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異世界転移記 ~層彩のキャンバス~  作者: 0
第二章 <遠足>
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27話

 最近、エナがまた家に戻ってこずにいる。


 どうやら、前に倒したゴーレムに関する研究を進めているらしい。


 思えば、エナと最初に出会ったのは魔術研究棟だった。


 あのときはまだこの世界の何もかもが未知で、警戒ばかりしていたけれど、彼女だけは最初から妙に馴れ馴れしくて……いや、好奇心の塊みたいな人だった。


 それでも、僕がこの世界で使える魔力銃を試作したとき、助言をくれたのは、間違いなく彼女だった。


 すごい研究者なんだろうなって、ふとそう思った。


 ロリスにも尋ねてみた。


 「エナって、やっぱりすごいのか?」


 ロリスは一瞬、答えを選ぶように沈黙した。

 だが、少しだけ困ったような顔をした後、ゆっくりと言った。


 「……あいつはすごいよ。間違いなく。」


 その言葉には、どこか含みがあった。


 僕が「エルフで人間の国で活躍できてるのは、きっとすさまじい努力をしたんだろう」と言うと、今度はロリスはためらうことなく答えた。


 「努力したかどうかは知らんが、この国に頼られるくらいだから、あいつはそれだけの実力を持ってる。……それだけは確かだ」


 ロリスの声は、どこか感情を抑えるような響きがあった。

 それは敬意なのか、羨望なのか、それとも別の何かなのかは分からない。


 ただ、言葉の端々から感じたのは、エナがこの国にとって必要不可欠な存在であり、そして、それをロリスもよく理解しているということだった。


 それでも、やはりさっきの一瞬の沈黙は引っかかっていた。


 彼女のプライバシーに配慮しただけなのか、エルフであるという事実を僕に伏せたかったのか、あるいは――

 人間の国が異種族に頼っているという現実に、複雑な思いがあるのかもしれない。


 僕はロリスの横顔をちらりと見て、胸の奥にその疑問をしまい込んだ。

 後者は――きっとないだろう。

 ロリスだもの。


 彼がそんなことで、誰かを見下したり、価値を下げたりするような人間じゃないのは、もうわかっている。

 誰であれ、実力を見ればちゃんと認める人だ。むしろ、だからこそ余計に気を遣ったのかもしれない。


 僕は小さく息を吐いて、視線を戻す。


 エナのことも、ロリスのことも――たぶん、僕が思っているよりずっと複雑で、ずっと強い人たちなんだ。

 それに追いつくように、僕も進まなきゃならない。


 魔力銃以外にも、何かしら役立つものを考えなきゃ――そう思った。





 魔力銃のときは、ある意味で切羽詰まった状況だった。自分の身を守るため、そしてこの世界で自分の価値を証明するため。だからあのときは、あれこれと考え込む間もなく手が動いた。


