夏 美術館 伝説のバンド
盛夏となり、僕は療養のため、海辺に暮らしていた。しばらく、眞神のことは忘れていた。海はとても碧い海で、白い岩とのコントラストが素晴らしかった。ギリシャの海、エーゲ海を想わせた。
サーフボードのチューニングをする小さくて開放的な店、剥げたパステル・カラーが素朴なテラスのカフェ、椰子の木を一本植えた古いカクテル・バー、懐かしい雑貨屋などなどがならぶ、侘しい〝メインストリート〟。
どれもこれも乾燥し切っていて、素朴に粗く、寂れていることが開放と解放とを感じさせてくれた。
そんななかに、うら寂れた美術館がある。
古典期ギリシャの大理石彫刻やエトルリアの壺が展示されているが、むろん、レプリカだった。青いペンキを塗った板に白い文字で、アフロディーテ美術館とある。中学校か高等学校の美術教室にあるような貧相な模刻であった。夏の正午の白茶けた寂寥とともに、懐かしい哀しみを覚える。
とは言え、太陽神アポロンの彫像には深いプレゼンス(存在=肯定)を覚えた。レプリカの原型を写真等で知っているからであろう。まあ、それもローマ時代にギリシャ彫刻を模したものであったはずだが。僕はイヴ・クラインの青を無意識に想起した。地中海の海や空と重なったせいであろう。青には肯定の意味があるやのように想われた。晴れ渡った蒼穹は聖なる肯定そのものだ。理窟抜きで。
イオニア(Іоніяそれはイオナともイーオーニャとも聞こえた)と出会ったのは、その美術館であった。なぜ、立ち寄ったか、もう憶えていない。
真夏の陽射しに焼かれた足の指をサンダルから覗かせた少女の姿。それが外から垣間見えたからかもしれない。彼女は受付に坐り、入場券のもぎりをしていた。金髪碧眼、元は白皙であった皮膚は日焼けのため、黄金を帯びた小麦色をしている。
入ると、館内は静かであった。僕の他に入館者はいない。
彼女を顧みる。館長の娘だが、ギリシャ人ではなく、ウクライナ人であった。父アレクサンドルはギリシャ系で、母親ジョニアはスペイン系とクレオール系の血を引く。
館内は廃れたペンションを改造したもので、明るいペパーミントグリーンの壁色が剥落し始めていた。古代を空想するうちに、そんなささやかな時の窶れにさえも、蒼古の翳りを観ずる。
さまざまに想いを楽しみながら、廻った。
僕は偉大なるアテナ女神像やイズミールのゼウス雷霆神像、レオカレスのアポロン神像やデルフィのアポロン像に崇高なプレゼンスを感じつつも、『蜥蜴を殺すアポロン』像の艶かしさにも、優しい美を想い、美の本質とは何かを問う。問いながらイオニアを顧みた。
美しい女の子だ。哀しみを感じさせた。小学生や中学生の頃の恋を思い出したからである。太陽のような生の輝きを放つのに、そういう切なさを観ぜしむ何かを湛えている。若さ、柔らかさ、儚さ、初々しさ、切なさとは真逆なそれらがなぜか観ぜしめるのだ。生命にみちあふれ、溌剌と、生き生きとしているのに、青空のような哀しみを覚えさせる。僕の虚しさの琴線をも奏でた。
まだ十四、五であろう。出家の身であった僕が想うのは、不謹慎なことだったかもしれないが、異性として惹かれた。だが、もっと惹きつけられたのは、その眼だった。双眸の燦めき、瞳の虹彩がなぜか古代ギリシャの文字の羅列の円環ように、古代の神聖なスペル(呪文)のように見えた。あるいは、燦めく瞳のアテナ女神のように。古代の大らかな蒼穹に聳える智慧と戦闘の女神。
妄想でしかないが、言葉ではない、自由な、絶妙の真理を、直截の実体として存在させているかのように想えた。三鈷杵や聖剣や聖杯のように。金の瓔珞やフラボアイヤン(炎のような)様式の狭間飾やステンドグラスの薔薇窓のように。ルクソール神殿のヒエログリフのように。ウジャトのまなざしのように。諸仏が八葉のかたちのなかに配された中台八葉院のように。曼荼羅のように。黒漆の地に螺鈿を象嵌し、金粉の蒔絵を施したかのように。
全くどうかしている。そう想うと、逆に「まあ、それでもいいや」という〝闊達〟調のきぶんも湧き上がらなくはなかった。求道に取り憑かれて、少々の躁状態、少しおかしくなっている丈だ、ただ、それだけのことだ。Only this, and nothing more.
