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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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偏愛の先 第4話

「どうかした?」

 きょとんとした顔でローランが訊いてくる。

 友人の様子を瞬時に観察したレナは、何食わぬ顔で部屋を出ようとその場から動いた。しかし、ローランはそれよりも早く室内へ入ってきた。

「懐かしいだろ」

 自らが作り出した紛い物の空間で、ローランは満足げに両手を広げた。

「あちこちの蚤の市をまわって探したんだよ……ベッドカバーは少し新しいけど雰囲気はばっちりだろ。みつからなかったものは自分で作ってみた。自画自賛だってレナは笑うかもしれないけど、なかなかの自信作なんだ」

 当たり前のように振る舞うローランに合わせるべきかレナは迷った。

 そんな戸惑いを感じたのか。ローランがこちらへ向き直り、苦笑を浮かべて鼻の頭を掻いた。

「どこまで似せるか……かなり迷ったんだ。シーツのあの染みとか」

「……ッ」

 その言葉の意味するところは、すぐにレナの脳裏に浮かぶ。ルイスも知らないレナの秘密だ。

「漂泊してもうっすらと残るから厄介だよな、血ってヤツは」

 すみれ色の瞳を細めてローランがレナへと歩み寄る。瞳を揺らしながら眉を寄せるレナの唇をなぞり、だから俺は暴力が嫌いなんだとローランは呟いた。

「苦痛は長引かせない方がいい」

「その話はやめて」

「レナだって言ってたじゃないか。いっそ殺してくれって」

「今はもう違う。今のあたしはもうそんなことを言ったりしない」

「――知ってる。今のレナはルイスに幸せにしてもらってるもんね。間近で見ていて俺まで心があったまるよ。幸せそうなレナたちを見てるのって、つまりは俺の幸せってことでもあるからさ」

 だからさ、ルイス以外の人間を傍に置くのはやめなよ――。

 抑揚のないローランの言葉に、レナの背中を冷たいなにかが走った。

「どうして同じことを繰り返すかなぁ……忘れたわけじゃないよね、イェシカおばさんたちから受けた酷い仕打ちを」

「忘れるわけないでしょ」

 今でもときどき思い出してしまう忌まわしい過去だ。

 目つきが気に入らない、目の色が薄気味悪い、髪の色が気持ち悪い、子供らしくない――暴力を振るう理由などなんでもよかったのだ。

 薬を断てない母親は男に縋ることでしか金を手に入れられなかった。そんな自分を自らが蔑み呪う。行き場のないその怒りはベンジャミンの元から戻されたレナへと向けられた。娘がようやく手に入れた笑顔が母親には忌々しかったのだ。

 平手や拳で殴られる方がマシだったかもしれない。革のベルトは皮膚にぴたりと巻きつき痺れるような痛みを齎した。しなる竹の棒は服の上からでも打ちつけられれば鋭い痛みが沁みるように全身に広がったものだ。

「隠せても消えることはないよね」

 ローランの手がレナの後頭部に触れる。

 うなじに近い辺りにその傷はあった。ショートヘアを避けていたのはこの傷が見えてしまうからだ。見えればルイスに追及される。そして噓を吐くか、真実を話してルイスの表情を曇らせてしまうかのどちらかだった。

 ローランとはそんなときに出会った。

 心を閉ざし、必死に後を追ってくる義弟を遠ざけていた頃――

「こんな傷なんて、もう気にしてないから」

 だから触るなという風に、ローランの手を払った。

「ごめん」

 払われた手をさすりながら沈んだ表情で謝るローランを、レナはじっとみつめた。

 この疑念が性質の悪い勘違いであればいいと思った。

「傍に置くとか……飛躍し過ぎじゃないの。彼女たちはただの店のお客で、かわす話題なんて本のことぐらいだし。たかがその程度で殺されるなんて……あたしが遺族ならぜったいに納得なんてできないよ」

「そうだな。納得なんかしないだろうね。そこは俺も同じ気持ちだけど、よけいなものは要らないから。レナとルイスは平気でも俺が無理なんだ。レナとルイスの傍にいていいのは俺だけだから。俺だけが2人の苦しみも愛の重さも理解しているわけだからさ。ほかの存在なんて必要ないんだよ――――え? これって俺だけ? 俺だけが思ってたこと?」

 歪んだ笑みを張りつかせたローランが、怯んで後ずさるレナの腕を掴んだ。

「なに……? レナ、きみは違うの?」

 すみれ色の双眼が見開かれ、ひたと視線を寄せてくる。

「ローラン、あんたはいい友人よ。ほかに代わるものなんてないくらい大事な友達だけど」

「それだけ?」

「それだけって。じゃあなんて答えればいいの。確かにあんたは一番つらかった時期のあたしを支えてくれたし、その支えがあったからルイスにも正面から向き合えることができた。感謝してるけど、だけど――なんで? どうしてローラン」

 ひとを殺したりしたの――レナの声は震えていた。

「……あ」

 ローランがなにかに気づいたように呟いた。

 ブレーキ音とほぼ同時に聞こえる車のドアの開閉音。わずかな間を置いて、玄関の扉が開いた。

「ローラン」

 ルイスだった。

 焦り、怒り、戸惑いがない交ぜになった複雑な声音だ。

「騒々しいなあ、ルイス」

 ローランの爽やかな微笑は普段と変わらない。レナはルイスに声をかけながら部屋を出た。その姿を見て安心したルイスは傍目からでもわかるくらいに安堵の表情を浮かべた。

「いっしょに署へ来てくれないか」

「えぇ? 嫌だよ」

「いいから俺と来てくれ」

 軽くいなされたことにルイスは気色ばんだ。

「こういうのって俺らしくないよね」

 腰のホルダーから銃を抜き、ルイスへ向けた。ローラン愛用のマニューリンMR73の銃口にルイスも慌てて銃を構えた。

「落ち着いてルイス」

 レナがローランを庇うようにルイスの前に立ちふさがった。

「レナはそこをどいてくれ」

 ローランの行動が読めないルイスは、彼の射線を塞ぐように立っているレナが気がかりでならない。

 ローランには、ただいっしょに署へ行き詳しい話を聞きたいだけなのだ。こんな風に銃を向け合うつもりはなかったのだ。

 ふふ、とローランが笑う。漂う緊張感に戸惑いの色が濃く混ざる。

「俺はいつもその背中を追いかけていた。――変わらないなぁ」

 ローランの銃口がわずかに逸れてレナに向いた。

「寄せ!」

 ルイスが怒声を放つ。銃を握るローランの手に力が込められるのがわかった。

 撃つ気だ、とルイスは感じた。

 反射的にルイスは引き金を引いた。手首から腕へと伝わる確かな衝撃。だが聞き慣れているはずの銃声が、ルイスにはなぜか聞こえなかった。ローランへと振り返るレナの動きがやけに緩慢に見えた。

 そして唐突に戻ってきた音の世界はレナの悲鳴のような叫び声から再開した。

 眼前のローランは膝をつき、マニューリンは弾を発射させた痕跡のないまま床の上に転がっていた。


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