17話
その日。日課を終えて一息ついていると、ロリスが急ぎ足で姿を見せた。表情には、いつもの落ち着きの奥にわずかな緊張が走っている。
「どうしたんだ、ロリス?」
「少し、気になることがあります」
僕が眉を上げると、ロリスは短く息を整えて続けた。
「シュネー独立国の国境付近で、シュヴァルツ帝国の動きが不審なんです。戦争の可能性が出てきました」
その一言で、胸が冷えた。
戦争になれば、単なる一地方の争いでは済まない。シュネー独立国は大陸の貿易網を支える要であり、そこが揺れれば全てが影響を受ける。
「ヴァイス帝国は、シュネー独立国を守る方針で動くことになりました」
ロリスの声は冷静だが、わずかに急いていた。避けたいと願っても、情勢がそれを許さない――そんな気配が伝わる。
「他の二大国は? 動く気配はないんだよな?」
「ええ。今のところは静観しています。ただ、シュヴァルツ帝国が何を仕掛けてくるかは読めません。備えだけはしておくべきです」
僕は腕を組み、短く息を吐いた。
この状況で手をこまねいているわけにはいかない。
「……なら、開発中の銃器の進捗を確認しておかないとな」
「はい。そのつもりで来ました」
ロリスの言葉に、僕も腹を決める。
来るべき事態に備えるため、動くしかない。
ロリスとともに銃器の進捗を確認するため、僕たちはオルダンの鍛冶屋へ向かった。
オルダンは、銃器の製造を依頼した鍛冶職人の中でもひときわ腕が立つ人物だ。最初は、前例のない技術をいきなり押し付ける形になったことに不安もあった。しかし、彼は依頼を聞いた瞬間、目を輝かせてこう言ったのだ。
「こんなものを作るなんて、どこまでやれるか自分でもわからんが……だからこそ面白い」
その言葉どおり、挑戦を楽しむ職人気質が彼にはあった。
鍛冶場に着くと、玄関前でオルダンが待っていた。黒いエプロンは煤で汚れ、汗が滴っている。それでも、その表情はどこか誇らしげだった。
「おお、来たか。ほら、見てくれ。ついに形になったぞ」
満面の笑みとともに、彼は一丁の銃器を差し出した。
金属の冷たさ、しっかりとした重量感。形状はまさにリボルバーで、見た目だけなら本物と遜色ない。だが、手に持った瞬間、わずかな違和感があった。重心と素材の質が、どうにも俺の知るそれとは異なる。
「できるだけ近い素材を探したんだが、完全に同じにはならんかったな」
オルダンは少し気まずそうに笑う。
僕はしばらく黙って銃を眺めてから、軽く言った。
「まあ、撃てれば問題ないんじゃないか?」
その言葉に、オルダンはわずかに顔を曇らせて肩をすくめた。
「撃てはするさ。ただ……弾丸のほうがな。こっちの技術じゃまだ試作段階で、威力も安定しない」
オルダンの言葉に、僕は銃器の性能へ一気に不安が広がった。弾丸側に問題があるとなれば、実戦での信頼性は大きく揺らぐ。
「弾丸か……」
手の中で銃を軽く振りながらつぶやく。結局は試し撃ちして確かめるしかない。やるべきことをやるだけだ。
「弾丸、どうにかする方法はあるのか?」
僕の問いに、オルダンは口をつぐんだまま考え込む。そして、言いにくそうに視線をそらした。
「あるにはあるんだがな……」
その様子を見て、ロリスがすぐに促す。
「言えよ。できるかもしれないだろう」
オルダンは観念したようにうなずき、話し始めた。
「……実はな、弾丸の代わりに魔石を使う方法がある。ただ、普通の銃の使い方とはちょっと違う」
「魔石?」
思わず目を見開く。
「そうだ。魔石を弾丸のように扱って、銃の内部に集魔のオーブを仕込む。引き金を引くと魔力が流れて、魔石が簡易魔法みたいに反応するんだ。それを撃ち出す」
オルダンは説明しながら、少し興奮したように手を動かした。
魔石とオーブを利用した銃器――まったく新しい発想だ。弾丸が作れなくても威力を確保できるというのは、大きな利点に思えた。
「いいじゃないですか」
自然と声が弾む。技術的にもロマン的にも、これは大いにアリだ。
だが、オルダンはすぐにロリスへ視線を向け、困ったような顔つきになる。
ロリスは短く息をつき、ゆっくり口を開いた。