僕は振り返ったが、勝利の女神ニケの像が沈黙している丈で、Nevermoreと言う者はいなかった。
その夜、潮風に当たって、きめ細かな白砂の浜で坐禅した。月が皓々としている。寄せては返す潮騒が聞こえるのみであった。剥き出しの宇宙の吸い込まれそうな、広大なる奥行きに、鏤められた、夥しい、怖しい数の星々。沈黙が轟音を立てるかのようであった。
想う。
「あゝ、彼女は彼女じしんが真に究竟なる真実義それじたいであるとは、夢にも考えないだろうな。この世は何と甚深微妙なのだろう。理など何者でもない。合理など足枷でしかない。甚深微妙の美よ、実に稀有なことだ。神の秘蹟だ」
明月の静夜。あらゆる神秘な思想が舞い降りる。しかし、その刹那だった。
裂破するかのごとき爆音が起こる。バイクの排気音であった。V型8気筒エンジンの重い低音。
「ふむ」
僕はやむなく砂を払って立ち上がる。帰ろうとし、舗装された公道に戻った。
街燈のない道路、パンク・ロッカーがいた。バイクから降りて、海を眺めているようだった。バイクの補助灯に照らされ、その奇妙な姿がわかった。
金髪が、じぶんでカットしたような不揃いな、よく言えば自然にくしゃくしゃな、短めのスパイキー・ヘア、一九七七年のジョニー・ロットンを想起させる。髪型のみならず、ファッションもしかり。Tシャツの袖は継ぎ足しして手腕よりも長く延長しているため、拳を隠してだらりと垂れ、シャツの正面には逆さ十字架の磔刑像とハーケンクロイツのプリント、太い業務用の鎖を首飾りにし、南京錠をぶら下げていた。黒革のパンツに、鎖と革のストラップが何本もついたブーツ。僕とは真逆なキャラクターだ。縁なき衆生。
特に避ける訳でも関わろうとする訳でもなく、ただ、ぼんやりと、過ぎ去ろうとしていた。
「あ」
アメリカのバイク・メーカー、カノン・モーター・サイクル社による排気量8200㏄の『ビッグ・カノン』だ。オートバイとは思えぬ巨大エンジンを持つ。出家する前の僕は巨大なもの、強烈なもの、精緻なもの、最高のものが好きだった。アイテムというものは自己の延長として愛されていると思う。人が良きアイテムを欲しがるのは、所有の欲を満たし、狩猟・征服の欲を満たし、拡張された自己の尊大を楽しみ、自己が崇敬され、生きるに値すると賞讃されることを感じ、自己肯定の陶酔を感じるからであろう。僕はその起源が生存欲にあると見ている。生き残って子孫へと生を繋ぎ、種を残したいとする欲望だ。
僕の嗜好もまた、この例に漏れず、自己肯定への渇望であり、生存への意志を源の動機とする、と自己分析していた。
それは扨おき、じぶんでは気がつかなかったが、きっと『ビッグ・カノン』という名称を口走ってしまったのであろう。金髪スパイキーがそこへ突っ込んできた。
「へえ、お前、坊主なのに、こいつに興味あるんだ。ま、俺ん家も寺だがよ」
無視して逝き過ぎることとしたが、彼はさらに、
「おい、こんなに良い月夜にシカトかよ。風情がねえな。なあ、シカトって花札が由来の言葉なんだぜ。くっ、くっ。バカバカしいぜ。くっだらねえ、あはっ、あはっ。……って無視かよ。縁なき衆生って訳かい。へっ」
風情がない? ま、いいさ。
名月のときに不粋な排気音をぶん流す方が、よほど風情がない、と思ったが、言っても、意味がないであろうし、そもそも、感性は人それぞれだ。そう思って、なおさら、過ぎ去ろうと急ぐ。
金髪スパイキーは呵々大笑した。
「そうか、あはは、わかったよ。じゃ、またな」
またな? また会う訳がない。宿に帰る。疲れてすぐに眠れた。珍しい。
