19話
屋敷の扉が軽やかな音を立てて開いた。
「ただいま〜♪」
小悪魔のような笑みを浮かべながら、エナが戻ってきた。風に揺れる黒髪。ほんのり火照った頬。どこかいいことでもあったのか、上機嫌な様子だ。
応接間にはすでにロリスとサレンが座っていた。ロリスは腕を組み、厳めしい表情で壁に寄りかかっている。サレンはいつものように分厚い本を膝に置き、眼鏡越しにちらりとこちらを見た。
「やっと帰ったか、エナ。」ロリスが低く声をかける。
「ま、ちょっと寄り道してただけよ〜。そんな怖い顔しないで、ロリス。」エナはくすっと笑い、ソファに腰を下ろす。
その後、しばらくは皆で他愛もない話をしていた。サレンが最近見つけた面白い書物について話していたり、ロリスがそれに耳を傾け、相槌を打ったり。エナはたまに言葉を挟みながらも、何か内心で考えているように見えた。
そのままの流れで、気づけば少し時間が経っていた。せっかくみんなが集まってるし、僕はそろそろ、話を切り出さなければと思い、深呼吸をして言った。
「……実は、みんなに聞きたいことがあるんだ。」
三人が僕を一斉に見た。その視線を感じながら、僕は続けた。
「この世界には、“ギルト”ってものはあるのかな?」
エナが目を丸くして反応したが、すぐに考え込んだ様子で黙り込む。ロリスは少し驚き、サレンは軽く眼鏡を直した。
「“ギルト”とは、冒険者ギルドのようなものだよ。」混乱しそうだったので、わかりやすくするために少しぼかして説明を続けた。「僕がいた世界では、冒険者たちがギルドに登録して、依頼を受けたり、パーティを組んだりしてた。こっちにも、そんなシステムがあるのかと思って。」
しばらく沈黙が続いた後、ロリスが静かに口を開いた。
「似たような仕組みはある。ただ、ギルドとは呼ばれていないがな。」
「探索者機構だな。」サレンが続けて言う。
「冒険者と言うより、“探索者”(ハンター)として登録することになる。」ロリスが冷静に説明を続ける。「無許可で動けば罪に問われることもあるから、注意が必要だ。」
「でも、それって、要するに……国の管理下での冒険、ってことだよね?」僕が確認する。
ロリスが頷いた。「そうだ。それが基本だ。」
サレンが割り込む。「今我々が暮らすこの王都ヴォルケは、騎士団だったり近衛団がいますが、山を越えると小さな部落がちらほらある。そこの駐在軍が対応しきれない時に、要請する先がハンター機構の場合が多い。」
「つまり、実際には一種の“非常時”に頼られる機関ってことか?」僕が言う。
サレンは少し考え込んでから頷く。「そうだ。通常時は、民間の仕事としては少し特殊なものになるが、緊急事態にはなくてはならない存在だ。」
「へえ、意外と重要な役割を果たしてるんだな。」僕は驚いた表情を見せる。
すると、サレンがやや低い声で付け加えた。
「——もっとも、我が国ヴァイス帝国の場合は事情が違う。」
「どういうこと?」僕が首を傾げる。
「この山々に囲まれ魔物に悩まされている首都ヴォルケを守るためにも、外に兵を割く余裕はない。だからこそ、外部で人為的に事件を起こされると困る。国としては、無用な混乱を避けるためにも、探索者機構に対して圧力をかけているんだ。」サレンは淡々とした口調で語る。
ロリスが腕を組み直し、真剣な表情で続けた。
「他の国なら、もう少し自由かもしれない。だが、ヴァイス帝国では“力を持つ者”が勝手に動くことを、上層部は快く思っていない。」
「そりゃ……冒険っていうより、管理された“お仕事”って感じだな。」僕は少し苦笑いを浮かべた。
「まあ、そうなるな。」ロリスは頷く。
