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異世界転移記 ~層彩のキャンバス~  作者: 0
第一章 <始まり>
13/30

13話

  午前中の光が斜めに差し込むころ、ロリスと僕は街の東にある病院を訪れていた。


 とはいえ、こちらの世界で病院と呼ぶそれは、僕の知っている近代的なものとはまるで違う。石造りの建物は修道院のように静かで、重厚な扉の上には古い宗教的文様。中に入ると、薬草の香りがゆっくりと漂い、修道服のような衣をまとった女性たちが整然と歩いている。壁際の細長い窓から差し込む光は、白いシーツのかかった簡素なベッドの列をやわらかく照らしていた。


 その奥――淡い布で仕切られた小さな個室に、彼女はいた。


 「……え?」


 僕らに気づいたエナは、ぱちぱちと瞬きをして、それからふっと顔を明るくした。


 「ちょっと、うそ。来てくれたの?」


 枕に沈んでいた身体をゆっくり起こす。思いのほか元気な声に、胸の奥がほどけるようだった。


 「うん。あの時の傷、ひどかったし……」


 そう言いつつ花束を差し出すと、エナは驚いたように目を丸くし――すぐに、いたずらっぽく笑った。


 「わたしの流血姿に感動して、つい駆けつけちゃったってわけ? ……あら、ちょっとロマンチック」


 「違うよ。見てて危なっかしくて、心臓に悪かっただけ」


 「ふふ。それでも花を持ってきてくれるんだ。……ねえ、本気で心配してくれたんでしょ? じゃあ、このお見舞いの代金、どうやって返してあげようかしら」


 花を受け取ったエナは、ゆるやかに視線を流しながら僕をからかう。体を起こすだけでも痛むはずなのに、やっぱりどこか芝居がかっていて――それがエナらしさそのものだった。


