24話
エナと楽しいひと時を過ごしたのち、僕たちはゆっくりと帰路についた。
屋台の灯りが遠ざかり、夜風が冷たさを増していく。
それでもエナは、屋台で買った焼き菓子を頬張りながら、軽やかな足取りで歩いていた。
「ん~、これ美味しい! カイも食べる?」
「いや、さっき串焼き食べたばかりだし……お前、よくそんなに食べられるな。」
「別腹だもん!」
エナは口元をふきふき、無邪気に笑った。
やがて屋敷が見えてくる。夜の闇の中に、温かな明かりがぽつりと灯っていた。
僕が門を押し開けると、中庭の方から足音が聞こえてくる。
「……ロリス?」
玄関先に、見覚えのあるシルエットが立っていた。
軽いマントを羽織り、疲れたように息をついている。
「おかえり。」
ロリスは僕たちを見て、小さく微笑んだ。
「遅かったな。無事で何よりだ。」
その表情にはどこか、安堵と、微かな緊張が入り混じっていた。
「……大丈夫?」
僕が声をかけると、ロリスはふっと笑い、軽く首を横に振った。
「心配するな。少し走り回ってただけだ。」
どこかはぐらかすような、その言い方。
でも――疲れた瞳の奥に、何かを隠している気がしてならない。
「……そっか。とりあえず中に入ろう。」
僕の言葉に、ロリスは頷いた。
エナも「うん」と返事をして、僕の後ろからついてくる。
夜の冷たさを背に、僕たちは屋敷の中へ足を踏み入れた。
扉を閉めると、外の闇が切り離され、わずかに安心感が広がる。
「大広間で話そう。」
ロリスがそう提案し、僕たちは暖炉の火が灯る大広間へと移動した。
壁際の椅子に腰を下ろし、僕はようやく深く息を吐く。
「……今日、襲われたんだ。」
開口一番、僕はそう切り出した。
ロリスの瞳が、すっと鋭くなる。
「どこでだ?」
「探索者機構の近くの、裏通りで。」
僕が答えると、ロリスの眉がわずかに動いた。
「探索者機構の近く……なるほどな。」
ロリスは顎に手を当て、考えるように視線を落とす。
「どんな連中だった?」
「暗殺者みたいな格好だった。複数人で、最初から僕を狙ってたみたいに動いてた。」
僕がそう告げると、エナも横から頷いた。
「カイの言う通り。あれは偶然なんかじゃないよ。完全に待ち伏せされてた。」
ロリスは短く息を吐き、深く背もたれにもたれる。
暖炉の炎が彼の横顔を照らし、影が揺れた。
「……なぜだ。」
低い声で、ロリスが呟く。
「カイ、お前が狙われる理由に心当たりは?」
「いや……全然。」
僕は首を振る。
「でも、一つだけ。――助けてくれた人がいたんだ。」
「助けてくれた?」
「獣人族の女性だった。探索者機構にいた人で、名前は……“ヴェルティナ”って言ってた。」
ロリスの目が一瞬鋭さを増す。
「ヴェルティナ……。聞いたことはある。腕の立つ探索者だ。」
「その人のおかげで、戦況はこっちが圧倒してたんだよ。」
エナが少し悔しそうに言葉を継ぐ。
「生け捕りにして情報を引き出そうって思ってた。……でも、どこからか光魔法が放たれて――」
エナの表情が曇る。
「まぶしくて、目が開けられなかった。その隙に、全員逃げられちゃったの。」
僕もあの時の光景を思い出す。あまりに強烈で、一瞬何も見えなくなった。耳鳴りだけが残り、気づけば敵の姿は影も形もなかった。
「……まあ、ともかく。」
ロリスが小さく息をつき、柔らかい声を返した。
「無事でよかったよ。」
その言葉に、僕とエナはほっとしたように顔を見合わせた。
ロリスは微笑みながらも、どこか申し訳なさそうに視線を落とす。
「私がいない間に……こんな騒ぎに巻き込ませてしまったなんて。」
ロリスは手を胸元に当て、わずかに眉を寄せる。
「本当に、すまない。」
「ロリスのせいじゃないよ。」
僕は慌てて首を振る。
「そうだよ!」
エナも勢いよく言葉を重ねた。
「私たち、ちゃんと切り抜けたし。むしろロリスが帰ってきてくれて、ホッとしてるんだから。」
ロリスは二人の言葉に、少し目を伏せ、それから静かに笑った。
「……ありがとう。」
その声には、微かな疲れと、どこか安心が混じっていた。
僕は自室のベッドに横たわり、静かに天井を見つめていた。
いろいろなことが頭を巡る。
――なぜ、僕が襲われたのか。
……いや、そもそも僕自身が狙われていた、という考えが正しいのだろうか。
僕の存在は、まだこの世界で広く知られているはずがない。
ならば、標的は別にいたのか。
けれど、ロリスがいない隙を狙われたのは――偶然? それとも必然?
