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牛久からの相談を受けたあたりからどこからか視線を感じるようになった。授業をしている時だったり職員会議中だったり委員会活動中だったりと様々だが、全て学校内で収まってはいる。
最初は生徒からの視線だと思ったが、視線の感じる場所は俺が生徒の前に立って話している時の背後から感じることが多い。誰もいないはずの場所から。気にしすぎと言うには少し気味が悪い。
「……どうっすかな……」
職員室の隅から感じた悪意のような、愉悦のような視線に気付かないふりをしながら思考を巡らせる。
今日も今日とて新木の物忘れが酷くなっていた。物忘れというか記憶障害というか。どちらにせよ毎日毎日記憶を失っていく。今日は教室の場所が分からなくなっていた。
ホームルームが始まっても新木が現れず欠席だと思ったらしいが、朝練組が新木を目撃していたこともあり新木の捜索を担任である桜木先生と副担任組でやっていた。
校舎内を探し回っても姿は見えず、それならばと外へと探しに行こうとした矢先に桜木先生の怒声が聞こえた。新木が見つかったようで中央階段の踊り場で他学年にまで聞こえる声で説教をしていた。無事に見つかったならそれでいいが、そう簡単に桜木先生の暴走が止まることはなく間に入る羽目になった。
『月崎先生!! 何故止めるんです!?』
『何も聞かないで怒るのはどうかと思いますよ、桜木先生』
『いいえ!! いいえ!! この女にはビシッと言わなきゃわからないんです!!』
金切声のような桜木先生の声と言葉を左から右へと聞き流す。どうも桜木先生は気に入らない生徒で日々のストレスを発散する癖がある。いい歳した大人がやることではない。
『新木、今日はどうした?』
『……教室がわかんなくて……』
『またそんな嘘を!!』
桜木先生の声で他の先生が野次馬のように集まってきている。桜木先生がいては話が進まないと判断し目の合った他の先生に桜木先生の回収を任せた。
傷つき歪んだ表情を浮かべる新木に1つ1つしっかりと問いかける。学校の場所はまだ分かったと。ただ学校についた途端に下駄箱はおろか、教室までわからなくなっていたと。
『……ツッキー……』
『どうした?』
『……さっきの……あのオバサン誰?』
鈍器で殴られたような気分になったのはそれが初めてだろう。桜木先生の事を担任だと伝えても思い出せなかったらしく新木は首を傾げていた。とりあえず新木を保健室に連れていき保護させたあと、移動教室に向かう予定だった塚田を捕まえて新木の事を簡単に説明し任せた。
朝から一気に疲れた。桜木先生の金切声を聞くと頭が痛くなる。ズキズキとまだ痛む頭を感じながら、そういえばと思い出す。
新木が見つかるちょっと前にあの気味の悪い視線を感じた。
一体あれは何だったんだ。
「月崎せんせーに用があってきましたー」
突如響き渡った抑揚のない声に回想が停止する。声の先を視線で追えば牛久の姿があった。他の先生から許可をもらい職員室に入ってきた牛久は、今朝方の事を聞いてきた。桜木先生の声はB組にまで届いていたそうだ。
簡単に新木の事を説明して塚田が付き添っていると話せば牛久の表情は安堵に包まれた。牛久にとって新木は転入して来てから1番最初にできた友達だから尚の事心配なのだろう。
「それだけっす!」
「そうか。じゃあ次の授業は寝るなよ」
「ゔ……え?」
俺の言葉に視線を逸らした牛久が固まった。いや、固まったと言うより俺の机の上を凝視している。牛久の視線を辿ってみれば俺の若い頃の写真があった。牛久と同じ年の頃に旅行に行った際の写真だ。
「それ……隣……」
「あぁ……覚えてないんだ」
「え……」
「現地の人と撮った写真なのかもな」
若い頃とはいえ他にも1人だけ写っている。仲良さげに俺の隣でピースをしている男の記憶はない。知らない人と撮っているというのも俺としては珍しく、捨てるという選択肢も浮かんでこないままズルズルと持ち続けている。何となく大事にしないといけない気がして。
「……そうなんすね……」
「なんかあったか?」
「あ……あ~……いや、なんでもないっす」
誤魔化すように下手くそな作り笑いを浮かべて牛久は職員室から去って行った。