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異世界転移記 ~層彩のキャンバス~  作者: 0
第一章 <始まり>
26/30

とある騎士に関する記述①

 薄暗い石造りの回廊を、重たい空気が淀んでいた。足音が吸い込まれていくような静けさの中を、ひとりの少女が慎重に進んでいく。

 膝まで届くブーツに軽量合金のプロテクター。腕には情報端末を組み込んだリストデバイス。腰のホルスターには、光刃と見紛う高周波ナイフが収まっている。

 そんな未来的な装備に身を包んだ少女は、明らかにこの場所――時代を忘れられた石の墓所には、似つかわしくなかった。


 尖った耳とあどけない顔立ち。その外見だけを見れば、年端もいかない子どもにも見える。けれど彼女の眼差しは、目の前の光景をまるで“戦場”でも見るかのように鋭く見据えていた。


 数百年、あるいは千年を超えて閉ざされていたとされる古代の地下墳墓。

 少女は、崩れかけた封印扉の前に立ち止まって触れてみたが、どこかあきらめたように息を吐き、ポケットに入っていた解析装置らしきもので開錠し、慎重に中へと踏み入った。


 足元に広がるのは、土と石のにおい、そして時間そのものの重さだった。

 彫像の欠けた列柱が続き、壁面には風化した彫刻や刻文がかろうじて残っている。何体もの石棺や納骨室が配置されたその空間には、死と静寂、そしてひどく深い眠りの気配があった。


 慎重に通路を辿り、いくつかの墓室を確認したが、どこも遺体や副葬品が納められているだけだった。全く、これじゃただの墓あらしみたいじゃないか。

 ところが、奥へ進んだ先――本来なら聖域として閉ざされているはずの場所に、妙にこぢんまりとした一室があった。

 足元に広がるのは、土と石のにおい、そして時間そのものの重さだった。

 彫像の欠けた列柱が続き、壁面には風化した彫刻や刻文がかろうじて残っている。何体もの石棺や納骨室が配置されたその空間には、死と静寂、そしてひどく深い眠りの気配があった。


 慎重に通路を辿り、いくつかの墓室を確認したが、どこも遺体や副葬品が納められているだけだった。

 ところが、奥へ進んだ先――本来なら聖域として閉ざされているはずの場所に、妙にこぢんまりとした一室があった。


 扉はなかった。もしくは風化で崩れたのかもしれない。

 少女はわずかに目を細め、センサーで空間の成分を確認した。問題なし。

 小さく息を吐いて、足を踏み入れる。


 そこだけは、明らかに他と異なる空気があった。

 墓所のはずなのに、そこはまるで――書斎だった。


 粗末な木製の机と椅子。古びた燭台。芯の残らないロウソクは燃え尽きたまま、灰のような埃に沈んでいる。

 床には砕けたインク壺、机の端には山のように積まれた書物。どれもA4サイズほどの紙束で、手帳とも記録帳ともつかない判型。明らかに誰かが、ここで“何かを書いていた”痕跡があった。


