が一瞬静まり返った。隊長は眉をひそめて、僕をじっと見つめる。目の前にいる男は、何か納得したような表情を浮かべていた。その顔には驚きも、疑念もなく、まるで僕が言った言葉が特別な意味を持っているかのように思えた。


 隊長の困惑した表情と男の不思議と納得した顔が交差する。その空気は、しばらく続いた。隊長は、何か言おうとしたのか、唇を少し動かしたが、結局何も言わなかった。


 男は、しばらく僕を見つめた後、ふと目をそらし、隊長の方へと歩み寄った。静かに、しかし確実にその距離を縮める。


 「ロリス…」と、男は低い声で耳元にささやいた。耳打ちの音は、他の誰にも聞こえないように、その場の空気に紛れて消えていく。


 その一言に、何かを理解したような気がした。僕がどこから来たのか、なぜかその言葉が示す何かを男は感じ取ったのだろう。


 隊長は依然として困惑しているようだったが、その目には少しの疑念もなくなったように見えた。


 この部屋は静かすぎて、自分の鼓動がうるさい。

 何も言われていないのに、なぜか叱責を受けたような気がしてならない。


 彼は黙っていた。


 隊長も、何も言わない。


 その沈黙が、ひどく重たい。


 何かを見定めているような視線が、ずっと僕に注がれていた。じっとりと、でも冷たい感じ。触れもしないのに、皮膚の奥がざわつく。

 問い詰められているわけじゃないのに、逃げ出したくなった。



 この人はいったい何者なんだろう。

 隊長よりも偉い、そんな雰囲気があった。

 でも、威圧感とは違う。むしろ、静かすぎるのが怖い。


 何も語らないまま、全てを知っているような目をしていた。


 少しして、ようやく彼の口が開いた。

 言葉ではなかった。


 ただ、静かに視線を隊長へ向けると、ほんのわずかに顎を動かした。

 その仕草だけで、隊長はすぐに動いた。


 僕のことをもう一度ちらりと見ると、すぐ部屋を出て行った。


 扉が閉まる音が、やけに響いた。


 部屋に残ったのは、僕と彼だけ。

 それからも、すぐには何も言われなかった。


 沈黙。あまりにも長く感じた沈黙。


 やがて、彼はゆっくりと椅子に腰を下ろした。手を組み、視線は僕から外さないまま。


 試されている。たぶん、そうなんだろう。

 でも、何を?

 何もしてないのに、何かを暴かれていく感じがする。

 今、自分がとても小さく、はだかで立たされているような、そんな気分だった。


 しばらくすると、彼は椅子の背に手をかけ、ゆっくりと立ち上がった。

 音もなく、静かな動作だった。


 背後の本棚へ向かう。迷いのない足取りで、指先が一冊を引き抜いた。


 重厚な装丁。皮表紙。金の綴じ飾り。


 長い時を経てきたのが一目でわかる、それだけで空気が変わるような本だった。

 彼は何ページかを指先で繰り、やがて、ある一点で手を止め、そのまま本をこちらに向けてくる。


 中身を見た瞬間、言葉が出なかった。


 黒々としたインクが並ぶそのページには、僕の知るどの言語とも違う奇怪な文字がぎっしりと並んでいた。


 「……何が書かれているかわかるか?」

 低く抑えた声が、耳に届いた。


 僕は目を離さずに、ほんの一拍だけ間を置いて、首を横に振った。

 「いいえ。わかりません」


 言葉はかすれ気味に口をついて出た。乾いた喉を通るようにして。


 男はすぐには反応しなかった。ただ、ほんのわずかに目を細める。

 

