【書籍化】塩対応の結婚相手の本音らしきものを、従者さんがスケッチブックで暴露してきます
「リヒャルト様、このフリーダ、本日よりあなた様の妻として精一杯務めさせていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます」
「……ああ」
桜の蕾が長い眠りから目覚めたばかりの、麗らかなある日。
広大なバラデュール侯爵家の一室にて、私は今日から夫となるリヒャルト様に、うやうやしくカーテシーを取った。
だが、リヒャルト様から返されたのは、「……ああ」という素っ気ない返事だけ。
絵画に描かれる魔王を彷彿とさせるような、冷たくも美しい瞳が私を刺す。
でも然程ショックはない。
何せ私はつい先月、婚約者に浮気された挙句、婚約を破棄された身なのだ。
理由はどうあれ傷物となった私と、新たに結婚してくれる人など現れるはずもない。
そんな中唯一打診をくれたのが、何とあの名門バラデュール侯爵家だったのである。
一人息子のリヒャルト様の妻に、私を欲しいとのこと――。
私の両親は大層喜び、二つ返事でこうして結婚の運びとなったのだった。
何故バラデュール侯爵閣下が、私なんかを大事な一人息子の妻にしたがったのかは見当もつかないけれど、当のリヒャルト様からしたら迷惑極まりなかったことだろう。
だからこそ、リヒャルト様のこの態度も当然よ。
傷物の自分をもらっていただいたことに感謝こそすれ、文句を言う権利は微塵もないわ……。
……ん?
その時だった。
リヒャルト様の隣でずっと笑顔で佇んでいた従者さんらしき人が、どこからともなくスケッチブックを取り出し、物凄い早さでそこに何かを書き始めた。
い、いったい何を……?
従者さんはスケッチブックをリヒャルト様の後頭部辺りにそっと掲げた。
そこにはこんな文章が書かれていた――。
『ふわああああん!! 俺のバカバカバカ!! 何であんな素っ気ない返事しかできなかったんだよおお!!! ホントはフリーダのことが好きで好きで堪らないのに!!! 婚約破棄されたって知った時は、「ヨッシャアアアアア!!!!」ってガッツポーズして、速攻で父上に結婚の打診をするように土下座までしたのにッ!! でも、愛しのフリーダを目の前にしたら、緊張して上手く喋れねえよおおおお!!!』
――えっ!?!?
何これ!?!?
まるでリヒャルト様の、心の声を代弁してるみたい……。
「む? どうかしたか?」
「い、いえいえいえ!? ななな、何でもありません!」
「……そうか」
何となくだけど、この従者さんの悪戯はリヒャルト様にはバレてはいけないような気がして、咄嗟に誤魔化してしまった。
……あら?
従者さんはおもむろにスケッチブックをめくると、またしても目にも止まらぬ早さで何かを書き、それを掲げた。
そこにはこう書かれていた――。
『嗚呼!! やっぱさっきの俺の塩対応にドン引きしてるんだああああ!!! どうしようどうしようどうしよおおおお!!! フリーダに嫌われたら俺、紐なしバンジーで今世からグッバイするしかねえよおおおお!!!』
そんなッ!?
「む? 本当に大丈夫かフリーダ? 顔色が悪いぞ」
「だ! だだだだだ大丈夫です!! この通り、元気ハツラツです!!」
「……そうか」
私たちを見て満足気に頷いた従者さんは、またしてもスケッチブックに何かを書き始める。
今度は何をッ!?
『嗚呼……、それにしても久しぶりに見たフリーダは、何て美しいんだ……。一年前の夜会で、飲めない酒を飲んでぐったりしていた俺に、優しく声を掛けてくれたのがフリーダだった。――女神が現れたと思った。あの日から俺にとって、フリーダだけが心の支えだったんだ』
ああ、そういえばそんなこともありましたね。
――そう、まさかリヒャルト様が私のことを、そんな風に想ってくれていたなんて。
い、いやいやいや、目を覚ましなさい私!
これはきっと、従者さんの悪戯に過ぎないんだから!
これがリヒャルト様の本心だなんて保証は、どこにもないのだから……。
「……まあいい、とりあえず自室で休め」
「は、はい、恐縮です」
従者さんの悪戯のお陰か、リヒャルト様からのお言葉に、優しさが籠っているようにも感じる。
――ありがとうございます従者さん。
まやかしに過ぎないのかもしれませんが、お陰様で私、この家でやっていけそうです。
感謝の気持ちを籠めた瞳で従者さんを見つめると、従者さんは慈愛に満ちた、天使のような笑顔を向けてくれた。
――その後も従者さんは事あるごとに、リヒャルト様の心の声(っぽいもの)を、スケッチブックで私に教えてくれた。
そこにはリヒャルト様がいかに私のことを愛してるか。
そしてその気持ちを素直に言い表せないことを、どれだけ悔いているかが赤裸々に綴られていた。
表では常に冷静沈着で無表情なリヒャルト様が、裏では超ハイテンションで『ふわああああん!!』となっている様を想像すると、そのギャップがあまりにも可愛くて、いつしか私の心はリヒャルト様のことでいっぱいになっていた。
……でも、これはきっと私の片想い。
その証拠に、一応私たちは夫婦になったというのに、リヒャルト様は一切私に手を出す素振りすらない。
勝手に心が通じ合っていると期待して、もし違っていたら二度と立ち直れないわ……。
それを確かめる勇気は、とてもではないけれど、今の私にはなかった――。
――そんなある日。
「フリーダ、今日は二人で出掛けるぞ」
「は、はい!」
リヒャルト様からの望外のデートのお誘い!