 机の中央には、異様な存在感を放つ一冊の書物が置かれていた。

 分厚く、古びて、表紙には何の文字も記号もない。

 ただ積もった埃だけが、その年月の長さを語っていた。


 筆記具と共に眼鏡が置かれていた。使用者の姿はない。けれどその道具たちは、今にも誰かが戻ってきて続きを書き出しそうな錯覚を覚えるほど、そこに“あった”。


 少女は無言のまま、机の端に積まれた書物の一つを手に取った。

 埃を指先で払うと、表紙の革の質感が露わになる。何か――文字のようなものがかすかに刻まれていた。

 だが、摩耗と経年の風化により、もはや判読は不可能だった。


 少女はしばらく見つめたあと、ページをめくる。

 すると――



---



 最近、カイのやつが日記なるものをつけているらしい。

 まったく、紙は貴重品だってのに。貴族の道楽みたいなもんだろうに、と思った。

 けれど、あいつが日記帳に向かってペンを走らせる様子を見ていると、不思議と――悪くないな、と思えた。


 たぶん、文字を書くことで、何かが少し整理されるんだろう。

 あいつの顔には、どこか落ち着いた色があった。

 この世界に来てから、いろいろあっただろうに。そんな表情を見せられるのは、ちょっと羨ましい。


 エナがたまに「読ませて」とカイにだるがらみしているのを見たことがある。

 けれど、優しくずっと相手をしていたカイは、最後までそれを見せようとしなかった。

 なんでも「自分のために書いている」んだそうだ。


 ますます意味がわからない。

 なら、書かなくたっていいじゃないか。

 そんな気がした。


 けれどカイは笑って、「書いてみたらわかる」とだけ言った。

 ――何がわかるってんだ。

 俺には、さっぱりだ。


 異世界ってのは、ほんとに理解不能だ。

 最初に出会ったのが、へんてこな武器だったと思えば、今度はこんなもんだ。


 文字を書いて、何になる。

 紙に自分の気持ちを刻んで、それがどうなる。


 というか。

 異世界から来ただけで、重用されるようになるなんて――ばかばかしい。

 もちろん、あいつがこの世界にない知識を持っているのは知ってる。

 それが役に立つのも、わかってる。


 けど、それだけで認められるなんて。

 なら、俺が今まで剣を振るってきたのは、なんのためだったんだ。


 血を流し、汗を流し、歯を食いしばって。

 積み重ねた時間が、ただ“生まれ”や“出自”ってやつにあっさり追い越される。

 そんなの、納得できるか。


 ――それでも。


 気づけば、カイのやつを見ている自分がいる。

 気づけば、あいつの隣で歩いてる自分がいる。


 なんなんだろうな、俺は。

 悔しいのか、情けないのか、それとも――。


 この間も、魔力についてエナとなんか語ってたけど。

 魔法が存在しない世界から来たくせに、もう、あの“何でものエナ”の言うことを理解できるなんて。


 ……なんなんだ、あいつは。


 俺だって、ずっと魔法の世界に生きてきた。

 それなのに、知らないことばかりだ。

 自分がどこまで行っても届かない気がして、無性にイラつく。


 私だって、学院で舐められないように、出世できるように、努力してきたつもりだ。

 一番、自分にとって得意で、近道だと思った“武”を磨けるなら、なんだってやった。


 学院の座学なんて、入学して一か月で行かなくなった。

 代わりに、毎日王都周辺の山や森の中で魔物を狩った。

 剣を握り、泥にまみれ、血にまみれた。

 学びの場は、教室じゃなくて戦場だった。


 毎日、汚れながら。

 毎日、傷だらけになりながら。

 強くなるために、前に進むために、戦い続けた。


 朝日が昇る頃に剣を振り、

 夕暮れには魔物の血で服を染めて帰った。

 夜には傷の手当をして、眠る。

 そしてまた翌朝、剣を握る。


 ただ、それだけの日々だった。


 そんな自分に、誇りがなかったわけじゃない。

 無駄だとも、思わなかった。


 もちろん、これらはすべて自分に風魔法の才能があったからだ。


 かといって――それだけで勝てるほど、世界は甘くなかった。


 才能だけで済むなら、こんなにも剣を振るう必要はなかった。


 身分という、大きな壁を超えるには。

 圧倒的な力で、黙らせるしかなかった。


 言い訳も、弁解も、誤魔化しも、効かない世界だ。

 力があれば、周囲は勝手に口をつぐむ。

 力がなければ、ただ見下されるだけ。


 だから、力が欲しかった。

 認めさせたかった。

 あの忌々しい“血”の色も、“家”の名も、全部超えて見せたかった。


 振り上げた剣は、自分の誇りの証だと思ってた。

 削った肌も、流した血も、全部、自分の歩いた証だと。


 学院の武闘会では、負けなしだった。

 同じ学年の誰にも、上の学年の先輩たちにも、一度も膝をつかなかった。


 エキシビションでは、当時の副騎士団団長とも戦った。

 意外にも、いい勝負だった。

 副騎士団団長が本気を出していたかどうかはわからない。

 けれど、前の試合で消耗していなければ――勝敗はわからなかったかもしれない。


 ……まあ、そんなこと言ったところで、負け犬の遠吠えか。


 でも、私は確かに戦った。

 実績を積み重ねた。

 強さを、国のために働く“騎士団”の人たちに見せつけた。

 