朝が来る。夏の真っ青な空、まぶしいくらいに輝く白い入道雲。それがなぜかもの悲しい。青春時代に感じたような気がするそんな甘い感傷に浸りつつ、僕は感慨に耽って海を眺めていた。
僕はまた漠とした動揺を抱きつつ、アフロディーテ美術館へ赴く。
「こんにちは」
イオニアともすっかり顔馴染みだ。僕はうなずいた丈で返事をしなかった。
館内に目線を移し、驚く。
「天易さん」
あの奇妙奇天烈なふうていの彼が狭い館内の(邪魔でしかない)古いソファに坐っていた。
「おや、こんなところで会うとは」
「僕の方こそ吃驚です。こんなところ(いや、失敬!)に、なぜ」
「いや、こういう侘び寂びのきいた場所が嫌いではない、寧ろ、好きなのだが、今回の目的はそれではなくて、実は、彼女でね」
鬚で覆われた顎でイオニアのいる方向を示す。
「え、彼女が、ですか」
いかように反応してよいかわからず、僕はそう言った。
「むろん、色恋沙汰じゃない。まあ、話しても頭がおかしい(話さなくてもそう思っているかも知れぬが。ふ)と考えられる丈かも知れぬが。
まあ、外で話そうか」
すぐに出るのも、不自然であるため、少し館内を鑑賞して廻った。廻りながらも、何かを話さずにいられぬ性格らしい。
「古代ギリシャの地中海貿易などによる繁栄が高い芸術や哲学を養った。仏陀の生まれたシャーキヤ族の国はコーサラ国の属国で、コーサラはマガダ国に滅ぼされるが、商業の発展により繁栄していた。
文化の発展は経済的な繁栄・安定と無縁ではない。古代ギリシャ人の民主政治は奴隷制のもとに成立していた。彼らは午前中に働き、午後はスポーツや芸術や哲学を楽しんだ。〝労働は魂を瑕つける〟とは彼らの言葉だと聞く。
これほど偉大な芸術はそういった環境でしか生まれ得ないのだ。人は富によって天国へ近づこうとしているのかもしれない。
無為徒労だが」
それから、外へ出た。
出た途端にむわっとする。相変わらず、夏空だ。全てが白っぽく見える。影は濃く短く、輪郭が明晰だ。
「実は我が天易家は眞神の一族のなかでは、天文占星や風水、陰陽や八卦、太占、四柱推命や奇門遁甲を専らとする姓で、ここに聖なる女神『いゐりや』の系譜に連なる象徴が生じたことが判明した。
象徴はまさしく象徴で、事物のときもあるが、星天の運行のときもあり、又人としてあらわれることもある。今は彼女の双眸だ。
あのロイヤル・ブルーのサファイヤのように、ブリリアント・カットされた青いダイヤモンドのように、あるいは海の深きのように、奥にいくほどに幾つもの層となって重なる青や蒼や碧や藍や紺の立体モザイクである眸の虹彩。生存が絶えるほど純粋に透く瞳孔の水晶体。
言語や考概を超えた、実在の真理だ。
甚深微妙なことなので、全く何を言っているのかわからないと思うが」
「全くわかりませんが、何となく、察しがつくと言うか、わかるような気がしなくもないです」
「そうさ、察しとは不思議なものだ。全てを超越する。人は何で察しがつくのだろう。実験と突合された理論からか、経験による類推からか、いずれにせよ、なぜ、理論や類推が察しになるかは誰も解明できない。
むしろ、人は予め全てを知っているのだ。
いや、人に限るまい。動植物も昆虫も。だから、生きることができるのであろう。真菌もアメーバも。土も火も水も空気も存在できるのは、それゆえであろう。空も雨も空気も太陽も星も月も、無空も。皆同じもの・ことを知り、同じもの・ことを考え、同じもの・ことを真究竟の真実義と捉える。ある意味、萬物齊同、齊物論さ」
全ては齊しく同じ、荘子の説いた説。差異はない。……だったと思う。違うかな。
何のことだかわからなくなった。そこへ唐突に、