 それは落胆でも、失望でもなく――静かな観察のようなものだった。


 「そうか」と、彼はぽつりと呟いた。


 本を閉じる音が部屋に響いた。硬く、乾いた音だった。

 そのまま本を元の棚に戻す。音もなく滑らせるように。


 やがて、彼は口を開いた。


 「――君は、この世界の住人ではないらしいな」


 淡々とした声だった。驚きも、怒りも、疑念もなかった。ただ、既にある事実を確認するように、静かにそう言った。


 「前にも、同じような事例が二件、記録に残っている。断片的な報告ではあるが……君とよく似た話だった」


 彼の視線が、まっすぐ僕に向けられた。鋭くもなく、優しくもなく、ただ確かめるように。まるで僕が、報告書に記された“何か”と照合されているかのような感覚。


 「どちらも、あの“不思議な穴”から現れた者たちだった」

 彼は「不思議な穴」と口にしたとき、ほんのわずかに声を抑えた。まるでその存在に、何か忌避するような感情が込められているかのように。


 「……その前に現れた二人組は、こちらの者が声をかけると、いきなり妙なものを突きつけてきた」


 彼の目が、どこか遠くを見るように細められる。過去の光景を思い出しているのか、それともあえて感情を切り離して話しているのか、判断はつかなかった。


 「――手のひらほどの黒い金属製の道具だった。こちらでは見たこともない形状だったが……それを向けて、何かを発射した。音がした次の瞬間には、兵が倒れていた」

 声にはわずかな怒気が滲んでいた。だが、それ以上に冷静で、事実だけを伝えようとする意志の方が強かった。


 「七人の死傷者が出た。うち、三人は即死。あとの四人も重傷で、うち二人は今も寝たきりだ」

 部屋の温度が一気に下がったような錯覚を覚える。先ほどまでの沈黙とは異なる、明確な圧がそこにはあった。


 「君は、あの市場の一角で、ただ縮こまっていただけだった」

 それは事実の確認であり、同時に評価でもあった。疑いを含みながらも、そこに敵意はなかった。


 「だからこそ――我々にとって、今のところは“無害”なのだろう」

 言葉の端々に重みがあった。それは釘を刺すようでもあり、安易な楽観を許さない距離感のようでもあった。


 「そして、君の言葉通りであれば……君は、“ここ”とは違う世界の住人ということになる」

 淡々と語られる声。その向こうにある感情は、読み取れない。


 「だが、その“違う世界”がどういう場所で、君がそこから何を持ち込んだのか……それを、私たちはまだ知らない」

 視線が、まっすぐに突き刺さるようにこちらを射抜いてくる。


 「――だから、聞かせてほしい。君が見てきた世界について、そして君自身について」

 「だが、その前に――」


 彼の声色が、少しだけ低くなる。


 「君には、私の下で……私のために働いてもらうとしよう。もちろん、拒んでも構わない」

 穏やかな口調だったが、その実、選択肢など存在しないに等しかった。


 「ただその場合――君の生死なぞ、私の知ったことではないぞ」

 その言葉には、同情も躊躇もなかった。冷たい現実が、言葉の隙間から染み出すようだった。


 「……何の罪も犯していないとでも言いたげな顔だね」

 彼はわずかに唇の端を持ち上げる。その笑みは、愉快というより、むしろ観察者のそれに近かった。


 「ああ、確かに。君は――何の罪も犯していないさ」

 そう認めた上で、なお突きつけるように言葉を続ける。


 「だが、君が“突拍子もなく”現れたところを見た市民や兵士が、何人いた?」

 その問いかけは、答えを求めてはいなかった。ただ、否応なく現実を突きつけてくる。


 「異なる世界から来たなどと――果たして、誰が信じるだろうな?」

 その声には皮肉すらなかった。ただ冷静な、残酷な現実だけがそこにあった。


 「そして――あの例の殺傷事件が、起こっていた」

 彼の声は、わずかに重たさを帯びていた。


 「当然ながら、この国の中に“異世界から来た者”などと好意的に受け取る者はいない」

 彼は肩をすくめ、まるで当然のように言った。


 「君のことを、我々が保護していなければ……“奇術使いの不審者”として即刻処分されていただろう」


 その言葉は、脅しでもなければ同情でもない。純然たる、冷静な“事実”として淡々と告げられた。


 「恐れられているんだよ、君は」

 鋭くも静かなその声が、胸の奥に突き刺さる。

 そして再び、彼は言葉を切った。


 「……君は、どうする?」


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