 そのおかげで、あっさりと騎士団への入団が決まった。

 面接も形式的なもので、私の名前が呼ばれる前から、結果は決まっていたのだろう。


 それから間もなく、騎士団の第一部隊長に任命された。

 前任の隊長が遠征で負傷し、戦線を退いたタイミングだった。


 誰もが「若すぎる」と言った。

 「早すぎる」とも言った。

 でも、反対は少なかった。

 なぜなら、実績がすべてを語っていたからだ。


 私は剣で勝ち取った。

 戦いで、立場をもぎ取った。


 でも。

 大きな壁が、またそこにあった。


 「礼儀がなっていない」――何度も、当時の騎士団団長に言われた。

 どれだけ剣を振るえても、どれだけ戦場で勝てても、

 “立場”を持つ者としての振る舞いが足りないと、繰り返し叩き込まれた。


 剣を握るよりも、頭を下げるほうが難しかった。

 言葉を選び、空気を読み、誰かの機嫌を損ねないように立ち回る。

 そんなの、戦場よりずっと息苦しかった。


 けれど、それが“隊長”というものだった。

 どんなに不満があっても、誤解があっても、

 言い返さずに耐えるのが、私の“強さ”だと信じるしかなかった。


 ようやく、騎士団団長の座に上り詰めたときは、

 それはまるで、長い間支え続けてきた重荷を降ろしたかのような、解放感があった。


 数々の試練、戦場での活躍、そして幾度となく足を引っ張られたことを乗り越えて、

 私はついにその座にたどり着いた。


 団長の役職を務めて、まだ3年足らずで、いきなり年下の、どこから来たのかもわからない男のお守りをしろと言われることになった。


 初めは信じられなかった。

 あんなに長い間、努力して積み重ねてきたものを、いきなり一蹴されるような感覚に襲われた。

 それも、ただのお守り、護衛役として。


 セファーは、無駄に自信満々で、まるで私がすべきことだと言わんばかりの態度だった。


 否定された気分になったけれど、セファーとは長い付き合いゆえに、私は知っていた。


 彼はいつでも正しかった。


 だからこそ、尚更納得がいかなかった。


 セファーの判断は間違っていない。 それは、長い間共に過ごしてきた俺が、一番よく知っている。


 けれど――それがわかっていても、感情は別だった。


 あれほど剣を振るい、血を流し、牙を研いできた俺が、今さら"護衛"だと?

 国を守る誇りも、仲間と戦場を駆ける歓喜も、 すべて置き去りにして、ただ誰かを守るためだけの役回り。


 そんなもの、剣を握る者として――納得できるはずがない。


 それに、相手がよりにもよってカイだというのも、問題だった。


 異世界から来た男。 知識を持ち、言葉を操り、戦場ではなく思考で戦う男。


 剣を振るわずとも、彼はこの世界に受け入れられた。 "異世界人"というだけで、価値を認められた。


 それが――無性に癪だった。


 私は剣を磨いた。 汗を流し、泥を踏みしめ、血を拭うことで地位を築いてきた。


 なのに、カイはどうだ?

 ペン一本で、この世界の者たちと渡り合う。

 知識だけで、武を磨いた俺と対等の位置にいる。


 それが許せなかった。


 ……いや。違う。


 本当に許せなかったのは、私自身だ。


 私は、カイに嫉妬している。

 異世界人のくせに、この世界を理解しようとしているその姿勢に。

 剣を握ることなく、戦っているその在り方に。


 私にはないものを、カイは持っている。

 それが悔しかった。


 カイとかかわるうちに、物腰が柔らかく、優しい人だと知った。

 初めは、ただの異世界の住人に過ぎないと思っていた彼が、実は深い思慮と、他者を思いやる心を持っていることに気づかされた。


 彼の住む世界もまた、きっとこの世界よりもはるかに安全で平等で、誰もが力を持つことなく生きられる場所なのだろうと、少しずつ感じるようになった。

 何よりも、カイ自身がその世界を大切に思っていることが、よく伝わってきた。


 だが、それでも、心のどこかで彼を羨ましく思う自分がいる。

 カイには、俺にはない何かがある。

 彼が持っているものを、俺はどうしても手に入れることができない。それが悔しい。


 何もかもがうまくいっているように見えるカイに、俺はどうしても引け目を感じてしまう。

 剣で戦うことだけが自分の強さだと思っていたけれど、カイのように、他の方法で周りと渡り合う力を持っていることに、無性に焦りを感じる。


 なんだって、あの変人と名高いエナが、自分からカイに興味を持っているんだ。

 全くかなわないな。


 いつの間にか、カイのことを仲間だと思っていた自分がいる。

 最初はただの異世界の存在、ただの任務の一環として関わっていたはずなのに、気づけば彼の持つ穏やかな強さや、人々に対する接し方が、次第に俺の中で何か大きなものに変わっていた。