「まあ、一発撃つごとに魔石を一つ消耗するとなると、大量生産は無理だな」
ロリスが現実的な視点で切り込む。「それに、威力が簡易魔法程度じゃ、戦力としては心もとない」
オルダンは肩をすくめ、少し悔しそうに眉を寄せた。
「そこなんだよ。今の技術じゃ限界だ。威力を上げたいなら大きな魔石が必要になる。だが弾倉のサイズが決まってるせいで、それも入れられない。どうしても制約が出るんだ」
僕はしばし黙り込んだあと、深いため息をつく。
「どうすれば……」
そこで、ロリスが静かに口を開いた。
「魔法に詳しい人に聞くしかなさそうね」
オルダンもすぐにうなずく。
「確かに。魔法の仕組みに明るいやつなら、魔石をもっと効率よく使う方法を知ってるかもしれん」
僕はその提案に賛成しながら、改めて呟いた。
「魔法の専門家か……。確かに、今の俺たちじゃ知識が足りてないな」
そしてロリスに尋ねる。
「誰か心当たりは?」
ロリスは迷いなく言った。
「エナがいるだろ」
「げっ」
思わず変な声が漏れた。ロリスはその反応を見て、わずかに口元をゆるめる。
「仕方ないだろ。退院したらしいし、見舞いも兼ねて行ってみるか」
エナは、先日のケルベロスとゴーレムとの戦闘で大怪我を負って入院していた。それがようやく回復し、退院したばかりだと聞いていた。今なら、会いに行くにはちょうどいいタイミングかもしれない。
ロリスは少し考えてから言った。
「いつもはあれだが、見舞いに行けば喜ぶと思うよ」
その言葉に、僕は少しだけ気持ちが落ち着いた。
――とはいえ、あの調子でからかわれたり、妙に誘惑めいた態度を取られたりすると、正直どう反応していいか分からない。
「まったく……なんであんなふざけた態度なんだろうな」
思わず小声でこぼす。
ロリスはその様子に苦笑した。
「まあ、あれは誰にでもそうだからな。でも、お前も少しは慣れてきただろ?」
「いや、全然……」
僕は苦笑し返す。「あの美貌でからかわれると、どうにも対応が遅れちゃうんだよ」
ロリスはしばし考え、それから肩をすくめた。
「まあ、気持ちは分かる。けど、慣れるしかないだろ」
そして僕の肩を軽く叩く。
「大丈夫だよ。何かあったら私がフォローするから」
その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。
「ありがとう。……でも本当に、反応が遅れちゃうんだよな」
ロリスは笑いながら僕の背中を押した。
「次第に慣れるさ」
僕たちはオルダンから設計図を借り、そのままエナのもとへ向かって足を速めた。
エナの家へ向かって歩くあいだ、僕たちは他愛のない会話を続けていた。街はいつもより静かで、その落ち着いた空気の中でも、僕の心だけは妙にそわそわしていた。
――やっぱりエナのことが気になって仕方ない。
ロリスはそんな様子を見抜いているらしく、横目でちらりと僕を見てはニヤリと笑う。
「お前、エナのこと気にしすぎだって」
「べ、別に!」
思わず声が上ずる。「ただ、ほら…あのからかい方がさ。反応に困るだけで」
ロリスは肩をすくめた。
「まあ、あれは興味があるからやってるんだろ。深く考えるなって」
「……そうなのかな」
完全に否定できない自分がちょっと情けない。エナが無関心じゃないのだけは確かだった。
街の外れに差しかかると、少し大きめの家が見えてくる。エナの家だ。僕は無意識に深呼吸していた。
「行くぞ」
ロリスの声に頷き、足を進める。
退院後、彼女に会うのは初めてだ。どんな顔をするだろう――いつもの調子で軽口を叩いてくれるといいけど。
そんなことを考えているうちに、ふと口をついて出た。
「せっかく屋敷に引っ越したのに、すぐ怪我するなんて運が悪いよな」
ロリスが少し眉をひそめる。
「だよな。退院したなら、使用人のいる屋敷に戻ったほうが安心なのに」
確かに、と僕も思う。エナの家は広い一方で、不自然なほど静かだった。退院したばかりの身で、ひとりで過ごすには心細いはずだ。
「まあ、確かに一人でも平気って思ってそうだよな」
