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雲と幽霊

作者: アルミ缶

雲と幽霊


ある日、私の前に男の子の幽霊が現れた。

同じクラスの、あまり話したことのない男の子。3日前交通事故にあって、そこから病院で意識不明の状態になっていると、先生が話していた、男の子。

「どうやら、死んでしまったようでして…」

男の子は雲のようにもやもやした手で恥ずかしそうに頭をかく。死んでしまったというのに変なやつ。


男の子の姿は私にしか見えていないようだったから、恐る恐る話を聞いてあげることにした。どうやら、天国へ続く道の途中で、門番みたいなおじいさんから「お前に腹を立てている人間がまだ現世にいっぱいいるから、その人たちの怒りを鎮めてからこちらへ来なさい」と伝えられて幽霊として甦ったのだそうだ。


ここまで聞いてしまって、何もしないというのも後味が悪いので彼の成仏に私は力を貸してあげることにした。

「ありがとう。助かるよ、ほんとに」と彼は隣でにこにこしている。幽霊ってもっと誰かを呪っていたり人生を悔いていたりして怖いものだと思っていたから拍子抜けしちゃう。

「でも、年頃の女の子一人でいきなり知らない人を訪ねていくなんて、ちょー危険なんだけど」

「大丈夫、もし何か襲われそうになったら俺がそいつに取り憑いて呪ってやるから」

そんなの全く信用できなかったけれど、彼が言うと不思議と大丈夫な気がした。彼と一緒にいるとそういう変な安心感に包まれる。


彼の言うままに色んな人に会いに行った。私は直接会話ができない彼に代わって、通訳として彼の言葉を伝えた。

小学校のときの友達、習い事の先生、近所の悪ガキたち。みんな彼に腹を立てているらしい人たち。その一人一人に会うたび、彼はどうせ届かないくせに「ごめん!!俺死んじゃった!!」と全力で謝った。謝る理由は「借りていたゲームを返しそびれた」だとか「リフティングのコツ教えるって約束が守れない」だとか、些細なことばかりだった。

私が彼の言葉を一字一句そのまま伝えると、みんな怪しむどころか彼の存在を信じて泣き出す一方で、言葉ってものに人柄は宿るんだな、と私は少し感心した。


そうこうして数日が過ぎた。私はこの不思議な習慣にすっかり慣れてしまっていた。彼にあと何人いるの、と訊ねる。昼下がり、川沿いの土手道を歩いているときのことだった。そよ風に髪をなびかせて、前を歩いていた彼が私に振り向く。

「実は、さっきのハヤテで最後だったんだ」

ハヤテ、というのは彼の飼っている愛犬の名前だ。「もう一緒にかけっこできないや、ごめん」という彼の言葉を、果たして通じているのかもよくわからないまま、初対面の芝犬に向かって必死で身振り手振り伝える私の姿は、周りの人の目に一体どう映っていたのだろう。想像するだけでも恥ずかしさで顔が赤くなる。

「えっ、じゃあついに終わったんだね」

門番さんの言う通りに全ての人に謝り終わって、これで彼も心置きなく成仏できるということだ。私と彼の不思議な関係もこれでおしまい。

「そうなんだけどね。今、どうやら最後の一人が増えちゃったみたいなんだ」

どういうことだろう。彼はまっすぐ私の目を見つめている。そして、こう言った。

「俺に怒っていること、言ってみて」


彼の言葉に私は動揺した。

「そんな、私怒ってなんか…」

「じゃあ、なんで泣いてるの」

頰を触ると水滴が手についた。私は自分でも気づかないうちに涙をポロポロ流していた。どこかで薄々気づいていた、知らないふりをしていたのに。ああ、やっぱり隠し事なんてできないんだ。だって相手は幽霊なんだもの。私は声を振り絞った。


「なんで。なんで死んじゃったの、ばか」


少しの間だったけど、彼と一緒に過ごしてわかった。彼の優しさ、誠実さ。とても素敵な人だってこと。同じクラスだったのに知らなかった。生きていれば、生きてさえいれば、これから仲良くなることだってできたはずなのに。

彼は、ごめん、とだけ呟いた。ここ数日何度も聞いてきたその言葉が今はずっしりと心に響く。

「だめ!謝っても私は絶対に許さないから。だって、私が許したら…」

君は私の前から、この世界から消えてしまうんでしょ?だったら私は許さない。一生許さないままでいい。


沈黙が続いた。やがて彼がポツリと言葉を紡ぐ。

「俺さ、ほんとはお前のこと前から知ってたんだよ。いつからか目で追ってた」

「聞きたくない」

「幽霊になったときにさ、一番近くにいたのがお前で、お前にしか俺のこと見えてなくて、ほんとはテンション上がってたんだ」

「知らない」

「たった数日だったけどさ、一緒に長い時間いられて、ほんと楽しかった。ああ、最後に一番やりたかったことできたなあって」

「やめて!」

「ううん、やめない。だからさ、最後は笑ってさよならしてくんないかな。俺からのお願い」


私は泣きじゃくりながら首を横に振った。彼は困ったように私の肩をぽんぽんと叩く。感触はないけれど。


しばらく私たちは黙って河沿いの坂の草むらに座っていた。

「雲が綺麗だ」

独り言のように彼が呟いた。私は自分の膝に顔を埋めたまま彼の言葉を聞く。

「雲ってさ、きっと同じ形のまま止まってたら不気味だと思うんだよな。常に形が変わって現れては消えていくから、一瞬一瞬でああ、美しいなって、感じる」

風が吹いている。きっと今日の雲は速い。

「幽霊ってさ、雲みたいなもんなんだよ。ずっと同じようなままだったら俺悪霊になっちゃうよ」

いたずらっぽく笑う彼の声が聞こえる。初めて幽霊の彼に会ったときを思い出した。雲のように輪郭をふわふわさせながら笑う彼のことを。そうなんだ、もうわかっている。私は顔を上げた。

「ありがとうな。最後にすっごい楽しかったよ」

私は涙を拭いながら頷いた。

「またね、次こっちに戻ってくるときもちゃんと私のところに現れてよ」

その言葉を聞いて彼は満足そうに笑ったように見えた。もう彼の姿はほとんど見えなくなっていた。

おう、と返事が聞こえた気がした。ひょっとしたらそれは風の音だったかもしれない。


私は空を見上げた。天気がいい。透き通るような青空の中を小さな雲がいくつか、形を変えながら漂っていた。


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