 「からかわれるために来たつもりはないんだけど」


 「え? 来てくれたってことは、そういう覚悟があるものじゃないの?」


 すかさず重ねてくる。


 「君は誰が来ても、結局そう言うだろう」


 ロリスが呆れたように口を挟むと、エナは肩をすくめて笑った。


 「まあそうね。じゃあ特別に――今日は、とびっきり調子に乗ったエナでお送りします」


 「それ、いらないから」


 そう答えながらも、どこか安心していた。

 軽口を叩けるなら問題ない。しばらくは安静にしててほしい……けれど、きっと無理なんだろうな、ともう薄々わかっていた。


 ひとしきり軽口を交わしたあと、エナはふっと視線を落とした。


 「……ねえ、ロリス」


 さっきまでとは違う、静かな声音。

 彼女は枕元に置いた花束へ一瞬目をやり、それから真っ直ぐロリスを見る。


 「あのとき、本当にありがとう。ゴーレムと戦ってたとき……あなたが来なかったら、たぶん、わたし、あそこで死んでた」


 冗談も強がりも混じっていない。

 エナが言葉を選んでいるのが分かるぶん、胸がきゅっとした。


 ロリスは短く息を吐き、少しだけ眉尻をゆるめる。


 「君が無茶をしなければ、そもそもあんな状況にはならない」


 「……それは、まあ、否定できないけど」


 エナはむくれたように頬をふくらませ――しかし、すぐにいつもの調子へ戻る。唇の端がいたずらっぽく上がった。


 「でもさ。ロリスが騎士団を辞めちゃったから、こういうややこしい仕事、私のとこに回ってきてるんじゃない?」


 ロリスは片眉を上げた。


 「責任を押しつける気か?」


 「違います? あなたがいた頃、こういう“厄介枠”、ぜんぶあなたでしたよね?」


 「……まあ、否定はしない」


 「ほらー。だから、その穴埋めをしてる私に、何か奢ってくれるべきだと思うの」


 病人とは思えない軽やかさで笑うエナは、すっかりいつもの彼女だった。


 ――と思った矢先、ぴっと指先が僕のほうに向けられた。


 「じゃあ……この子、頂戴。お詫びの品として♡」


 「は?」


 完全に変な声が出た。


 ロリスは呆れたように肩を落とす。


 「ダメだ。彼は今、俺の保護下にある」


 「えー、冷たい。怪我人の頼みなのに~」


 わざとらしく嘆いてみせたあと、エナはちらっと僕を見る。

 その目が、ほんの少しだけ――冗談じゃない色をしていた。


 「じゃあせめて、退院したらお茶くらい付き合ってね? 暇でしょ、私」


 小悪魔みたいなくせに、どこか真剣みたいな声音で。

 そのギャップに、僕はなんとなく返事を濁すしかなかった。





 エナに別れを告げて病院を出ると、日はもう傾きかけていて、石畳には長い影が流れていた。


 ロリスと並んで歩きながら、さっきの賑やかな会話を思い返す。エナは――まあ、大丈夫だろう。たぶん。いや、ほんとにたぶん。


 そんなことを考えていたとき、角を曲がった視界の端に、見慣れた色がふっと引っかかった。


 小さな広場。露店がいくつも並ぶ、その一角。

 ――アレーシャがいた。


 いや、「アレーシャに見えた」と言うべきかもしれない。


 白とベージュの柔らかいワンピース。髪もふわりとまとめてあって、全体が落ち着いた可憐さに包まれている。

 この間の、鎧をまとって戦場に立っていた凛々しい姿とは、同じ人物だとすぐには結びつかないほどだった。


 彼女は露店の棚に並んだ小さな髪飾りをつまみ上げ、光に透かしてじっと見つめている。翡翠の、控えめな細工。

 その横顔は、戦士というより、年相応の女の子だった。どこか嬉しそうで、穏やかで――少し、無防備で。


 (……これ、完全にプライベートだよな)


 声をかけるべきか迷う。

 邪魔したら悪い気もするし、あの柔らかな空気の中に踏み込むのはためらわれた。


 そんな僕の葛藤もよそに。


 「……よぉ。今日は鎧じゃないんだな?」


 ロリスが、ためらいゼロで声をかけた。


 アレーシャはびくりと肩を震わせ、翡翠から視線を上げた。


 ぱちり、と瞬き。

 次の瞬間、頬がさっと赤くなる。


 「……っ」


 まるで秘密を見られたかのように、アレーシャは髪飾りをそっと棚に戻し――こちらを一切見ようとせず、くるりと背を向けた。


 逃げるというほど早くはないけれど、明らかに「関わりたくない」という意思だけは伝わる足取りで。


 僕は思わずロリスを見る。


 (……お前が原因だぞ?)


 と言いたかったが、ロリスはまったく悪びれる様子がなかった。


 「……お、おい?」


 ロリスが呼びかけるより早く、アレーシャは小走りで距離をとった。


 その背中はみるみる歩幅を大きくし――

 やがて、完全に走りへと変わっていた。


 「あっ、ちょ……ちょっと待って!?」


 僕の声も届かない。

 アレーシャは混み合う通りを驚くほど軽やかにすり抜け、あっという間に人波の奥へと消えていった。


 「……逃げた、な」


 ぽつりと漏らしたロリスは、苦笑とも小さなため息ともつかない表情を浮かべていた。


 「なあ。今の……俺たち、悪かったか?」


 「いや……うん。あれは、たぶん」


 僕たちは顔を見合わせ、同時にしゅんとなった。


 夕暮れの風がひゅうと通り抜ける。

 思い返せば、アレーシャはあの髪飾りを見ていたとき、本当に穏やかだった。ふっと緩んだ頬。柔らかい目元。

 あんな表情、初めて見たのに。


 「……悪いこと、したな」


 ロリスの呟きは、どこか素直で静かだった。

 僕も、黙って頷いた。


 ――あれは、彼女だけの時間だったのに。


 胸のどこかが、ちくりと痛む。


 「……ちょっと見てくる」


 気づけば僕はロリスにそう告げ、アレーシャが立ち止まっていた露店へ向かっていた。


 店主はまだ店を閉めておらず、夕暮れの光を浴びたアクセサリーたちがきらりと小さく光っている。


 僕の視線は、自然とひとつの品に吸い寄せられた。


 ――翡翠をあしらった、あの髪飾り。


 「これ、ください」


 差し出した小銭は驚くほどすんなりと指を離れ、店主が手際よく紙に包んでくれる。

 それを受け取った瞬間、手のひらにふわりと重みが宿った。


 なぜ買ったのか、自分でもよくわからなかった。

 ただ――


 気づけば、僕は小さく笑っていた。

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