01 A HAPPY NEW YEAR
「ただいま」
誰がいるわけでもありませんが(私はオカルト系は大の苦手なので極力怖い考えは頭から排除していました)、私はドアを開けると部屋の中に向かってそう言いました。
新しい年の空気が開けたドアを通して、去年の空気と入れ替わっていくのが感じられました。
ふと、それがどんな類のものであっても、「ドアは開けるためにあるのだ」という考えが頭をよぎりました。
これと言った根拠があるのではないですが、締め切ったままのドアではなんとなく申し訳なく思えるのです。
私は部屋のすべての窓も開けて、新しい空気をいっぱいに入れ替えました。
しばらく暖房をしていないので部屋の中でも息が白くなるほどでしたが、そのことが今の季節は冬であることを感じさせてくれて、私はしっかりと四季があることを嬉しく思いました。
今日は1月4日です。
年末と年始の三箇日は、これまでどおり母とふたりで過ごしたかったので、自室に戻るのは4日にしたのです。
ちょっと仲が良すぎる母娘かもしれませんが、これまでの私の記憶のようにそれがいつもの光景なのでした。
大学入学後では母と一緒に過ごす日常はずいぶん減ってしまいましたが、それでも帰省すればすぐ私が家を離れる前と同じ雰囲気に戻れるのです。
何より、私に向けて母が嬉しそうに笑顔を浮かべてくれるのが、私の笑顔のもとになっているのでした。
*
部屋に入ってから腰を下ろす前に、私は郵便受けに届いていた年賀状を立ったままで拝見しました。
早田さんを始めとする学校の仲間たちからの活き活きとしたハガキは私の心を一段と温かくしてくれました。
そして次の一枚で、私はしばらく呼吸をするのを忘れてしまうくらい驚きました。
佐野先輩からの年賀状……それは引越しのお知らせを兼ねたものでした。
私は佐野先輩へ直に住所をお知らせできないまま今日まで来てしまいましたが、昨年のクリスマス前に土井先輩へ渡したカードには私の部屋の住所と電話番号を書いておきましたので、土井先輩から佐野先輩へとそのカードが渡されたのだと思いました。
佐野先輩は昨年中に、私や土井先輩、田中先輩と同じ沿線に転居されてこられたとのことでした。
住所から考えると、大学には下りの電車に乗ってこられることになると思われました。
これからも改めてよろしくお願いします。
愛を込めて。
幸美
どこまで本気なのか分からない短い文章でしたが、私は幸せな気分に包まれました。
もともと、友だちはほとんどいない私でしたので、届いた年賀状が両手でことたりる枚数であろうとも、すごくたくさんのエネルギーをいただけたと感激していました。
早田さんたち、つまり大学での友だちには私からも元旦に間に合うように出しておきましたが、佐野先輩には連絡先不明のまま、土井先輩にうかがうこともできずまだ出せていません。
私はなるべく早く佐野先輩に返事を出さなくてはと思いました。
もたもたしていると、週明けには学校が始まってしまいます。
「西洋音楽史」は、休講がなければまだ数回残っているはずですから、土井先輩を経ていただいた伝言、「来年、また講堂で会おう」というひとことは、私にとっては楽しみであると同時に励みにもなっていました。
実際、お会いできる前に年賀状は届くようにしておかなくては申し訳ありませんし失礼だと思いましたので、私は持って帰ってきた荷物を片付けるよりも先に、数枚残しておいた年賀はがきを一枚取り出し、佐野先輩の住所からしたためました。
そこで気がつきましたが、土井先輩からは何もありませんでした。
私が部屋に入る前から点滅していた留守番電話には、母からの「無事に帰れましたか」「まだ寒くなるのだから気をつけて」といった温かい言葉が入っていました。
でも、その他にはどこからも何もなかったのです。
私からはいちおう広瀬先輩から土井先輩のご住所を教えていただき、土井先輩にも年賀状を出してはみたのです。
土井先輩から年賀状をいただくのは、冬休み前に田中先輩にうかがったお話からだと難易度がかなり高そうでしたので、私は期待していませんでした。
それに、土井先輩の性格はなんとなく知っているつもりですので、連絡がなかろうと驚くこともありません。
学校が始まったら土井先輩を捕まえて、抗議しなくてはと思っただけです。
そのことがなんだか楽しみなのが不思議な感じですが、おふたりに会えるはずの新年初回の「西洋音楽史」は佐野先輩からの伝言の件も含めより一層楽しみになりました。