僕がそう言うと、ロリスは少し視線をそらしながら答えた。
「エナだしな。誰かに頼るより、自分で何とかしようとするタイプだ」
僕も頷く。強がりなところは前から分かっていた。今回の怪我だって、本当は相当きつかったはずだ。
「……だからこそ、今後はちゃんと支えてやらないとな」
ロリスがニヤリと笑う。
「お、いいじゃないか。お前、案外頼りにされてるのかもな」
からかわれて顔が熱くなるが、不思議と前向きな気持ちになった。退院しているなら、まずはしっかり見舞って、手伝えることがあれば手を貸せばいい。そう思うだけで肩の力が少し抜ける。
そうしているうちに、エナの家の前へ着いた。ノックすると、少し間を置いて中から声が聞こえる。
「……どなた?」
ロリスが柔らかく声を返す。
「私たちだ、エナ。退院おめでとう」
しばしの沈黙のあと、ドアが開く。顔をのぞかせたエナは驚いたように目を瞬かせ、すぐに柔らかく笑った。
「いらっしゃい。まだ本調子じゃないけど……あなたが来てくれたなら、少しは元気が出るかもね」
僕の顔をじっと見つめ、それからふっと微笑みを崩して手招きする。
「入って、入って。来てくれるの、待ってたんだから」
挑発めいた響きに一瞬戸惑いながら、僕は中へ足を踏み入れた。エナはくるりと背を向け、わざとらしく優雅な足取りで先を歩く。ちらりと振り返りながら言った。
「それにしても、思ったより早かったじゃない。……やっぱり、ちょっとは気にしてくれてるんでしょ?」
僕は顔が一気に熱くなり、「そ、そんなことないよ!」と慌てて否定した。だがエナはにやりと笑い、肩をすくめる。
「ふふ、照れなくてもいいのに。ちゃんと分かってるから」
その言い方にさらに恥ずかしくなり、思わず視線を逸らす。エナはそんな僕を眺めて楽しそうにしていたが、やわらかい表情で続けた。
「でも……ありがとうね。来てくれてうれしいわ」
その一言だけで胸の奥が温かくなった。小悪魔的な態度に振り回されるのも、案外悪くないと思えてくる。
エナはゆっくり歩きながら僕のすぐそばまで寄ってくる。どこか余裕のある仕草だ。
「さ、座って。動くのはまだしんどいけど、おしゃべりくらいはできるから」
エナがソファに腰を下ろし、僕も隣に座った。
「退院したばかりなのに、思ったより元気そうで安心したよ。最初はすごく心配だったんだ」
無理に取り繕うように言葉を探す僕に、エナは軽く肩をすくめて笑う。
「心配させて悪かったわね。でも大したケガじゃなかったし、すぐ治るってお医者さんにも言われたもの」
安堵しながらも、やっぱり強がっているのが分かる。どう接すればいいのか迷う気持ちは消えない。
「でも、本当に無理はしないでね。治ったばかりなんだし、また怪我したら大変だよ」
つい口から出た心配に、エナはくすりと笑い、少しからかうような視線を向ける。
「心配しすぎよ。……ほら、私がちゃんとできる子なの、知ってるでしょ?」
その言葉に胸がわずかに跳ねた。エナがこちらを試すような目を向けると、どうしても心が掴まれてしまう。
「せっかく来てくれたんだし、今日はちゃんとお礼をしなくちゃね」
意味深な笑みを浮かべたかと思えば、エナはふっと表情を緩め、ゆっくりと立ち上がった。
「お茶、入れてくるわ」
その後ろ姿を見送りながら、僕は小さく息をつく。やっぱり、この人は不意打ちが多い。
キッチンへ向かうエナの背中を見つめると、緩めのシャツの隙間から覗く肌が自然と目に入る。動くたびに布が揺れて、つい視線を奪われた。普段の小悪魔的な態度も相まって、どうしても意識してしまう。
けれど、ふと彼女の歩調がわずかにぎこちないことに気づく。痛みをかばうような仕草が見え隠れして、無理しているのではと胸がざわついた。
エナが戻るまで、僕はリビングを見回した。広々とした空間に上質な家具が並び、落ち着いた色合いの絵画が壁を飾っている。植物がアクセントとなり、全体に温かみがあった。
けれど、ふとこの広さが気になった。エナの性格を思えば、こんな大きな家でひとり過ごすのは、少し寂しい瞬間もあるのかもしれない。