「よお、また会ったな」
聞き覚えのある、軽佻浮薄な、世俗主義満載の、何でもかんでも、どうでもいいぜという無頼、即物的な、ドライで現実でしかない声。
僕は驚いた。
「あ、昨日の」
金髪スパイキーだ。突然あらわれた破調。金箔の大和絵の上の唐突な墨痕。真兮くんがやや怪訝な顔、
「何だ、知り合いか、叭羅蜜斗くん」
叭羅蜜斗と呼ばれたスパイキーはくしゃくしゃな尖りヘアをさらにくしゃくしゃにするように掻いて、片方の口角を上げる。
「昨日の夜に会った丈さ、名も知らん。真兮、お前の知り合いだったのか、その雲水」
真兮くんが嗅ぎタバコを嗅ぐ。
「そうさ、沙門の土埃慈雨くんだ」
僕は辞儀をした。
「土埃です」
「そうか。俺は同源。名は叭羅蜜斗、ってんだ、よろしくな。変な名前だろ? 般若波羅蜜が由来さ。言ったよな、俺は家が寺だって」
「はい、聞きました。同源さん、昨晩は失礼しました」
真兮くんと絡めて考えると、日本情緒にロンドン・パンクも違和感はない。金箔や大和絵具の顔料や繊細な筆使いで精細に描き上げられた屏風に破墨山水のような墨痕を垂らす、一見粗くも見える勢いの破調による気魄の美に似て、趣深い。
「別に、どうってことないぜ。俺みたいなチンピラ風情に夜、声掛けられりゃあ、当然の反応よ。
ところでさ、もしかしたら、お前の棲家からは遠いかも知んねーがよ、薙久蓑町の『ブラウン・シュガー』ってライブ・ハウスでさ、追悼ライブやるんだ。そら、チケット渡すぜ。気が向いたら来てくれ」
是非なく、受け取った。後で調べてわかったが、薙久蓑町とは眞神郡に属する。ここからも、僕の修行する寺からも、とても遠い。
「追悼? どなたか亡くなられたのですか?」
「八年前、十七の頃な。同級生だ」
僕が十五の頃だ。
宿に戻ってから、もらった紙片(ちょっと懐かしい気もした)、チケットを見た。〝彝之イタル追悼 クアドラプル・ヴイQuadruple V復活〟、会場:『ブラウン・シュガー』、演奏開始時刻:午後八時、とある。
彝之イタル。
クアドラプル(四倍の)V。
聞いたこともない個人名とバンド名。ネットで調べた。いくつかヒットしたが、そのほとんどは眞神郡の人々のアップしたものだ。
地域で伝説となっていた。
小学生の頃(十一歳の頃であったという)、彝之イタルのハーモニカと天平普蕭のバイオリンとのユニットが起源だ。普蕭はもっと幼い頃から師に就いて音楽教育を受けていたので、演奏ができたが、イタルのハーモニカは全くのデタラメだった。その不協和な騒音活動は数ヶ月、もしかしたら数週間程度で、人前で演奏することはなく、その後、高校生になるまで途絶えていた。
高二の時、普蕭は公園で、音の合っていないアコースティック・ギターを滅茶苦茶に掻き鳴らすイタルと偶然、再会し、バンドを創ろうと提案する。イタルは否定的であったが、自己破滅的狂気から同意する。イタルがギター兼ボーカル、普蕭がドラムスとなった。ベース・ギター奏者を探し、パンク・バンド『非』を馘になっていた叭羅蜜斗をベーシストとして加える。
バンド名をVVW(Very Very Well-donが由来。King Crimsonのロバート・フィリップが彼らのアルバム『RED』を評した言葉。WはVが二重・重複であるため、VVWとはVが四つあることになる。四倍のV、クアドラプル・ヴイ)とした。
練習を始めるも、まっとうな演奏がほぼできないイタルと、いつまでも粗く、荒削りなままの叭羅蜜斗とは諍いばかり。
その頃、薙久蓑町にあるライブ・ハウス『ブラウン・シュガー』は定期的にコンペを開催し、ステージに出演する者を決めていたが、普蕭がこれに参加することを提案。イタルは不賛成だった。
