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異世界転移記 ~層彩のキャンバス~  作者: 0
第一章 <始まり>
2/29

2話

 僕は無言のまま、騎馬兵の列の中央に押し込まれた。重い鎧の音が足元で響く。歩を進めるたびに、地面を踏みしめる音が規則正しく鳴り、賑やかだった市場の喧騒が次第に遠ざかっていく。


 その時、隊長の腰元に目が止まった。鋭い視線から逃れられぬまま、どうしてもそれが目に入ってしまったのだ。

 ——銃。


 いや、銃のようなもの。だが、明らかにこの時代のものではない。

 精巧な金属の質感と滑らかな曲線、持ち手には刻印のような模様が走っている。

 僕は息を呑んだ。この世界の技術では到底造れないはずの代物。


 胸の奥にざらつくような違和感が生まれる。どうしてあんなものが、ここにある?

 まるで、時代の裂け目からこぼれ落ちたような異物だった。


 僕はその疑問を飲み込み、黙って歩き続けた。


 通りの両側に人々が並び、行列を見つめている。

 「何だあれ……」「あの禁域に落ちたってやつか?」

 ひそひそとした声が耳に届く。誰もが立ち止まり、好奇と恐れが入り混じった目でこちらを見ていた。


 顔が熱くなる。注目されていることが、これほどまでに苦しいとは思わなかった。

 自分は“ただの通りすがり”だと信じたかった。それなのに、今はまるで見世物だ。

 胸の奥が締めつけられるように痛い。


 「なんで僕なんだ……」


 その言葉が心の奥でこだまする。歩幅を速めても、背中に突き刺さる視線は消えない。


 やがて街を抜け、石造りの壮麗な建物が見えてきた。

 高い門をくぐった瞬間、外の喧騒が嘘のように消える。

 ——宮殿だ。


 金の装飾が施された壁、精緻な彫刻の柱、天井から下がる大きなシャンデリア。

 だが、美しさよりも先に感じたのは、圧倒的な静けさだった。

 廊下を進むたびに、甲冑のこすれる音だけが響く。その音がやけに重く、足元から静寂を増幅させていく。


 幾度も曲がり角を抜け、左右対称の扉が並ぶ廊下を歩く。どこも似たような装飾で、方向感覚を奪われた。

 まるで、意図的に外界から切り離された迷宮のようだった。


 やがて隊長が立ち止まり、低く一言。

 「ここだ。」


 背中を押され、部屋へ足を踏み入れる。


 その直後、背後で隊長が短く命じた。

 「下がれ。」


 それだけで兵たちは一斉に動き、迷いなく扉の外へと下がった。

 扉が閉まる音が重く響き、鎧のきしむ音が遠ざかる。静寂が落ちた。


 「……さて。」


 隊長が小さく息を吐き、ゆっくりと僕の方を向く。

 先ほどまでの軍人然とした鋭さが、ほんのわずかに和らいでいた。だが、その目の奥に宿る力は消えない。


 彼の視線が僕を射抜く。

 喉の奥が乾き、息をするたびに空気が重く感じる。

 この部屋の静けさは、外の壮麗さよりもずっと重たかった。


 何かを待っているのか、それとも試しているのか。

 沈黙が長く伸びるたびに、心の中のざわめきだけが大きくなっていく。


 言葉を発すべきか。

 それとも、沈黙を貫くべきか。

 どちらを選んでも、戻れない気がした。


 隊長は無言のまま僕を見つめ続ける。

 何かを待っているのか、それとも僕の反応を探っているのか——けれど、沈黙が長く続くほど、居心地の悪さが増していく。

 何か言うべきか。だが、下手な言葉を発せば、それこそ状況を悪くするかもしれない。


 そう考え始めた矢先——


 静寂を裂くように、部屋の扉が音もなく開いた。


 入ってきたのは、隊長とは異なる威厳を纏った人物だった。彼が一歩踏み入れるだけで、まるで空気の密度が変わったように感じた。

 漆黒の外套に金糸の刺繍が走り、光を受けて微かに揺らめく。身のこなしには無駄がなく、背筋はまっすぐ。穏やかさの奥に、支配者特有の緊張感を孕んでいた。


