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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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色とりどりの 第3話

 冷たい雨はすっかり上がっていた。吐く息は白く、ぴりぴりとした寒風がレナの頬を吹き抜けていく。

 アンツェンベルク通りの一角。シックな外壁はレンガ色に塗られていて、木製のベンチが通りに向かって並んでいる。

 店内はスモーキーな灰色の壁と落ち着いた色合いのタイルに、背もたれのない変わった椅子が窓辺に置かれていた。カフェスペースが小さいのも特徴なのだ。

「へぇ。レナの家の近くにこんな店が……。カフェっていうからもっと敷居が高いイメージがあったけど、この店はなんだかほっとする雰囲気だな。居心地がいい」

 ラファエルは、壁にピンで留められているカラフルで大小さまざまな名刺を指先で弾きながら、店内にゆっくりと視線を巡らせていた。

「カウンターが実験室みたいになってる」

 感心しているようだが、どこか的外れなところが彼らしくてレナはふふっと微笑った。

「はは。うちはカフェっていうより焙煎工房だからね。いろんな器具があるし、実験室っていうのもわかる気がする」

 カウンター越しに聞こえるバリスタの優しげな声も笑んでいた。

「はい、いつものヤツね」

 バリスタのカミル・フランクは四十歳という年齢のわりに若く見えた。

 灰色がかったブルーアイズをにこりと細め、柔らかな笑顔に毛先が軽くカールしたアッシュブロンドがよく似合っている。

 差し出された紙袋をレナは受け取り、

「今日は久しぶりにここで飲んでいこうって思うんだけど」

 レナは紙袋を窓際のテーブルの端に置いて言った。

 カミルは驚いた顔をしたが、すぐにその表情を綻ばせる。

「いつもの豆で飲むかい? それともほかの豆に挑戦してみる?」

 普段はケニヤ産の豆を挽いてもらっているので、せっかくだから違う豆を試してみよう。レナは瞳を輝かせた。

「いつものより香りが強いヤツがいいかな。少し甘めでお願い」

「俺はそんなに詳しくないから、まかせる」

「それじゃあ、少し待っていてくれるかい。よければ隣に新しいコンディトライができたから、そこで好きなクーヘンを選んでくるといいよ」

 カミルは、最近できたばかりのコンディトライを嬉しそうに勧めた。

「ラファエルは甘いものは好き?」

「もちろん。それじゃさっそく行ってみようか」

 はしゃぐ子供みたいにラファエルは身体を翻した。

 ルイスにも買って帰ろうか。レナは、クーヘンを前にして頬を綻ばせるルイスを想像した。厳めしい外見に反して甘いものに目がないのだ。

「午後からの力仕事の為に糖分を貯め込むとするかな」

 クーヘン選びに袖をたくし上げるラファエルを見て、「どれだけ食べるつもりなのよ」とレナは相好を崩した。

 コンディトライでレナはアプフェルクーヘンとテイクアウト用にキルシュトルテを、ラファエルはカミルの店で食べるからということで、特別にバニラアイスと生クリームをたっぷり添えてもらったアプフェルシュトルーデルを購入した。

 歩道を歩く通行人や道を行き交う車を眺め、ラファエルと他愛のない世間話に花を咲かせていると、巷を賑わせている連続殺人事件が自分とはまったく関係のない出来事に思えた。


「きみ、捜査を外されたんだよね」

 ニヤニヤしながら、そう話しかけてきたのは鑑識課のゲルト・ガイスラーだ。同期ということもあってか、明け透けに言ってくる。

「外されたからといって捜査が気にならないわけじゃない。俺は俺で……ちょっと、な」

「デスクワーク中心で定時あがり、結構じゃないか。きみ、今までほとんど公休取ってなかったらしいし、いい骨休みになるだろ」

 あくびを噛み殺しながらゲルトは言った。それからルイスの肩を叩き、派手に動くなよと忠告して自分の机へ戻った。ルイスはメモを小さく折りたたみ、上着の内ポケットへしまい込んだ。