サレンが本を閉じ、目を細める。「実際、国に所属する兵士は“国を守る”ことが第一義だ。森や山の中での魔物駆除もそっちのほうに一応は依頼しているが……結局のところ、兵士とは違って、ハンターは鍛錬しなくても登録できる。だから、命のリスクが常につきまとう職業でもある。」
「つまり、兵士と違って、守るべき後ろ盾もないってこと?」僕が問う。
「その通りだ。」サレンは静かに答えた。
僕は少し考え込んでから、前から気になっていたことを口にした。
「じゃあ……ダンジョンは? この世界にも、そういうの、あるのか?」
その言葉に、ロリスがわずかに眉をひそめ、サレンが苦笑交じりに首を振った。
「ダンジョンは、確かに“ある”。」ロリスが重い口調で答える。「だが、見つけるのは簡単じゃない。人目につかない場所にあることが多いし、存在そのものが不安定だ。」
「不安定?」僕は首を傾げる。
サレンが補足するように口を開いた。「この国でも、かつてこの山脈――《黒い壁》と呼ばれる一帯が、“ダンジョン”そのものだったことがある。だが、国の総力を挙げて攻略し、表向きは“封じた”ということになっている。」
「……表向き?」
「処理はした、とされているが……現実には、内部の全てを制圧しきれたわけじゃない。」ロリスの言葉に、部屋の空気が少し重くなる。「あまりに広く、深く、複雑だった。完全に消し去ることなんて、できなかったんだ。」
サレンが眼鏡越しに僕を見つめた。「この前の鉱山で起きたことも、元を辿れば“あのダンジョン”の名残ではないかと思う。あれは、封じきれなかった“爪痕”だろうな。」
「……それに。」僕は小さく呟き、視線をエナに向けた。
「エナも、その“名残”に巻き込まれて……怪我を負ったんだ。」
エナは一瞬、肩をすくめて見せたが、すぐに気丈な笑みを浮かべた。
「ん〜、そんな大げさな話でもないわよ? 今だってピンピンしてるし。」
そう言いながら、エナは立ち上がり、くるりと一回転して見せる。
「ほら、どこも悪くないでしょ?」
その明るさに、僕は少し安心しながらも、やっぱり無理をしているんじゃないかという不安が拭えなかった。
ロリスが渋い顔で腕を組んだまま、短く吐き捨てる。
「……強がるな。」
「強がってないもん。ほんとだってば〜。」エナは口をとがらせて、ちょっとだけ膨れっ面をした。
サレンが落ち着いた口調で言葉を継いだ。
「……ダンジョンは、未踏域や未開の地に多く見られる傾向がある。山を越えた向こう側には、まだ人の手が入っていない場所がいくつもある。もしかすると、そういった場所に“新たなダンジョン”が存在しているのかもしれない。」
「そういうところが見つかれば、探索者たちも……少しはいい暮らしができるだろうけどな。」ロリスがぽつりとつぶやいた。
「でも、その“いい暮らし”を手に入れるためには、命を張らなきゃいけないってわけね。」エナが椅子の背にもたれ、ふうっと小さく息を吐く。
サレンがうなずいた。「価値ある資源や遺物が見つかれば、一攫千金の夢もある。だがそれは、“見つけて帰ってこられれば”の話だ。」
僕は少し考え込む。「……夢と引き換えに、危険を背負う。そういう世界なんだな。」
僕がつぶやくと、エナがくすりと笑い、椅子から身を乗り出してきた。
「へえ、坊やも“夢”追いかけたくなっちゃった?」
「えっ、いや、そういうわけじゃ……」
言い終わる前に、エナの指先が僕の額を軽くつつく。
「うそ~。その顔、もうワクワクしてるじゃん。」
「……してないってば!」
エナは楽しそうに笑い、椅子にふんわり座り直した。
「でも、いいんじゃない? 夢見る坊や、かわいいよ。」
「……からかうなよ。」
頬が少し熱くなるのを感じながら、僕は視線をそらした。
ロリスは黙ったまま、ふっと小さな笑みを見せ、サレンは本をめくりながら「若いな」と一言つぶやいた。
——そんな、穏やかな夕暮れだった。