気がつく
夕餉を終え、孤り、しずかに読経した。その後は少し読書をし、やや飽いて、パソコンを立ち上げる。
既に真夜中であった。
ふと。
気がつく。そこへカーソルを置くと、矢印のアイコンから、指差す手のかたちのアイコンに変わることに。行燈の暗い灯明のなか、不思議なことだという想いに囚われたが、何でもないことであった。ただ、それだけのことだ。寺はじんとして静かであった。液晶画面が鳴るようにさえ思えた。むろん、そんなことはない。違和感のせいかもしれない。僕はパソコンやスマホを持ち込むことを否定していたが、一ヶ月くらい前から使い始めている。調べものが速くて楽だし、大量の電子書籍を保管することもできるし、本の購入も簡単だから。
「売れるものしか電子化されていない拝金主義がいかにも卑しく浅ましく悔しいが」
下卑た、くだらない、腐った、功利の世を厭離して今、ここにいる。過去を捨て、未来を待たず、今を丁寧に、こころを逝き渉らせて生きる。そういふ清浄を求める生き方も、一つの欲望なのである。いや、そんなことじゃなかった。
そう、それはあるホームページの隅であった。見た眼には何もない。青い無地の背景がある丈であった。青い無地は平らかでなく、青いパウダーのような質感があった。濃い青が紫の眩さを放つ。鮮やかながらも、深い紺碧。まるで、気づかれたくないかのようであった。運命に導かれた人のみが見ればよいと言わんばかりの仕込みである。
しかし、指差しアイコンに変わるということは、クリックすれば、統一資源位置指定子(Uniform Resource Locatorユニフォーム・リソース・ロケータ、URL)が反応して指定されたネット上の位置に飛べるということだ。
クリックした。
特別なことはなかった。新たな頁が開いた。英文、和文、仏文、中文、独文、伊文、西文、露文がロゼッタ・ストーンのようにならぶ。それに加えて、間違った(不合理な)数学上の集合の数式があった。それらのどれかをクリックすると、ブルース・ハープの音が一瞬、鳴る。意味不明だ。
なぜだかわからないが、僕は想った。このハーモニカを吹いた人に会おう、と。だが、今すぐにではない。いつか、時節が来たら。暫く先のこと、少し未来のこと。漠然とそう想い過ごすうちに、いつしか時はささと流れ、皐月の田園風景を、僕は車窓から眺めていた。