10
雨だ。雨が降っている。噎せ返るような暗闇で。惨めな俺を嘲笑うように。俺が望む懺悔の雨だったならどれだけ良かったか。罪を償えと嗤うように、重苦しい雨の中、俺の視界は影に呑まれた。
死臭がした―――――
「月崎先生!!」
「ッハ……!」
「ちょっとしっかりしてくださいよ」
「……桜木先生」
目を覚ましたその先にいたのはきつく目を吊り上げた小難しい顔立ちの女性がいた。桜木先生だ。
俺は今寝ていたのか……。
寝惚けた頭に入ってきたのは見慣れたいつもの職員室。壁掛けの時計の針は朝礼前の時刻を指していた。
いつ眠りに落ちたのか。そもそも何時に職員室に辿り着いたのかすら覚えてない。ただ脳裏にあるのはやけにリアルな夢。匂いも音も雨の質感さえも妙に覚えている。まるで体験してきたかのように。
「いやぁ、でも珍しいですね。月崎先生が居眠りなんて。なんかあったんですか?」
「……特に何も無いんですけどね」
「疲れてるんですかねぇ……」
「教師なんてそんなもんでしょう」
思考をぐるりと巡らせている途中で隣席の先生にまで心配された。自分では疲れてるつもりはないが教師というのはどうにも仕事が多い。日々の疲れが出ているのかもしれないと適当に答えて受け流す。
眠れないわけではない。たまに今のようなリアルすぎる夢を視ることが多くなり、眠った気にならないだけだ。寝不足というほどでもないから恐らく心自身の疲労だろう。あのようなリアルな夢を視たあとは心拍数も上がり、落ち着いたころに勢いよく疲労感に襲われている。
雨の中と雪の中を交互に繰り返してはその度に強い焦燥感と死臭がする。夢で感じた死臭は暫くの間、自分自身に纏わりついてる感覚がする。脳の思考がバグでも起こしたかのように。
「そういえば月崎先生」
目の前で桜木先生が立ち上がった。あと数分もしない内に朝礼前だというのにどこへ行くのか。
桜木先生を目の端で捉えたまま隣席の方へ視線を向ける。少しでも暇さえあれば話しかけてくる人懐っこいこの先生は雰囲気がいつも柔らかい。俺とは正反対のお日様のような男性だ。
「月崎先生ってモテません?」
「……は?」
真面目な顔で何を言い出すのかと思えば。
「そんな顔しないでくださいよ〜!」
「……」
「いやぁ、月崎先生みたいな大人の男!! みたいな感じにすげー憧れてて、どーしたらそういう風になんのかなぁって思いまして……」
こいつはずっと何を言ってるんだ。
まだまだ続く憧れの男像を語られて話半分で聞き続ける。俺はずっと人生を諦めているだけでかっこよくもなければ良い大人でも良い先生でもない。
「彼女もいなければモテたことも無いですよ」
「えぇ!?」
「これから朝礼ですよ!! 柏先生!!」
「あ、はい……ごめんなさい……」
いつの間にか戻ってきていた桜木先生の言葉によって話は終わった。普段は厄介な先生だがこういう時は極稀に助かることがある。本当に稀なことだが。
校長からの朝の挨拶と本日の予定。事務連絡を行うというのが胡里高校ならではの朝礼だ。胡里高校は独特な職員伝統が多い気がする。
「えー、では」
校長の挨拶が終わり業務連絡が入ろうとしたその時だった。
「すいません!! 失礼します!!」
職員室の戸が開いた。ノックもせずに。勢いよく。ゼーハーと肩で息をする生徒は牛久だった。
「何故ノックしな」
「新木七海が居なくなりました!!」
「少し目を離した隙に!!」
他の教師の言葉を遮るように大きな声で伝えられたのは新木の失踪だった。
朝礼なんてしてる暇はないと言うように。
ゾクリと全身に鳥肌が立った。あの謎の視線が嗤っている気がした。