いや、リヒャルト様はデートのつもりはないのかもしれないけど、私にとっては紛れもないデートだ!
私は浮足立ちながら、鼻歌交じりにいつも以上にめかしこんだ。
「わあ、綺麗!」
そしてリヒャルト様に連れてこられたのは、辺り一面、満開の桜で彩られた絶景スポット。
「この桜は我が領地の名物でな。これだけの桜を揃えているのは、国内でもここだけだろう」
腕を組みながら桜を見上げるリヒャルト様は、どこか誇らしげだ。
「はい、本当にお見事だと思います。……神々しさすら感じます」
私は神が作り出した芸術品とも言える光景に、暫し見蕩れた。
……お?
その時、いつもの如く従者さんがスケッチブックを掲げた。
『喜んでくれたようでよかった……! これで少しは好感度上げられたかな!? ううううう、勇気を出してフリーダをデートに誘った俺マジグッジョブ!! 桜に見蕩れてるフリーダたん、ギャンカワだよおおおおお!!!!』
フリーダたん!?!?
……ふふ、好感度を上げるも何も、私の中のリヒャルト様への好感度は、とっくにマックスですよ。
リヒャルト様の本心は未だにわからないですけど、少なくとも私に対する言動の端々に優しさは感じますし、一見冷たそうなリヒャルト様が実は情に厚い方だというのは、今の私は知ってますから。
……あら?
従者さんはスケッチブックをめくると、新しい文章を書き始めた。
――それはこんなものだった。
『……でも、このままじゃダメだよな。――やっぱ気持ちはちゃんと言葉にしないと』
――え!?
リ、リヒャルト様!?
「――フリーダ」
「!? は、はい……!」
リヒャルト様がいつになく真剣な表情で、私をじっと見つめる。
その瞳に燃えるような熱が籠っている気がして、私の体温は急激に上がった。
「――今まで君に冷たい態度を取っていたこと、深く後悔している。――本当にすまなかった」
「――!」
リヒャルト様は背筋を伸ばして、私に頭を下げた。
リヒャルト様――!
「そんなッ! お顔をお上げくださいリヒャルト様! ……私はまったく気にしておりませんわ」
「そ、そうか!」
ガバリと顔を上げたリヒャルト様は、普段からは想像もできないくらい、満開の桜みたいな笑顔を浮かべていた。
はうっ!?
む、胸が……!
胸が苦しい……!!
「フリーダ、今から俺が言うことは、紛れもない本心だ」
「――!?」
リヒャルト様は私の両手を、ギュッと握ってきた。
ふおおおおおおおお!?!?
「――俺は、心の底から君を愛している」
「リ、リヒャルト様……」
嗚呼、どうしよう。
涙で歪んで、せっかくのリヒャルト様のお顔がよく見えない……。
「どうかこれからは、本物の夫婦として、生涯を俺と共に生きてほしい」
「――はい、喜んで。――私もあなた様のことを、心の底から愛しております、リヒャルト様」
「――! フリーダッ!!」
「きゃっ!?」
感極まってしまったリヒャルト様は、私のことを強く抱きしめてきた。
ぬっほおおおおおおおお!!!!
リヒャルト様の胸板、何て逞しいのおおおおおおおお!!!!
で、でもリヒャルト様、流石に従者さんの前でこれは、ちょっと恥ずかしいというか……。
「……あら?」
その時だった。
従者さんの立っていたところに目線を向けると、そこには誰もおらず、一際神々しい桜の樹が鎮座しているだけだった。
「従者さん!?」
「む? 従者? 何のことだ?」
「あ、いえ、いつもの従者さんの姿が、急に見えなくなってしまって……」
「いつもの従者? どういうことだフリーダ? 俺は従者はつけない主義だぞ」
「――え」
そ、そんな――!
言われてみれば、リヒャルト様はここに私を誘う時も、「二人で出掛けるぞ」と言っていた気がする……。
リヒャルト様が従者さんと話しているところは見たことがないし、そういえば私は従者さんの名前すら知らない――。
「で、でも、いつもリヒャルト様の隣には、笑顔の従者さんが立ってましたよね?」
「……! なるほど、きっとそれは『チェリアール』だな」
「チェリアール??」
とは??
「我が領地に代々伝わる、桜の樹に宿る精霊だ。桜が咲く季節に、心が美しい者の前にだけ現れ、幸福をもたらすと言い伝えられている。――きっとフリーダの心が誰よりも美しかったから、フリーダにだけはその姿が見えていたんだろう」
「……」
そう。
そういうことだったのね。
――ありがとうチェリアール。
あなたのお陰で、私とリヒャルト様はお互いの本心を伝え合うことができたわ――。
感謝の気持ちを籠めた瞳で桜の樹を見つめると、桜の樹は慈愛に満ちた、天使のような笑顔を向けてくれた――ような気がした。
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