7
土日を挟んだ週明けの月曜日。この日からは気合を入れないとやっていけない人が多い。子どもを相手にする仕事だからこそだが。気合なぞ入れている暇などなく、さっそく問題に直面していた。
2年D組の目の前で新木が立ち尽くしている。まだ登校している生徒も少ない朝早い時間に、なぜ新木は教室の前で立ち尽くしているのか。また何かあったのだろうか。
「新木」
「あ、ツッキー。おはよー!」
「立ち尽くしてどうした」
「あ~……」
軽く笑みを浮かべて誤魔化しているが何かを忘れているということだけはわかる。時間割や友の名前ときて、教室前で立ち尽くしとなってくると……。
思い当たる事があった。まさかそんなわけないと言いたいところだが、この気味の悪い記憶障害ではあり得るとも思った。
「……席が分からないのか?」
「……うん……」
困ったように笑みを浮かべた新木の表情は傷ついているように思えた。時間割ならともかく、友の名前を忘れてしまった後にこれなら表情の理由もわからなくはない。しかも記憶力の良さが長所とも言える新木なら、忘れるという恐怖心は俺達のような凡人とは重さが違ってくるはずだ。
助けようにも俺は2年D組に行くことが少なく、新木と会うのは化学室や委員会活動、廊下の数が圧倒的に多い。
「……サクちゃんは?」
「まだ来てない」
「えぇ? 教師なのに……?」
「何かない限り教師も一般生徒と登校時間は同じだぞ」
「そっかぁ〜……」
「塚田は?」
「あされーん!」
どうにもできない状況にズキズキと頭が痛くなっていく。他の生徒が来るまで立ち尽くさせる訳にもいかない。
俺の視界の端から新木の姿がゆっくりと消えていく。教室の戸に背中を預ける形で自分の体を守るように座り込んでいた。
「ねぇ……ツッキー……私、どうしちゃったんだろ……」
新木が膝を抱えたまま弱々しい声で告げた。
「覚えているはずなのにどんどん忘れていって……」
「わかるのに、わかるはずなのに、何もかもがわからなくなってる……」
このまま家族のことまで忘れちゃったらどうしよう。
静かな廊下に泣く音だけが響く。こんな時にうまい言葉をかけてやれる大人だったら泣き止ませる事も可能だろうに。上手い言葉がそう簡単にポンッと出てこない。
『そーいうとこ昔から変わらねーよな』
誰かが言った言葉が脳裏に一瞬だけ過った。逆光の中、俺に向けて困ったように笑う男が確かにいた。
―――俺はなんで今そんな事を?
「……月崎先生? 七海?」
思考を無理矢理戻したところで塚田の声がした。声のした方をみれば、ジャージ姿の塚田が訝しげな顔をしながら立っていた。
そういえば塚田はバスケ部のマネージャーだったな。
「朝練か」
「はい。そうです。ちょっと顧問からの頼まれごとを」
「あぁ……」
塚田の手には空き教室の鍵が握られていた。体育倉庫に入れない備品は空き教室と言う名の物置に詰め込まれているから、その中から必要なものを取り出すのだろう。空き教室はちょうど2年F組の隣にあるからここを通る必要があり、来てみれば蹲って泣いてる新木と俺がいた。
「あの……七海は……」
「あぁ……席がわからなくなったらしくてな」
俺の言葉に塚田の表情が驚愕に染まった。そしてすぐに唇を噛み締めて何事もない表情に切り替え新木に声をかけた。
「七海」
「……小春……」
塚田が来たことで安心したのか、新木は塚田に抱きついて泣き崩れた。新木を落ち着かせるために頭を撫でている塚田と目が合い頷かれた。塚田に任せれば新木も安心するだろうと、塚田には俺から顧問へ伝えておくとだけ告げてその場から立ち去った。