考えに沈みかけたところで、エナがカップを手に戻ってきた。さっきより力の抜けた表情だが、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。
「ほら、遅くなってごめんね」
エナはさらりと言いながら、僕の前にカップを置いた。その声音はどこか甘く、わずかに含みを持っている。
湯気とともに立ち上る紅茶の香りにようやく気持ちが落ち着き始めたが、胸の奥にはまだ小さな焦りが残っていた。さっきから、エナの小悪魔めいた態度に気を取られてばかりで、本題に入るタイミングを逃している。
——そろそろ言わなきゃ。
このままでは、来た意味がなくなる。
紅茶を一口飲んでから、僕は意を決して視線を上げた。
「実は、ちょっと相談があって」
その一言に、エナはすぐ反応した。目を細め、くすりと微笑む。
「相談? ふふ、あなたが頼んでくれるなら、何でも聞いてあげるわ」
軽い冗談のようでいながら、どこか真剣さも混じる声。その視線を受けて、僕は深呼吸して話を続けた。
「最近、オルダンとロリスと一緒に新しい武器を考えているんだ。魔石を発射できる自動式の弓……みたいなものなんだけど、どうしても魔力制御が安定しなくて。エナなら、何かヒントをくれるんじゃないかと思って」
「魔石の自動発射、ね……」
エナの表情が変わった。今度は、完全に魔術師としての顔だ。
「面白いじゃない。確かに魔力の流れを整えるのは厄介だけど……あなた達の案なら、きっと改善できる余地はあるわ」
彼女は頷きながらも、どこかつかみどころのない微笑みを浮かべていた。僕が頼りにしているのを楽しんでいるのか、それとも──彼女自身の胸の内で何か別の計算が動いているのか。その微笑みの奥には、いつもほんの一滴だけ“企み”が混じっている。
「で? その武器って、実際どう動かすつもりなの?」
エナはふわりと姿勢を変え、僕の隣に座り直す。その目が急に真剣になり、視線だけで“続きを話しなさい”と急かしてくる。いつもながら、切り替えが妙に早い。
僕はオルダンから借りた設計図を広げながら答えた。
「魔石を弾の代わりにして、この集魔のオーブで魔力をためて撃ち出す仕組みなんだ。でも、魔力の流れの細かいところは僕じゃ完全に理解しきれなくて……。エナなら詳しいだろ? 効率的な循環とか、魔石の使い方のコツとか、意見をもらえると助かる」
エナは設計図を覗き込みながら眉を寄せ、唇に軽く歯を当てた。普段は軽口ばかりなのに、このときだけは研究者の顔になる。その落差がずるい。
「ふむ……なるほどね」
指先で紙をなぞりながら、彼女の目が細くなる。「魔石を弾丸にする発想は悪くないけど、雑にやると暴発もあり得るわ。魔力の流れが不安定のまま発射されたら、威力じゃなくて君の腕が吹っ飛ぶ可能性すらある」
さらっと物騒なことを言いながら、エナは顔を上げて僕に笑みを向けた。その笑顔は、不思議なことに“助けてあげるわよ”と“ちょっと面白くなってきた”の中間にある。
「でも──私が調整すれば、なんとかなると思う」
エナは立ち上がり、部屋を歩きながら続ける。その歩き方は考えに没頭しているとき特有のリズムだ。
「魔石と集魔のオーブの接触をもっと密にするべきね。両者の魔力が干渉する面積を増やせば、オーブの集魔能力も引き金を引いた瞬間の出力も安定するはず。それと……魔力の流れを整えるための導路を追加した方がいいわ。細い管みたいなやつをね。そこに魔力が通ることで、暴発のリスクを最小限まで抑えられる」
エナはひと通り歩きながら説明を終えると、僕の方へ戻ってきて、軽く肩をつついた。
「つまり──君が考えてるより、この武器はずっと繊細なの。でも安心して。私が扱える範囲よ。協力してほしいなら、ちゃんと頼みなさい?」
挑発とも励ましとも取れる口調に、僕は思わず苦笑した。
同時に、エナの中で何かの歯車が回り始めた気配がする。彼女の頭の中ではすでに僕の案を分解し、再構築し、より鋭い形に磨く作業が進んでいる──そんな確信めいた気配。
「なるほど……」
思わず漏れた声と一緒に、僕はエナの動きを目で追った。
