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次の日。俺は蟷螂旅館の中庭にいた。鼎さんからのお願いで、此処で落ち合うことになった。中庭にある大きな松の木の近くで待っていて欲しいと和繁さん経由で聞いた。松の木の下には、修也と見たお地蔵さんが変わらない姿でいる。懐かしい気持ち半分、思い出したくない気持ち半分で揺れ動く。
トントン拍子に話され此処に来ることが決まり、なんだか落ち着かない。ソワソワするとでも言うのか。とにかく落ち着きが無い。緊張にも近い。何せあの時以来なんだ。
「……月崎さん、ですか?」
お地蔵さんをジッと眺めていたら斜め後ろから声が聞こえた。少し低めの女性の声が妙に心地よくて、つられるように振り向いた。
キツイ印象を与える釣り上がった目尻は、あの頃と何も変わらないままだ。あれから何年も経ったからか、年相応に老け込んだ、いや、記憶にあるよりも随分と老け込んでいるように見えた。けれど、記憶にある鋭い眼差しは健在で、少し笑みを浮かびあがる。
「お久しぶりです」
「ずいぶん、立派になりましたね」
「あれから何年経ったと思ってるんですか」
「13年くらい……ですね」
「はい」
およそ13年ぶりくらいの再会。ずいぶん長い年月が経過した。長い間、ずっと友を、兄さえも忘れていた。心の中にあったとはいえ。鼎さんのことも忘れていた。大事な言葉を教えてくれたのに。
記憶の中にいる鼎さんはもう少し声が高かった気がするけど、やはり年月のせいか声が低くなっている。耳馴染みがいい声になったようにも思う。
「老けたでしょう。私も」
「いや、そんな……」
「いいのよ。色々あって。実際、老け込んだから」
色々か。それは聞いてもいいことなんだろうか。伏せ目がちで語る鼎さんに、あの頃のような元気さは無い。いや、年相応に落ち着いたと言うのか。あれも元気というより、キツイ、という感じだったし、普段の鼎さんを知っているわけじゃない。危険な所にいた俺を叱るためにあの態度だったのかもしれない。
タメ口交じりで話していた鼎さんも、俺が客としてスキー場にいたから敬語だっただけで、本来はこのような喋り方なのかもと別の事を考えてしまう。
「あの時、教えてもらった言葉をもう1度教えてもらいたくて」
「……本当は忘れてる方が正解なんだけど、そうも言ってられない事情なんだって?」
「……はい……」
俺の事情は和繁さん経由で聞いているらしい。まぁ、アンカイを封印していないという事柄が荻谷ヶ隅内では有名とも和真さんが言っていたし、知っていても当然だ。
兄さんに連れられてスキー場に行ったあの時には既に、俺達がアンカイに選ばれているということはきっと鼎さんにバレている。
「……あの言葉は、アンカイ様の封印の儀にて使われる言葉の1つ」
「え?」
ぽつぽつと小さな澄み渡るような声で鼎さんは言う。
「私は、私の一族は」
少し間を置いて、そして俺を真っ直ぐと見つめた鼎さんの目は透き通る川のようだった。激流を知る澄み切った川のような強い眼差しで俺を射抜いた。揺らぎのような、決意のような光を宿して。
「……100年程前。アンカイ様を封印するにあたって、協力関係にあった、神社の……神主の一族の生き残りなのよ」
それは衝撃よりも遥かに重い事実だった。けど、俺には、俺達にとっては希望とも呼べる光の言葉だった。