15
ホームルーム前の僅かな時間。化学準備室で朝の授業で必要な物を揃える必要があり、生徒が教室に居るこの時間を使って棚から探し出す。
「1ヶ月か……遠いな……」
ふと、先程牛久から聞いた話を思い出す。碑景神社。胡里高校のある胡里駅から車で1時間半走らせて漸く辿り着く距離にある。市指定のホームページがあり、短い説明内容だけの詳しく分からない神社だ。神主の話も何も無い。マップ上で見る限りはそこまでの大きさはない比較的小さな神社のようだ。
神主の事情も都合もあるだろうしすぐにお祓いというわけにもいかないらしく、1ヶ月後という結果になってしまったそうだ。牛久の方も粘ったそうだが此方の都合ばかりを優先させてはいられないから仕方ない。
ただ、その1ヶ月の間に新木自身に影響があるかないかだ。このままの状態でいけば何もかもが分からなくなるのは目に見えている。ほぼ毎日、何かしらを忘れていて、しまいには昨日、自分のことすらわからなくなっている。これ以上の猶予は正直言えば無いというのが現状だ。
牛久の伝手以外にもお祓いができる場所は探しといていいだろう。
「……新木?」
唐突に化学準備室の戸が開いた。お祓いのことを考えながら作業していたら渦中の人物が黙ってやって来た。
どうしたのかと尋ねようと口を動かした時、新木の異変に気がついた。嗤っているのだ。口元だけ。狐を描くように。口元以外の表情は一切抜け落ちているというのに。
「……誰だ」
ケタケタと笑い始めた目の前の人物に悪寒が止まらなくなる。妙な威圧。妙な気配。気味の悪い視線。ぐるりと胃の中を掻き混ぜられる気分に襲われる。
あぁ、これは良くないものだ。
本能的に感じた。
ガタガタガタと棚や机が音を立てて動き出す。ガラス製品の割れる音と骨格模型が倒れて崩れる様が見て取れる。新木ではない得体のしれない者の嗤い声に合わせるように。
どうする。どうすれば。思考が上手く働かない。
ふ、と目の前の人物から一瞬だけでも視線を外してしまったのがよくなかった。一瞬。ただほんの一瞬でも隙を見せてしまったから。
死臭の匂いがした。ハッと瞬きをした瞬間には影の様なものが眼の前にいた。
のまれる。
わかっているのに金縛りにあったかのように体がピクリとも動かない。
獲物を捉えたように口を開けて嗤ってい――――
「何の騒ぎですか!! 騒々しいですよ!! 月崎先生!!」
耳に響く金切り声。声のする方向に顔を動かせば、険しい顔を更に皺くちゃに顰めた桜木先生の姿があった。
「なんですか、この有り様は!!!!」
キンキンと響く声に眉を寄せて息を吐き出す。無意識に息を止めていたらしく、酸欠により体がクラリと歪む。倒れそみそうになる体を足で踏ん張り、辺りを見渡す。バラバラになった骨格模型とその周りにガラスの破片が散らばっていた。
キャンキャンと喚く桜木先生の声を聞いて思い出す。そういえば新木はどうなったんだと。
クスクスと笑う声が耳に届いて桜木先生の背後に棒立ちのように立っていた。仮面のような笑みを浮かべた新木を呼びかけようとするも、瞬きした一瞬で新木の姿が見えなくなった。
「聞いてるんですか!! 月崎先生!!」
「………………はい」
騙されているのだろうかと考えるも、あの死臭は間違いなく本物で。影も何もかも、ここでバラバラになった模型達が、あれが事実であると証明していた。