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「……月崎さんが木像を作ってくださってる間、調べた事があります」
木像をしまい直した所で僧侶の少し低めの声が響いた。姿勢を直して僧侶に向き直れば、険しいというより難しい表情を浮かべていた。僧侶という職業の人が眉間にシワを寄せている姿を初めてみた。
「既に和繁さんにはお伝えしたのですが、僧侶である私の力が効かなかった原因は……恐らく影が強くなったということでは無さそうです」
「は……」
発された言葉は思ったよりも衝撃が強くて意味を理解するのに、何度か脳内で言葉を繰り返す必要があった。
「ど、ういう、ことですか……」
力無い声が溢れる。影が強くなったわけではないなら、他に何があるというのか。まさか同業者からの妨害行為とでも言うのか。
ぐるぐると頭の中で色々な説が巡る。対したことは思いつかないのに、変な想像力だけは駆け巡ってくる。そんなわけないと心が叫んでいるのに。
きゅうと拳を握りしめる僧侶の姿が目に入った。震えてるわけでもなく、ただ、落ち着かない様子を誤魔化すように。ここにいるのは誰一人として影の封印をした事がない。落ち着かなくて手を握りしめる気持ちは痛いほど分かる。ただ、俺と僧侶じゃ立場も気持ちの持ちようも違うから簡単に口に出す事も出来ない。
「……最初は自分の力量不足だと思いまして、修行をしつつ調べて気がついたんです」
僧侶曰く、修行を重ねても変化は見えなかった。他所の寺の僧侶に相談しに行ったところ、僧侶の力は十分であるという真面目な返答が返ってきたという。ならばなぜ、木札と奇石が壊れたのか。
「恐らくですが……月崎さんが目撃した女性の霊が関係していると思われます」
「女性の……霊?」
「視たはずですよ、貴方は。塚田さんの時に」
真っ直ぐと射抜くような目で告げられて、ある顔が脳裏に浮かび上がった。塚田を追いかけて行った先にいた、塚田を抱きしめて不気味な笑顔を浮かべた顔だけが濡れていたあの女。モスキート音のような声を出していたあのおぞましい姿が。
「思い出されましたね」
「っ、あれが、関係あるんですか……」
「……あれは……もしかしたら……影の、アンカイのお姉様ではないかと」
ヒュ、と乾いた音が喉から出た。
和繁さんから聞いた話が次々に脳内に滝のように流れ込んでくる。影が成人を迎える1年ほど前に姉が行方不明となったこと。村近くの、山の川で、顔を突伏した状態で発見されたという。
あぁ、確かに、塚田を抱きしめていたアレは薄汚れた着物のような物を着ていた。顔だけが濡れていたのも。もし、ほんとにそうだとしたら。
「っ、なんで……」
「……血の繋がりというのは死しても強いものです……。生前の2人の記録はあまり残っていませんが、最悪な想像をするのなら……」
何百年も前の話だ。誰も知る由もない話。俺達が勝手に想像しているだけ。でも納得ができてしまうのは、なぜだ。
間を開けて俺達を見つめた僧侶が重々しく口を開いた。
「……姉がアンカイを育てた可能性は高い。アンカイの脅威から守るように置かれていた廃神社も無くなっていますし、何より、姉の墓の場所は未だ不明のままですから」
息を呑んだのは誰だっただろうか。影だって墓という墓は存在していない。祠があって影の終焉の地と言われた石碑があるだけだ。
どうにもここ数十年、影達に都合がいいように動いている。廃神社が取り壊されたのも。未だ影が動き続けているのも。姉らしき霊が出てきているのも全て。
「上手く、説明はできませんけど……姉が妨害をしているのなら、弟である影を支えているなら、木札や奇石が壊れてもおかしくはない……」
苦しげに告げられた言葉に自然と拳を握りしめた。そうだ、ここは浄孔寺。影の最期を見たとされる旅の僧が建てた場所。影に特化した札は影に効くが、影の味方に効力が出るかは想定されていない。かつて影の最期を見たという僧は、姉の存在を知っていたのかも定かではないじゃないか。
「……此方で分かったのはそれくらいです」
殆ど推測ですがと告げる僧の声がやけに耳に残った。