「ステージはオーディエンスへの迎合だ。俺は妥協しない。純粋でありたい。俺は誰にも聴かせない。書いた小説も誰にも読ませない」
だが、自己破滅、自己異叛自己違逆的な狂気から、結局は参加する。イタルのギターが酷過ぎるため、助っ人として、彝之〆裂(い の い れつ)がギタリストとして加わり、その後も準メンバーとなる。ちなみに、〆裂という変わった名は、本来、イ裂としたかったところ(それでも変わっているが)を届出の際に、悪筆だった父がイを〆とよめるかたちに書いて確認もせずにそのまま戸籍に載せてしまったことによるらしい。本当かどうか定かではないが。
イタルはステージでは狂絶なるプレイをし、最後にライブ・ハウスにあった数千万相当の機材を破壊し、親に負債を負わせた。
学校を停学になっていたイタルは復活後、顔面の左半分に鯱のように逆立つ青龍の刺青を入れて登校する。そして、復活早々、悪びれもせず、
「大衆に媚びない無観客のゲリラ・ライブをする」
そう言った。メンバーを促し、誰もいない深夜の公園でライブを行う。
狂気に満ちた破壊的な演奏をするが、警察が出動し、最後に『豪奢なる修羅の戯』(たわむれ )という曲(後にイタルが書いた同名の小説が発見される)を歌ったときに、人類を呪う意味不明な言葉を叫んで、三つの盤が重なる噴水の頂点に立ち、ガソリンを撒いて火を点けた。業火に包まれる。
イタル以外は皆、補導された。イタル丈が忽焉と姿を消す。摩訶不思議のうちの一つだ。それは逃げたということではなかった。同じ夜のうちに聖域である眞神山の頂上にある、神聖な垂直の磐代の頂上に登る(どのようにして登ったのか、未だにわからない。登れるはずがないのだ。摩訶不思議その二だ)。
頂上に立った彼の姿がいかであったか、その表情は。今となっては、誰にもわからない。ガソリンを被って絶叫とともに飛翔し、燃え裂け死んだ。飛び降り自殺ではない。死という、最究竟最窮極の最狂裂パフォーマンスだった。
溜息が出た。独白する。
「伝説か。
悲劇と言うべきか、手厳しくは喜劇とも言うべきか。何と多くに迷惑を掛けた行為か、身勝手な思い込みの愚行であることか。
なるほど、褒められる要素は皆無だが、今の時代、こういう恐竜のような人がいなくなったなと、しみじみ思ほゆ。
今様は、あまりにも理が過ぎ、お悧巧になり、小賢しくも儚し」
なお、普蕭くんが書いたイタルの伝記的な小説『Ekstase−脱自態−』はネットに公開されている。検索してみてほしい。それは扨おき。
薙久蓑町は主要幹線から見れば、支線の支線に在る町で、まさに眞神郡の入口に相当し、郡を構成する一町四村のなかでは一番(都会と言っては語弊があるが)都会的だ。前回、こちら方面に来たときは、眞神鐵道への乗り換えをするのみだったから、薙久蓑駅で降りることは初めてであった。残暑厳しい折である。アスファルトに陽炎が立つ。
駅の近く、神中洲は寂れた小さな繁華街だ。侘しさが懐かしい。こころが緩む。
そこにライブ・ハウス『ブラウン・シュガー』があった。一階が書肆で、地下がライブ・ハウスだ。一階も地下も、オーナーが天平普蕭であった。むろん、高校生だった彼らがコンペに参加した時代は別のオーナーだったが、その後、彼が一階の古本屋とともに買い取った。
ちなみに、真兮くんには『人間存在の実存的分析による存在論考–「空』–』という著作があるらしいが、一階にある普蕭くんの書肆で出版したらしい。ただし、上梓されたとは言え、薙久蓑の本屋で見られるのみで、眞神では〝聖典〟扱いのその著作も、他地域の書店には置かれていないとのことであった。(なお、それもHPにアップされていて、全く商売にする気はないらしい)