 隊長は姿勢を正し、深く頭を垂れた。

 「殿下」


 その言葉で、僕は息を飲んだ。


 殿下。つまり、この国の上層に位置する人間。


 男は僕に目を向けることなく、淡々と問う。

 「その者を連れてきたのか」


 低く響く声だった。冷たいというより、重みがある。

 隊長はすぐに答える。

 「はい。封鎖区域にて確認されました。状況を踏まえ、直ちにお目通りをお願いすべきかと」


 男——殿下はわずかに頷くと、ゆっくりと歩を進めた。

 足音が石床に響くたびに、空気が張り詰めていく。

 そして僕の目の前で立ち止まり、ようやく視線を向けた。


 その目と、合った瞬間——

 身体の芯が冷たくなる。


 年齢は、三十代前後だろうか。若すぎず、しかし年老いてもいない。

 けれど、その瞳の奥に宿るものは、明らかに「この場所を動かしている側」の人間のそれだった。

 静かで、深く、見透かすような目。


 「名を」


 短く放たれた声に、思わず背筋が伸びた。

 気づけば、反射的に口が動いていた。


 「……カイ、です」


 自分の声が、思っていたよりもはっきり響いた。

 殿下は眉ひとつ動かさず、その名を心の中で転がすようにして繰り返した。

 「カイ、か」


 沈黙が落ちる。


 彼の目が、ゆっくりと僕を測るように動いた。

 何かを探っている。いや、確かめている。


 「出身は?」


 思わず息を詰めた。けれど、もう誤魔化すことなどできない。


 「……東京、です」


 その言葉が落ちた瞬間、空気が変わった。

 ほんの一瞬——隊長の目が見開かれる。だが殿下は、まるでその言葉を待っていたかのように、静かに頷いた。


 驚きも、疑念もない。

 ただ、理解の色だけがあった。


 隊長は困惑したように殿下を見つめるが、殿下は彼の視線を受け止めることもなく、低く囁いた。

 「……ロリス」


 名前のようにも、符号のようにも聞こえるその言葉を、彼は誰に聞かせるでもなく呟いた。

 だが、確かに隊長の表情が変わった。

 その一瞬で、何かが伝わったのだろう。疑念は消え、代わりに不可解な納得の色が宿る。


 僕はそのやり取りを理解できず、ただ黙っていた。

 けれど胸の奥がざわつく。

 “東京”という言葉に、彼らが何かを知っているような、そんな感覚。


 沈黙が再び訪れる。

 扉の外の足音も遠ざかり、室内には僕たち三人の呼吸音しか残らない。


 殿下の目が、もう一度僕を射抜く。

 それは、問い詰めるようでいて、どこか哀しげでもあった。


 何も言われていないのに、心の奥を抉られるような居心地の悪さ。

 逃げ出したいのに、足が動かない。


 ——この人は、僕のことを知っている。

 そんな確信が、根拠もなく胸を支配した。


 この人はいったい、何者なんだろう。

 隊長よりも上の立場なのは、見れば分かる。だが、威圧というより——静けさが怖い。


 まるで何も語らないまま、すべてを知っているかのような目をしていた。

 沈黙が、形を持ってこちらを押しつぶしてくる。


 やがて彼は、ほんのわずかに顎を動かした。

 その仕草だけで、隊長は反射的に動いた。


 「……はっ」

 短く答えると、僕の方を一瞥してから、迷いもなく部屋を出ていく。


 扉が閉まる音が、やけに長く響いた。


 部屋に残ったのは、僕と彼だけだった。


 しんとした空気。

 外の喧騒が遠い世界の出来事のように思えた。


 彼はしばらく僕を見据えたまま動かない。

 その視線に耐えきれず、息をひとつ呑む。

 何もされていないのに、心の奥を覗かれているような感覚。


 やがて彼はゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 音ひとつ立てずに、手を組み、視線を外さない。


 ——試されている。

 そう思った。

 でも、何を?