 部署に戻ったルイスが早退を申し出ると、刑事部に残って報告書の手直しをしていた部長が渋面を浮かべた。

「有休でも取ってしばらく休まないか」

 部長の提案にルイスの眉がぴくりと動く。

 捜査を外されたとはいえ、刑事部に顔を出していれば事件の情報は耳に入ってくる。事務方になってまで刑事部に居座るのはそれが目的だからだ。

 ルイスは神妙な顔をつくった。瞳を伏せ、声のトーンも少し落とす。

「家でひとり籠っているといろんなことを考えこんでしまうので、ここで書類整理でもしています。部長もなにか報告書で急ぎがあれば言ってください。俺がやっておきます」

「報告書か……そうだな。事件をいくつも抱えているとどんどん溜まっていくばっかりだからな。後でおまえの机にファイルを置いておくから、明日でもちょっとまとめてくれるか」

 ルイスの提案を幸いとばかりに安堵の表情で受け入れ、部長は椅子の背にもたれた。

 朝はきれいにセットされていた部長自慢のヘアスタイルも、午後ともなればすっかりくたびれていた。

「できれば指示書もいっしょに付けておいてもらえると助かります。それじゃ、今日はもうあがっていいですか」

「かまわないよ。頼んだ報告書は明日以降でいいし、ほかの書類はそれぞれ期限に間に合わせてさえくれればいいからな」

 早上がりの許可をもらったルイスは、ミッテの自宅に急いで戻った。

 リビングのテーブルにゲルトから渡されたメモと自分でまとめた事件のファイルを広げ、天井まで届くテラスのカーテンを思いきり開けた。

 最上階にあるルイスの部屋からの眺望は素晴らしく、ガラス越しに見えるミッテの街並みを、ルイスはしばらくの間ぼんやりと眺めていた。

 重苦しい曇天が広がっていた。ルイスは深いため息をひとつ吐いて踵を返す。テラスから差し込む薄い陽光が、部屋全体を淡く包んでいた。

「今のところ、レナが接点ということしかはっきりしていないんだな。もしくは古書店……」

 捜査班もひとまずここを起点に捜査しているようだった。

 レナの交友関係をノートに書きだしてみる。一人、二人と書き進んでいくが、三人目から浮かばない。改めて自分はレナのことを知らないのだなとルイスは嘆息した。

 その二人も、ローランと行きつけのカフェのバリスタだ。一連の被害者がレナの古書店の客であることは間違いなく、それ以上でも以下でもない。常連客はみな友人だとレナは言うのだろうか。それすらも自分にはわからない。

 それでもルイスにはレナが事件の鍵のような気がしてならなかった。

 クリアファイルから紙片をいくつか取り出す。レナの家に泊まった日に、仕事関連について聞き出して書き留めていたものだ。

 古書の仕入れ先――ドイツ中の蚤の市を巡り、インターネットのオークションにも手を広げていた。

 収集家や遺族の依頼で古書の買い取りなども請け負っていて、すべてを把握するのはかなり難しい。それぞれのメモを交互に見やり目についた部分をチェックしていると、たまにサービスで配達しているとレナが言っていた場所が遺体発見現場の近くであることに気づいた。

「たまに配達していた場所の近くで被害者が殺されていた……? 被害者の共通項は古書。犯人の目的はなんだ。彼女たちが購入した本に手がかり……いいや、違う。まったく関連性はないんだった。すでに四人殺されている……最初の被害者が出たのは約半年前の七月」