 どうも彼も、自分のせいで私が騎士団から離れることになったと思っているようだ。

 言葉にせずとも、腹黒いお貴族様と比べれば、カイの気持ちは読めやすい。

 彼の表情や言動から、どれだけ私を心配しているかがひしひしと伝わってくる。その純粋さに、思わず心が揺れることもあった。


 でも、カイが抱えるその重荷を、私は払拭してあげられない。

 不運にも、彼がこの世界に迷い込んでしまったばかりに――。

 いや、もしかするとそれは“不運”ではなく、“運命”なのかもしれない。


 彼はこの世界に来たことで、多くのものを失っただろう。

 家族も、友人も、帰るべき場所も。

 それでも、カイは笑っていた。

 決して声高には語らず、淡々と、自分の立場を受け入れようとしていた。


 気丈にふるまうように見えることもあったけれど、

 その笑顔は決して作り笑いとは思えない――いや、思いたくもない。


 私たちと楽しく過ごせているその姿は、

 どこか儚げで、それでも確かに温かかった。


 笑い合う時も、ふざけ合う時も、カイはどこか一歩引いた場所にいる。

 けれど、その一歩は拒絶ではなく、周りを見守るための距離に思えた。


 ――本当は、もっと近くにいてもいいんだぞ。


 そう声をかけたくなる瞬間が、何度もあった。

 でも俺には、それを口にできる勇気がなかった。


 お前が背負っているものの重さを、

 お前自身が一番わかっているだろうから。


 決して認知はされないが、けれど確かに助かっている――この世界を深く知れば知るほど、我々の役に立つのだろう。


 表舞台に立たずとも、剣を振るわずとも、

 カイの持つ知識や視点は、俺たちにとって武器になる。


 それがわかっていても、なお心のどこかで割り切れない自分がいる。

 それでも、きっと俺は、これからもカイの隣に立つだろう。


 あいつが誰にも気づかれずに戦っているなら、

 せめて俺だけでも気づいてやりたい。


 ――あいつは、戦っている。

 剣ではなく、言葉と知恵で。


 そんな姿を、私は誰よりも誇りに思うのだ。




---




 と、ロリスはペンを走らせる手を止め、静かに息を吐いた。


 日記の意味が分からないという割には、柄にもなく結局書いてしまった。


 ――というか、日記ってこんな感じでいいのか?


 ロリスはペン先を見つめ、ため息をひとつ。

 カイのやつが「思い出しながら、この世界に来た初日から今に至るまでを書き記す」なんて言ってたのを思い出す。


 (そんなに簡単に、振り返れるもんかよ)


 心の中でぼやきながらも、ページを見返す自分がいた。

 自分がどんなことを感じ、どんなふうにカイと向き合ってきたか。

 言葉にしてみると、不思議と心のどこかが軽くなる気がした。


 「……ったく、面倒くせえこと教えやがって」


 ロリスは苦笑しながら、ペンを置いた。

 日記というには拙い。

 けれど、自分なりの答えが、そこには確かに刻まれている気がした。


 初めての日記で、自分が書いた言葉の数々を目でなぞった。


 思ったより、こっぱずかしい。


 何を偉そうに語ってるんだ、私は。


 確かに、とても人様に見せられるものじゃないな。


 ロリスは苦笑いを深め、日記帳をぱたんと閉じた。

 このページを誰かに読まれるくらいなら、まだ剣の腕試しのほうがマシだと思う。


 (でも……)


 胸の奥に、小さな安堵が灯っていることに気づく。

 文字にして吐き出したことで、少しだけ自分の気持ちが整理された気がした。


 「……カイのやつ、これを毎日続けるのかよ。変わってんな」


 呆れたように、でもどこか羨ましげに。

 ロリスは夜の帳に沈む街を見やりながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


 「さて……私も、私なりにやるしかねぇか」


 ぽつりと零し、ロリスは軽く肩を回す。

 夜風が窓から吹き込み、日記の頁を一枚めくった。


 明日になればまた、剣を握る日常が待っている。

 だが今日だけは、心の中にある小さな言葉たちが、自分を支えてくれる気がした。


 「……よし」


 剣を背に、ロリスは静かに歩き出す。

 仲間のために。自分のために。

 小さく息を吐き、暗い夜空を見上げた。


 その空の下で、誰かが同じように歩き続けていることを、信じながら。

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