 自分の価値を証明できなければ、良くて路頭に迷い、悪ければ、この世界で生きることすら許されなかったかもしれない。


 けれど今は違う。

 屋根のある寝床があって、食事に困らず、危険に怯えることもない。ロリスも、セファーも、僕のことを認めてくれた。


 その安心が、ありがたい反面、何かを生み出す原動力を少し奪っているようにも感じていた。


 「このままじゃ、駄目なんだよな……」


 口に出すと、ほんの少しだけ、気持ちが引き締まった。

 贅沢な悩みかもしれない。でも、何もしていない時間が、逆に僕の中に焦りを呼び込む。


 価値を証明する必要はもうないのかもしれない。

 けれど今度は、自分で自分に価値を感じられなくなることが怖かった。


 ――だから、次を見つけなきゃならない。

 ただ与えられた役目をこなすんじゃなくて、自分から何かをつかみに行くために。


 だけどこの世界に役立つものを何か新しく作ると言っても、なかなか頭に浮かばない。


 魔力銃だって、セファーに言われて開発したのであって、自分から思いついたわけじゃない。


 だからこそ、今度は自分の意志で何かを生み出したい。

 何か――この世界にとって必要なものを。


 でも、一体何が必要なんだろう。


 今の生活に困ることはない。

 だからこそ、その答えを見つけるのが難しかった。


 ただ便利なものを作るだけでは意味がない。

 必要とされるものでなければ、それはただの趣味で終わる。


 机の上でペンをくるくると回しながら、ぼんやりと考え続ける。


 オーバーテクノロジーも遠慮したい。

 この世界の技術体系を壊すつもりはないし、過度に進んだものを持ち込むことで、不均衡を生み出したくもない。


 今ある技術と自然に馴染み、役立つもの――それが理想だ。


 だけど、その「ちょうどいい」が難しい。

 何かを生み出すためには、その世界の枠組みを理解しなければならないし、既存のものを踏まえた上で発展させる必要がある。


 「この世界に馴染むもの、か……」


 つぶやいてみても、答えはまだ見つからない。


 けれど、このまま何もせずに立ち止まるのは嫌だった。

 考えて、試して、動いて――その積み重ねが何かを生み出すはずだ。





 着想を得るためには、やはり外に出るしかない――そう思った。

 部屋で一人、考えを巡らせても、浮かんでくるのは堂々巡りばかりだ。

 この世界に何が必要とされているのか、何が足りていないのか。それを知るには、外の空気を吸って、人の営みを見て、自分の目で確かめるしかない。


 「ロリス、ちょっと付き合ってくれないか?」


 そう声をかけると、彼は少しだけ眉を上げてから、すぐに頷いた。


 「いいぜ。こういうときは、黙って一人で抱え込むよりよっぽどマシだ」


 街を歩く。人通りのある通りもあれば、ちょっと裏に入るだけで知らない路地が無数にあって、行き交う声や匂い、風の流れすら違っていた。


 普段は通り過ぎるだけの通りに、見慣れない木製の看板が目に入った。


 居酒屋のような店だった。

 粗削りな木造りの外観には、歳月を感じさせる傷や染みが残っている。軒先には色褪せた布が垂れ下がり、風に揺られては時折柱に絡まる。

 入口近くでは、薪の香りとわずかに焦げた肉の匂いが混じり合い、腹を鳴らせるには十分な刺激だった。


 扉の代わりに掛けられた分厚い布の向こうから、くぐもった話し声と、木杯がぶつかる鈍い音が漏れ聞こえてくる。

 夕方にはまだ少し早い時間だが、すでに何人かの客が腰を落ち着け、薄暗いランプの灯りの下で酒を傾けているようだった。


 お酒は飲まないたちだから、入ろうと思うことはなかったが――それでも、どこか惹かれるものがあった。


 店構えの古びた味わいや、入り口に漂う匂い、それに混じる人の気配。

 ただの酒場というより、まるで「街の縮図」のような空気が漂っている気がした。


 ロリスも一緒に立ち止まっていた。

 彼はふと笑って、少し肩をすくめた。


 「せっかくだし、入ってみるか」


 自分からそう口にしたのは、我ながら珍しいと思った。

 けれど、何かを探している今の自分には、こういう偶然に身を任せるのも悪くない気がした。


 ロリスは特に驚きもせず、「おう」と軽く頷いて、布をめくって中に入る。

 僕も続いて店内へ足を踏み入れた。


 ――薄暗い。けれど、暖かい。


 油ランプの柔らかな光が、壁や天井の木目をゆらゆらと照らしている。

 客たちはそれぞれの席で、静かに酒を楽しんでいたり、くすくす笑いながら会話をしていたり。

 ざわめきはあるけれど、うるさくはなく、まるで小川のせせらぎみたいに心地よい音の流れだった。


 長いカウンター席の端に腰を下ろすと、店主と思しき髭の濃い中年男性が、ちらりとこちらを見て「いらっしゃい」とだけ言った。


 酒は飲まないので、ホットミルクを一杯いただいた。隣に座ったロリスはビールを頼んでいた。


 僕は温かな湯気が立ち上る白い液体を見つめながら、ゆっくりと息をつく。

 ミルクの柔らかい香りと、わずかに感じる甘みが喉を温める。


 店のざわめきを聞きながら雰囲気を楽しんでいると、不意に店内が少し静まるのを感じた。

 振り向くと、一人の男が入口近くに立っている。


 旅人のような風貌。歳はそれほどでもないが、風にさらされた衣服には長い旅路の跡が滲んでいる。


 楽器を携えた男は、ゆっくりと店の奥へと歩みを進める。


 その楽器は、どこか琵琶に似ている。優雅な曲線を持ち、木の温もりが指先に馴染むような形状だ。


 きっとリュートというものなのだろう。


 男は腰を下ろすと、ゆっくりと楽器の弦をなぞる。指先が軽く触れただけで、低く澄んだ音が店内に広がった。


 客たちは自然と視線を向けるが、誰も言葉を発さず、ただその旋律の始まりを待っていた。


 リュートの音は、どこか語るようだった。静かで穏やかで、それでいて芯のある響き。


 男はもう一度弦を弾くと、今度はゆるやかにメロディを紡ぎ始める。


 まるで夕暮れの風が店内を包み込むような音だった。


 ロリスは杯を傾けながら、ちらりと男を見た。僕も湯気越しに、その指の動きをじっと見つめる。


 音楽は、言葉とは違う形で物語を紡ぐ――そんな気がした。





 僕もかつてピアノの習い事をしていた。


 最初は、ただ純粋に「かっこいい」と思っただけだった。

 人が奏でる音に惹かれ、その姿に憧れた。だから、どうにか両親を説得して始めた。


 毎週決まった時間に教室へ通い、先生に指導されながら鍵盤をなぞる。指の動きに意識を向け、楽譜通りに音を紡ぐ。


 けれど――いつの間にか、それは憧れではなく、義務になっていた。


 うまく弾けなければいけない。先生に認められなければいけない。習ったものを完璧にこなさなければいけない。


 楽譜の音をなぞることは、楽しいものではなくなっていた。


 気づけば、「弾くこと」よりも「間違えないこと」にばかり気を取られていた。音楽ではなく、作業のように――。





 久しく音楽を「楽しむ」ことから遠ざかっていた。

 ピアノを弾く指は止まり、楽譜も閉じられたまま、ずっと。


 でも今、あの男が奏でる旋律を耳にして、胸の奥に微かに残っていた何かが、静かに揺れた。

 それは憧れかもしれないし、後悔かもしれない。あるいは、もう一度「音楽」と向き合いたいという、ささやかな願いだったのかもしれない。


 「……不思議なもんだな」


 僕がそうつぶやくと、隣のロリスがゆっくりこちらを見て、小さく笑った。


 「何が?」


 「ただ音を聞いてるだけなのに、昔のことを思い出したりする。なんか、すごく遠くに来た気がするんだ」


 ロリスは言葉を返さず、黙ってビールの泡を口に運んだ。その仕草はどこか静かな肯定のようで、それがありがたかった。


 リュートの音は、なおも続いていた。

 語るように、歌うように、たった一本の弦の音色が、店内の空気をやさしく包み込んでいく。


 たぶん、こういうのも「物語」なんだ。

 人の心に残る音や、風景や、記憶。そういうものが、誰かの中で繋がって、新しいものを生む。


 目を閉じて、そっとホットミルクの湯気を吸い込んだ。

 ほんの少し、胸の中が温かくなった気がした。


 自分の中で、ひとつの選択肢が生まれたかもしれない。

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