エナは説明を続けながら、気付けばすっと僕の横へ寄ってきていて、そのまま自然と体重を預けてきた。無意識なのか、それともただ集中しすぎて距離感が死んでいるだけなのか。
でも僕にとっては──近い。近すぎる。
肩に触れてくる柔らかい感触に、心臓がわずかに跳ねた。
冷静でいろ、と自分に言い聞かせて深呼吸をするが、エナ本人はまったく気づいたそぶりもなく、ただ淡々と技術の話を続ける。
気まずさをごまかすように、そっと体を引いて距離を取ろうとした──が、彼女の方はその動きに気づくこともなく、むしろ設計図へ視線を落とした拍子にさらに寄ってきた。
「魔石って、基本的に“魔力を求める”性質があるの。だから集魔のオーブを密着させれば、魔力の吸収と放出効率は一気に上がるわ」
エナは指で図面をなぞりながら続ける。今度は声が少し沈み、思考に深く潜っていくような響きになった。
「でもね──」
その一言に、僕は思わず顔を上げた。
エナの横顔は真剣そのもの。軽口やからかいの影は一切ない。
「この武器の中核が“魔力を物理装置で叩いて撃ち出す”構造だとすると……それ自体が、あまり望ましくない可能性があるの」
「望ましくない? どういう意味で?」
問い返すと、エナはゆっくり息を吸って、こちらを見た。その瞳はさっきまでの距離の近さとは別種の緊張感を抱いていた──重大なことを告げる前の色だ。
「魔法というものは、基本的にはその精緻さと繊細さが大事なの」エナは静かに続けた。「今回で言えば、引き金を押すと弾丸代わりの魔石を“物理的に”押し出す仕組み──そこがどうしてもよろしくないのよ」
僕はその指摘に、しばらく黙って耳を傾けた。確かに、物理的に魔石を押し出すとなれば、力加減や反動、個体差による制御の難しさがつきまとう。魔法が持つ繊細さを損ねるのは、避けられない。
「魔力を動力にすればいいのよ。そうすれば魔石からの反動は生まれないし、魔石に魔力を限界まで注いでおけば、魔石が魔力を“求めなく”なる」エナはそのまま説明を続ける。「その状態の魔石に魔力を通すだけで、自然と属性を帯びるようになるの」
その言葉に、僕は思わず感心した。魔石をただの“弾丸”として使うのではなく、魔力を変換させる媒体として扱う──そんな発想があるとは思わなかった。
「それなら、魔石の暴走リスクも減るし、むしろ安定性が増しそうだな」僕は頷きながら言った。
エナは軽く微笑み、さらりと続けた。「だから、魔力そのものを弾丸代わりにすればいいの。引き金は、魔力の流れを止めているストッパーを外すための“スイッチ”に徹させるわけ」
その提案に、僕は思わず目を見開いた。魔石を使う代わりに魔力そのものを撃ち出す。引き金は魔力を解放するだけの装置──。
確かに、それなら反動や不安定さを大幅に抑えられ、より精密な制御が可能になる。
「引き金を引いた瞬間、魔力が一気に解放されて、正確に目標へ届く……」
構想が頭の中で形になっていき、僕は思わず感嘆の声を漏らした。
エナは僕の反応に満足げにうなずいた。「そう。それなら魔石の特性を活かしつつ、魔力を最大限に引き出せるわ。もちろん魔力の制御は難しくなるけど、それは魔法の熟練度次第。どれだけ精度よく魔力を流せるかがカギになるの」
その言葉に、僕の心はさらに動かされた。エナの提案は今まで思いつかなかった方向性だが、もし実現できれば、今の設計は格段に強力で安定したものになるはずだ。
「ありがとう、エナ。君のおかげで、だいぶ方向性が見えてきたよ」僕は素直に感謝を伝えた。
エナはその言葉にクスリと笑い、目を細めた。いつも以上に小悪魔めいた光が宿っている。
「ふふ、そんなに感謝されるとちょっと照れるじゃない。でも──せっかく助けてあげたんだし、何か謝礼でももらおうかしら?」わざと甘く、誘惑を含ませた声だった。
僕が一瞬言葉を詰まらせると、エナはさらに一歩近づき、軽く僕の肩に手を置いた。その温かさと距離感に、どうしても胸が跳ねる。
「なんてね」彼女はすぐに手を離したが、その一瞬が妙に心に残った。
僕は顔を熱くしながら目を逸らし、「まじめなところとおどけるところの緩急すごすぎて、風邪ひくわ」と、なんとか平静を装って言った。