ライブ・ハウスは百人が立ち見をすれば、いっぱいになるような狭いスペースだった。壁際に、背の高い小さな丸テーブルを挟んで向かい合った二つのスツール、それが四セットくらい。
それと、小さな簡易バー・カウンター。そこにもスツールが二つ。
壁はコンクリート打ちっぱなしだが、おしゃれでもアーティスティックでもない。配管は剥き出し。
僕はカウンター席に真兮くんを見つけ、声を掛けた。
「来ました」
「やあ、土埃師」
冗談でからかわれた丈なのに、僕はじぶんの勝手な、一方的な忸怩たる想いから赤面し、
「師ではありません。それに……」
最後まで言わせず、真兮くんはスツールを指差し、
「まあ、坐りたまえ、もしくは喫茶去。いや、茶はない。ここに桃がある」
何を言っているのかわからなかったが、在るは夭々たる桃であった。バーテンダーからナイフを借りて剥く。生命、家庭、幸せの象徴を真兮くんが剥く、そういうふうに見てしまうじぶんを、こころのどこかで、せせら嗤っていた。そんな幻影、臆断、ドクサ、思い込み、空想など、水面に落ちた雫の波紋のようなものだ。山の早朝の霧のように何処からともなく起こったかと思えば、一瞬も止まらず、霧散する。
ステージはすぐに始まった。前座などない。今さらだが、喫茶去(茶房などで茶でも飲んでから出直して来なさい)とは禅語だ。状況的には意味不明。どうでもいいよ、っていうことか?
扨。
演奏は荒削りで凄まじかった。叭羅蜜斗くんのベース・ギターはアンサンブル性の欠片もなく、即物的で、ラフだった。
天平普蕭という人を初めて見た。欧州の十七、八世紀の貴族のような、いや、それともサイケデリックというものなのか、そんな聯想させる服装だ。コートやウエストコートには金糸や銀糸など多色の絹糸による織り柄が施され、コートについた大きなカフスや襟には派手な刺繍がある。ボルドー色の絹のシャツ、暗い緋色や緑や紺のペイズリー柄が主体のクラヴァット(ネクタイの祖型)。こうなるとコスプレなら下半身はブリーチズと膝丈の絹の靴下だが、細身のズボンとモロッコ革のような柔らかいブーツだった。
髪型はボブに近い長めのマッシュルーム・カット。振り乱してプレイは機械仕掛けのように正確なドラミング。
永遠の助っ人、彝之〆裂はシンプルで、ロックン・ロールなプレイ。狼の鬣のような髪型(何となく、一般に云う『真神』という言葉が狼の古名であることを連想した)に、紺絣、袴という姿。まるで、脱藩浪士ふうだ。革のブーツを履き、顎の尖った細い顔で鼻梁が高く、痩けた頬、無精鬚。スカした顔で、クールに演奏する。
いい。しかし。
全体として、期待していた炸裂を感じなかった。やはり、イタルがいなければ、ただのアマチュア・バンドか。そんな印象だった。僕は何を期待していたのか。究極? 究竟の真実? それは、なぜ。答は知っている。権力への意志だ。真理が権威を与え、王になる。神から天啓のように、王権神授のように。その光を浴びて燦然と輝き、世界の前に崇高に立つ。自己肯定の絶頂だ。その快楽を求めているに過ぎない。人間の全ての生き甲斐は。
演奏が終わり、ステージ裾で、真兮がバンドのメンバーに紹介してくれた。
その夏はそれで終わった。全ては虚しく消耗されて逝く。
ただ、記憶のなかで、叭羅蜜斗くんが〆裂くんを指差して笑う映像丈が残っていた。何で笑っていたか、知らない、又は憶えていない。ただ、映像丈が無声映画のように記憶にあった。