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ふぅ、と小さく息を吐き出したのは誰だっただろう。無意識に息を止めていた気がする。館山さんが立ち上がり、お手洗いに行ったところで漸く息が吸えた気がした。僧侶と神主の圧に挟まれると身体が強張る。どちらからも影、もといアンカイに向けての圧が凄かった。
ことりと目の前に置かれたのは温かいお茶。俺が身体の力を抜いている間に僧侶が淹れてくれたらしい。茶菓子まで用意してくれた僧侶を見ていると、ふとある事を思い出す。
「……あの、アンカイ様の資料は全部此方に保管されてるんですよね」
「えぇ、そうですよ?」
「……館山さんとははじめましてですよね」
「そう、ですが……?」
不思議そうな表情を隠しもしない僧侶に疑問が深まっていく。自力で荻谷ヶ隅を思い出したのは確かだ。いや、でも、初めて見た荻谷ヶ隅、影の、禁忌唄の巻物は、確か館山さんは知り合いの神主から曰く付きとして預かったと言っていた。
「……先代が館山さんに曰く付きの資料を渡したとかは」
「……そういった話は聞いたことがありませんね……」
「では、湖舞戸神社の神主さんが誰と交流を取っていたとかって……」
「流石にそこまでは……」
「そうですよね……」
そもそも湖舞戸神社は放火で無くなってるし、神主さんの方もその2ヶ月前に亡くなっている。館山さんが荻谷ヶ隅について知ったのは誰経由だ。協力関係のある神社に影の資料を渡していたのではないのか。そこら辺が凄く曖昧だ。まぁ、そもそもそこまで俺が知ることでも無いか。
「いったいどうしたんですか?」
「あ、いや……それは」
「すみません、お待たせしました」
タイミング良く戸を開けて戻ってきた館山さんの姿を見て2人して固まる。目を軽く丸めて首を傾げる館山さんは見た目に反して若く映る。普段の穏やかさとは比べ物にならないほどのキョトンとした姿に、自然と僧侶と目を合わせて誤魔化した。
「何かありました?」
「いえ、木像についてのご相談ですよ」
「おや、そうでしたか」
やはり侮れないなこの僧侶。しれっと嘘を付く。息を吐き出すように出てきた言葉に感心を覚えつつ、これ以上木像の話が深掘りされないように別の話に切り替える。館山さんのことだけではなく、和繁さんのことでも聞きたいことがあったのだ。初めて浄孔寺に来たあの日は忘れてしまったが。
「ところで、和繁さんのことで聞きたいことがあったんですけど」
「和繁さんですか?」
「はい」
思い返せばあの時の和繁さんは不思議なものだった。協力してくれる神社に資料が無いかどうかの話をした時の、和繁さんの不自然な様子は未だ頭に残っている。息子である和真さんも困ったように微笑んでいたことから、和繁さんの様子の正体は知らないと見えた。
湖舞戸神社と和繁さんの関係が何かあったのだろうかと疑問に思っていた。聞くタイミングを逃してズルズルと今に至ってしまったのは俺の落ち度だ。
「……神社に資料が無いかの話をした時の、和繁さんの様子が変だったので。何か知らないかなと」
「……湖舞戸神社とですか?」
「恐らく、ですけど」
和繁さんが懇意にしているのは浄孔寺だ。ずっと浄孔寺を勧められていたし、僧侶本人も和繁さんが湖舞戸神社に行ったことはない的なニュアンスの事を言っていた。のにも関わらず、浄孔寺に行く前の和繁さんの様子は不可解だった。
「……それは―――」
言いづらそうに重たげに告げた内容に開いた口がふさがらなかった。