「……わからない。」
小さく呟いて、目を閉じる。
今日、僕が生きていられるのは――
エナが守ってくれたからだ。
ヴェルティナが駆けつけてくれたからだ。
そして、いつもそばにいてくれるロリス。
あの穏やかな微笑みが、どれだけ僕を救ってくれていたか。
「……ありがとう。」
声にならない言葉が、胸の奥に染みていく。
この世界で、僕にできることはなんだろう。
魔力もない。力もない。
だけど――
守られてばかりじゃいられない。
小さな決意が、心の奥にそっと芽を出す。
「何か……僕に、できることは。」
そう思いながら、天井を見つめ続けていた。
夜の静寂が、ゆっくりと僕を眠りの中へ引き込んでいく。
翌朝。
目が覚めても、体の奥に重たさが残っていた。
眠れなかったわけじゃない。
それでも、昨日のことが脳裏をよぎり続けていたせいか、体に微妙な倦怠感がまとわりついている。
「……はぁ。」
ため息を一つ吐きながら、ベッドを出た。
ルーティンを崩さないように、顔を洗い、服を整え、食事を済ませる。
どこかぎこちない動作になってしまうのを自分でも感じながら。
それでも、日常に戻らなければ。
そう思いながら、僕は屋敷の廊下を歩き、書斎へ向かった。
扉の前で深呼吸を一つ。
ノブに手をかけて静かに開けると――
「……おはようございます、カイさん。」
中ではすでに、サレンが待っていた。
窓際の席に座り、書類を手にしていた彼が、微笑みながらこちらに顔を向ける。
「早いんですね。」
僕は少し驚きながら声をかけた。
「いいえ、もう十分遅い時間ですよ。」
サレンは穏やかな口調で笑みを深め、手にしていた書類を机の上にそっと置いた。
「そういえば、サレンさん。」
僕はふと思い出して声をかけた。
「昨日、サレンさんと別れたあとに……僕、襲われたんだ。」
その言葉に、サレンの瞳がわずかに揺れる。
「……襲われた?」
「うん。だから――サレンさんは、大丈夫だった? 何か変わったこととか、なかった?」
サレンは一瞬考えるように目を伏せ、それから首を横に振った。
「……いいえ。私は何も。そんなことがあったなんて……」
顔を上げ、心配そうにこちらを見つめる。
「大丈夫だったんですか?」
「……まぁ、見ての通り、元気っちゃ元気だけど。」
僕は苦笑して肩をすくめた。
「でも正直、初めてのことだったし……あんまり眠れなかったよ。」
サレンの表情が、少しだけ柔らかくなる。
「……無理もありません。」
穏やかな声でそう言い、僕の隣に座った。
「本当に、無事でよかった。」
その言葉が、胸にじんわりと染み込む。
僕はふっと笑い、目を細めた。
「ありがとう、サレンさん。」
「いいえ。」
サレンは静かに首を振る。
「でも……本当にお気をつけください。」
その穏やかな声の奥に、わずかな緊張が滲んでいた。
「……うん。ありがとう。」
昨日の襲撃のこと、光魔法で逃げられたこと、ヴェルティナのこと。
ぐるぐると頭の中を回る疑問を、すべて言葉にできずに胸の奥にしまい込む。
気持ちを切り替えるように、小さく息を吐く。
サレンが微笑み、こちらを見上げた。その瞳に映る自分が、少しだけ誇らしく見えた。
「さて――今日の予定ですが。」
サレンは手元の書類に目を落とし、少し真剣な表情になる。
僕も背筋を伸ばし、心を落ち着ける。
昨日と同じように、今日も一日が始まろうとしていた。