エナはまたクスリと笑い、「それが私の魅力なんだから、仕方ないでしょ」と肩を軽くすくめる。
その返しに少し動揺しつつも、僕は苦笑しながら言った。「本当に…君ってどうしてこう、油断ならないんだろうな」
しばらくのあいだ、僕たちは武器の話題から、近くの街で起こった小さな騒動、くだらない世間話まで、とりとめなく語り合った。エナの話を聞けば聞くほど、彼女が屋敷の仕事だけではどうしても退屈してしまうのだということがよく分かる。だからこそ、こうして気晴らしに外へ出たくなるらしい。そのせいか、会話はいつの間にか軽やかで、どこか心地よいものになっていた。
気付けば、空はすっかり深い紺色に沈んでいた。
「そろそろ遅いな……」僕は自然と声を落とし、エナの顔を覗き込む。「元気そうで安心したけどさ。無理してないならいいんだ。もし疲れてるなら、屋敷でしっかり休んだほうがいい」
口にしてから、思いのほか素直な言葉だったことに、少し自分で驚く。
エナはその言葉にぴたりと動きを止め、瞬きを一つした。
大きく見開かれた瞳が、ほんのわずかに揺れる。
そして、頬にぽつりと桜色が染まった。
「えっ……あ、うん。そんなふうに気にかけてくれるなんて、ちょっと意外」
彼女は照れたように目をそらしつつ、耳の後ろへそっと髪を払った。その指先の動きは、普段の小悪魔めいた態度からは想像できないほど控えめだ。
しばらくして、ぽつりと付け加える。
「てっきり……あなた、私のこと苦手だと思ってたのよ」
言葉こそ遠慮がちだが、エナの表情には確かな嬉しさがにじんでいた。
まるで、僕のささいな気遣いを、予想以上に大切に受け取ってくれたかのように。
エナがふっと柔らかく微笑んだ。その笑顔はどこかぎこちなく、それでいて真っすぐで、思わず見惚れてしまうほどだった。普段の小悪魔めいた表情とはまるで違う、親しみのこもった素直さがそこにあった。
「……ありがとう」
エナは恥ずかしそうに視線を落としながらも、しっかりと僕に礼を言った。その仕草だけで、胸の奥がじんわりとあたたまる。
「そんなふうに言われるなんて思ってなかったから……ちょっと、変な感じね」
小さく笑うと、ほんの半歩だけ近づいてくる。その距離が妙に意識に触れて、僕はわずかに息を整えた。
「大丈夫。だから、本当に無理はしないで」
もう一度そう告げると、エナは静かに頷き、照れを隠すように髪を指で整えた。
会話を終えて屋敷を後にすると、彼女は玄関先で控えめに手を振って見送ってくれた。その笑顔が胸に残り、帰り道の足取りが少しだけ軽くなる。
ロリスと並んで歩きながら、ふと彼の横顔を盗み見る。いつもより言葉が少なく、黙って歩く足取りがどこか落ち着かない。
悔しがっている……というほど強い色ではない。ただ、ほんの少しだけ影が差したような、そんな表情だった。
「……ロリス?」
声をかけようか迷ったが、彼は気付いたように微笑んだ。いつもと変わらないような笑みだが、どこか作り物めいて見える。
エナのお見舞いに来たはずなのに、ロリスは結局ほとんど口を挟むタイミングがなかった。
技術の話が中心になってしまい、あの場に入り込めなかったのだろう。彼の視線が時おり遠くに逸れるのを、僕は横目で感じていた。
「ロリス、何かあった?」
そう声をかけかけて、結局飲み込む。今の彼には、こちらから踏み込むより黙って寄り添うほうがいい気がした。
きっと、自分なりに気持ちの整理をしている最中なのだ。
だから僕は、何も言わず並んで歩くことにした。言葉がない時間も、無理に埋めなくていい。そう思えた。
ロリスも、しばらくは静かに歩いていた。
かすかにため息をつくような気配はあったが、深刻なものではなく、ほんの少しだけ胸に引っかかっている……そんな程度だ。
街灯の明かりが二人の影を長く落とし、靴音だけが規則的に響く。
その沈黙はどこか、やわらかく、気持ちが落ち着くものだった。
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