 ルイスは右手で顔を覆い、メモを睨みつけた。そして立ち上がると、ジャケットを羽織って慌ただしく部屋を飛び出した。

 週末ぐらいにしか乗らないフォルクスワーゲンのハンドルを握る。当然ながら犯人は移動に車を使っているはずだ。


 大した収穫はなかった。発見場所近くでの聞き込みはすでに終了しているので、今さらレナの写真を見せたところで新しい情報は得られない。

 被害者たちが購入した本には問題がなく、彼女たち自身にも殺害される理由がないのなら、やはり犯人の目的はレナに対するなにかなのだろうか。しかし、それも判然としない。

 気づけば辺りは夕暮れに染まりつつあった。

 無性にレナに会いたい。ルイスはノイケルンに向かって車を走らせた。

 事件が続いたせいで、ここのところ塞ぎ込んでいる様子も気になっている。時々ふいに押し黙って考え込む。にぎやかな彼女が急に黙り込んでしまうのだから、よけい気になる。問い質したところで、ルイスの気のせいでしょとはぐらかされるのがオチだ。

 そんな風だから、いつまでたっても俺は自信が持てないのだとルイスは零した。

「あれは、ローランか?」

 左折しようと方向指示器を出したところで、前方の歩道を歩くベージュのチェスターコートが目についた。軽いウェーブの金髪とグレーのスラックスにも見覚えがある。

 車を路肩に寄せてクラクションを鳴らした。コートの男が振り返ると、やはり思っていた通りローランで、彼は嬉しそうに小走りで車へと駆けてきた。

「ルイス、よかったァ。直帰になったのはラッキーだったんだけど、運悪く今夜の予定キャンセルされちゃってさ。ひとりで飯食うのも寂しいからいっしょに夕飯食べに行かない? というわけで車に乗せて」

「食事の誘いがついでのような気がする。素直に車に乗せてくれって言えばいいだろ」

 寒さを強調するように歯を鳴らしているローランに、ルイスは苦笑しながら言った。

「ごめん。凍えそうだから今すぐ車に乗せて」

 まくし立てるように言って、ローランはルイスの車に乗り込んだ。

 エアコンの吹き出し口に向かって両手をかざし、バスタブに浸かっているようなだらしのない息を吐く。

「夕飯に誘ってくれたのに申し訳ないが、俺はこれからレナのところへ行くつもりなんだ」

 ハザードランプを点滅させて、ルイスはローランの反応を待った。

「えぇ? 今夜は俺に付き合えよぉ。レストランに予約してたからキャンセルするのがもったいないんだよ」

 ローランが好みそうな店の名前を聞かされた。

「それなら向かっていた方角が違っていないか? そのレストランは真反対だし、ローランの自宅は確か」

「最近引っ越したんだよ。前のアパート、更新が切れちゃってさ。あれ? 言ってなかったっけ。しばらくはホテル住まいで凌いでいたんだけど、戸建てのいい賃貸みつけてさ。思いきって借りた」

 ちょっと張り込んだ、とローランは苦く笑いながらも嬉しそうに言った。

「エストリッヒャー湖の近くなんだ。今度レナといっしょに遊びに来いよ。湖に面してバルコニーがあって気持ちいいから」

「レナにはいい気分転換になるかもしれないな。近いうちに二人で行く」

「いつでもどうぞ。もう片付いちゃってるから。じゃ、キャンセルの電話を入れておくか」

「一人で食事したっていいだろう。このまま店まで送るぞ?」

「俺は寂しがりだからひとりはイヤなんだよ」

 ローランはおどけた口調でルイスの気遣いを断り、レストランの予約をキャンセルした。

「ルイスの方こそ、俺と話したいことがあるんじゃないの? いろいろとさ」

 そう言いながらローランは胡乱な目をルイスに向けた。一瞬、その言葉の意味がわからなかったルイスだが、すぐに真意を理解した。

 ルイスはハザードランプを消して車線へ戻った。

「それなら少しつき合ってもらおうかな。ちょうどいい用事も思い出した」

 レナの部屋で飲んでいるコーヒー豆が切れていたことを思い出し、カミル・フランクの店へ寄ることにした。彼の店なら店内でコーヒーを飲めるし、最近できた隣のコンディトライの絶品クーヘンに舌鼓を打つのもいい。

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