 僕はただここに連れてこられただけなのに。


 何かを暴かれるような、そんな感覚が背筋を這う。

 自分が小さく、裸のまま晒されているような気がした。


 やがて、彼は静かに立ち上がった。

 椅子の背に手を添え、そのまま本棚へと歩み寄る。

 その動作に迷いはない。まるで、次に何をするか最初から決まっていたかのようだった。


 指先が、一冊の古びた本を抜き取る。

 皮表紙に金の綴じ飾り。触れただけで、空気がわずかに震えた気がした。


 彼はページを数枚めくり、ある一点で手を止めた。

 そして、表紙ごと僕の方へと向ける。


 目に映った瞬間、息が止まった。


 黒いインクで刻まれた奇妙な文字列。

 見たことのない文字。どんな言語にも似ていない。

 それでも、何かを伝えようとしているような、異様な迫力があった。


 「……何が書かれているか、分かるか?」

 低い声が、空気を切り裂くように響いた。


 僕は首を横に振った。

 「いいえ。分かりません」


 声がかすれていた。喉が乾いているのに、それでも答えなければいけない気がした。


 彼はすぐには何も言わなかった。

 ほんのわずかに目を細め、何かを確かめるように僕を見つめる。


 それは落胆でも失望でもない。

 ただ、静かに観察する目だった。


 「そうか」


 短く呟き、本を閉じる。

 硬質な音が部屋の静寂を貫いた。


 そして、そのまま本を棚に戻す。

 滑らかな動きで、まるで儀式のようだった。


 やがて、彼はゆっくりとこちらを振り返り、淡々と告げた。


 「——君は、この世界の住人ではないらしいな」


 その声音には驚きも怒りもない。

 まるで、既に分かっていた事実を確認するかのような静けさがあった。


 「前にも、同じような事例が二件、記録に残っている」

 彼は一歩近づき、言葉を続けた。

 「断片的な報告にすぎんが……君とよく似た話だった」


 彼の視線が、まっすぐ僕を射抜く。

 その目に宿るのは、好奇でも敵意でもなく、ただ真実を測る者のまなざし。


 「どちらも、“あの穴”から現れた者たちだった」


 その一言の穴という部分で、彼の声がわずかに沈む。

 まるで、その名を口にすること自体を躊躇うように。


 「……その前に現れた二人組は、こちらの者が声をかけた途端、妙なものを突きつけてきた」

 彼の目がわずかに細められる。過去の光景を思い出しているのか、それとも、感情を切り離して語っているのか――判断がつかなかった。


 「手のひらほどの黒い金属製の道具だった。こちらでは見たことのない形状だったが……それを向けて、何かを発射した。音がした次の瞬間、兵が倒れていた」

 声にはわずかな怒気があった。だが、それ以上に、冷静な記録者としての意志が勝っていた。


 「七人が死傷した。うち三人は即死、四人も重傷で……そのうち二人は、いまも床から起き上がれん」

 部屋の空気が、ひときわ冷たくなった気がした。沈黙ではなく、明確な圧がそこにあった。


 「君は、あの市場の一角で、ただ縮こまっていた。それだけだったな」

 それは確認であり、同時に評価でもあった。疑念を孕みつつも、敵意はなかった。


 「だからこそ――君は今のところ無害なのだろう」

 その言葉の端々には、警戒と一線を保つ距離感がにじんでいた。


 「君の言葉どおりなら、君はこことは違う世界の住人だ」

 淡々とした声。その奥にある感情は、まるで霧に隠されたように読み取れない。


 「だが、その違う世界がどんな場所で、君がそこから何を持ち込んだのか――それを我々はまだ知らない」

 視線がまっすぐに突き刺さる。逃げ場のない問いかけだった。


 「……だから、聞かせてもらおう。君の世界のことを。そして、君自身について」

 一拍の間を置いて、彼は低く続けた。


 「だが、その前に――」


 声の調子が、わずかに沈む。


 「君には、私の下で……私のために働いてもらう」

 穏やかな口調。それでいて、拒否という選択肢が最初から存在しないことを、自然に悟らせる響きだった。


 「もちろん、断ってもいい。ただし――その場合、君の生死は私の関知するところではない」

 その言葉には、同情もためらいもなかった。淡々とした事実の提示。それがかえって、底知れない重みを帯びていた。


 「……何の罪も犯していない、という顔だな」

 唇の端がわずかに持ち上がる。その笑みは、嘲りでも慈しみでもなく、観察者のそれだった。


 「ああ、確かに。君は何の罪も犯していない」

 静かに認め、そして突きつけるように続ける。


 「だが、君が“突拍子もなく”現れたところを、何人が見た?」

 問いは答えを求めていなかった。ただ、現実を無言で押しつけてくる。


 「異なる世界から来たなどと――誰が信じるだろう?」

 皮肉すらない。ただ、静かな残酷さがそこにあった。


 「そして――君と同じようにこの世界に来た者は、あの殺傷事件を起こした」

 彼の声が、わずかに低く沈む。


 「当然ながら、この国で異界の者が好意的に受け入れられることはない」

 肩をすくめながら、淡々とした口調で言う。


 「我々が保護していなければ――君は“奇術使いの不審者”として、即刻処分されていたはずだ」


 脅しではない。冷徹な事実として告げられたその言葉に、胸の奥が鈍く疼いた。


 「恐れられているんだ、君は」

 その静かな声が、胸の奥深くに突き刺さる。


 再び沈黙。重い、深い沈黙。


 やがて、彼は視線を落としながら問いを投げた。


 「……君は、どうする?」

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