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無機質な音と当時に激しい音を立てて缶コーヒーが落ちてくる。ピピピッと鳴っていた電子音はすぐに消えてなくなった。相変わらず数字が揃うことはなく。
冷たいコーヒーの缶タブを開けて安いコーヒーの匂いを嗅ぎ息を吐き出す。授業自体をすることはそれなりに楽しいが、流石に疲れることのほうが多い。教師というのは準備が多い。担任になればもっと仕事が多くなる。とはいえ、こちらは副担任という立場だから補佐も多いが。
「月崎先生」
ぼんやりと考え事をしていたら左側から声を掛けられた。視線だけを動かして相手を見ると制服をキッチリと着こなす女生徒の姿がいた。吊り上がった目が印象的な女生徒は、昨日、新木から話題を出された少女だった。
「塚田か」
塚田小春。2年D組の生徒で、確か新木の幼馴染だったはずだ。化学の選択をしていなかったから、いつも新木経由で話かけられている程度で自ら塚田から話しかけられるとは思っていなかった。
「このあと化学で七海と一緒ですよね?」
「……あぁ、居るずだ。大人しく新木が出席していれば」
やはり新木のことか。塚田は新木のことになると過保護気味だとは噂で聞いていたが……。
「ちょっと様子が変なんで、見ててもらえませんか?」
「様子が変?」
新木の様子が変なのは割といつもの事だと失礼ながら思ったが、俺達教師陣に向けてタメ口を吐き渾名で呼びつけ授業をサボる他は目立った行為はない。それはそれで問題ではあるが、成績だけは優秀のためこれ以上何も言うことが出来ないのも事実だ。変に言って学校に来なくなっても学校側として困る。
「はい。桜木先生には言ったんですけど相手にされず……」
「あぁ……」
桜木先生は生徒の好き嫌いが激しく、お気に入りの生徒だけを贔屓する癖がある。教師の間でも有名な話ではあるが、人間の悪癖など言ったところで簡単に治るものでもない。
新木七海という女生徒は特に担任である桜木先生から嫌われているのもあり、新木の話となると取り合ってくれないのが常だ。相手にされないのは流石の塚田でも分かっていたはずだろう。
「月崎先生の事は気に入ってますから。七海」
「……そうか?」
「はい。じゃないと相談になんていきません」
「……それもそうか……」
昨日の新木の様子を思い出し、冷たいままの安いコーヒーを飲み干す。変な動画が送られてきて異常に恐怖に震えていたあの姿を。
「わかった……出来る範囲で見ておく」
「ありがとうございます」
特定の生徒だけを注視してみるということが難しいのは塚田でもわかっているようで、簡単に頷いた。化学の授業となると、いつ何が起こるか分からない事のほうが多い。生徒全体をくまなく見ることしかできないから、本当に出来る範囲だ。
「……因みに具体的に何が変なんだ」
見ててと塚田は簡単に言ってのけるが、具体的に何がどう変なのかを予め頭に入れておかないとわかることもわからない。
じっと俺を見つめていた塚田の目が初めて不安そうに揺れて、そっと俺から顔をそらした。そして何度か間を置いたあと、ポツリと言葉を零した。
「……七海が……時間割を忘れてた……」
「……は?」
あの記憶力お化けが時間割を忘れることなんてあるのか。時間割なんて簡単なもの新木が忘れられる訳が無い。毎週のルーティンだぞ。
「だから変なんですよ」
小さく呟いて、もう1度塚田は俺を真っ直ぐ見つめ戸惑いの表情を浮かべたまま告げた。
「七海が1度見た物を忘れるなんて、これまで1回も無かった」