夜のさんぽ
夜のさんぽがすき。
日中は夏の名残を感じるけれど、それでもこの季節の夜は秋を感じる。そっと頬を撫でる風は柔らかくもすこし涼しく、肌を出して過ごすよりは温もりがほしくなる気候になった。
ふと鼻をくすぐる香りは嗅いだことがあるもので、なんだろうと思ったら甘さで思い出した。オレンジ色の小さな花が頭の隅を掠めて、だけどそのまま歩を進め続けたら香りは幻のように消えてしまった。
人によって好き嫌いが分かれるけれど、私は好きな香り。なんとなくぬくもりを感じる、優しい秋の匂いだなと感じるから。もう少し季節が進むと、枯れた草木の匂いにかわっていくのだろう。
夜のさんぽは、なんとなく楽しい。
この前月を見たらすごく大きかった。思わず声を上げてしまった。なんであんなに大きく見えたのだろう。でもこれはきっと、バスに揺られて眠ってしまったら見なかっただろうなと思った。丸くて美しい月だった。
夜はどこも面白い。
高いビルが並ぶのに人の生が息を潜めて眠りにつき、無機質なコンビニの灯りだけが煌々と照らす静かな都市も、ネオンと喧騒が溢れる非日常の繁華街も、街灯と車と家々のだけが光がぽつぽつとたまにある小田舎も、虫とカエルの合唱が豊かな暗い夜道も楽しい。
それぞれ違う良さと危険があるので気を抜きすぎてはいけないのだけれど、大人の楽しみという感じがする。なにか枷を外されたような気がして、どこまでも走っていけそうな気になる時さえある。もちろんそんなものは幻想だから、寝るために帰るのだけれど、そういう日はなんとなく興奮してなかなか寝付けない。
夜はどの季節も良さがある。
春は昼間ほど春を感じないけれど、風が柔らかく若草の香りを連れてきて、なんとなくほっとする。夏はアスファルトの匂いが夜でも感じられて暑い、けれど、夏祭りの帰りのようにテンションが上がる。そして冬はキンッと冷えて乾風の吹く中で見上げる星空が美しく澄んで見える。白い息がよく見える。早く帰りたいけれど、温かい格好をしていたらもう少しこのままでもいいかなと思えてくる。
散歩ができない日でもベランダに出るのがすき。そこでなんとなく黄昏れる。窓の淵に座って、家の中に置いてきた再生中の動画や音楽が漏れ聞こえるのを、なんとなく聞いてぼーっとしている時がある。なんとなく、日常から隔絶されたような気がするからすき。人にはこういう何もしない余裕もたまには必要なんじゃないかと思う。これを夜のさんぽは時間をかけて感じることができる。
私のさんぽは大抵、バスがないときに家に帰らねばならないという時に発生する臨時イベントなのだけれど、これが結構きらいじゃない。少し前まで私の前にあった賑わいと、静かな夜道な対比にいろいろ感化されて思考が動く。私の場合は創作ネタなんかも考えながら歩いたりする。
さんぽは結構、どうでもいいことや悩みもつらつらと考えてしまうのだけれど、夜は感覚が研ぎ澄まされる気がする。視覚が制限されるからかもしれない。そのせいでたまに大きな気づきがあったりもするのだけれど、泣いても感動しても誰も見ていないから自由だ。
鉄の箱に入ってただ変わらぬ日常の風景として流し見するだけでは、得られないものがここにあるのだろう。
とはいえ、さんぽする場所は選ばなければいけない。
危ない場所で1人になるのはおすすめできない。
怪しい人がいたら即帰るように。特に未成年はね。