賢者と聖女と勇者な彼と怯懦の魔人
高慢な姫がいた。
月のごとき美貌、優美な肢体、声は天上の音楽。
動けばその可憐さに花が舞うよう。
ただひとつ欠けていたのが、謙虚という美徳のみ。
傲慢な公子がいた。
太陽の顔、強靭な体躯、朗々たる声は千軍を動かす。
剣を振るっては戦の神さながら。
ただひとつ欠けていたのは、自戒という美徳のみ。
二人はまみえ、お互いが相容れぬ仲と知るに至る。
まずいことに二人の領地は隣り合っていた。
姫の父が亡くなり、彼女が領地を継ぐと、諍いはますます激しくなっていく。
かくて二人の紛争は抜き差しならないものへと成り果てた。
「二人は決着をつけるため、二日後に、領地境の平原で会戦をすると言うことです。それを止めてくれと言う依頼です」
さらりと賢者が口にする。
「うーん、領地争いはなるたけ避けたいんだけど」
乗り気がしないと勇者は首を振る。
「俺の剣は魔を払うためのもの。人を殺すためのものじゃない」
いつもの声より少しばかり重い声。
勇者の本音が垣間見られた。
「だからこそ、貴方が必要なのですわ」
聖女は勇者に慈愛の笑みを投げ掛ける。万民に癒しと勇気を与えるその微笑み。
勇者は人類の99.974%の一人だった。
平原に着くと両軍がにらみ合っていた。
戦はまだ始まっていないが、いつ激突してもおかしくない状況だ。
賢者と聖女と勇者は両軍のただ中に駆け入ろうした。
しかし、その前に。
大きな雷が天から大地へと走った。
その場にいた者すべてが天を仰ぐ。
「神はお怒りになっている!」
大音声が平原に響く。
鹿毛に乗り、フードを被った男が一人、賢者達がまさに入ろうとした位置にいた。
「悔い改めよ!平和を乱す者の上には神の裁きが下されるであろう!」
「魔法を使って声を拡声してますね」
「じゃあ、彼は魔術師か?」
「魔法も使っていますが、あの雷電は」
「法皇様です」
賢者の言葉に被せるようにして聖女は男の素性を言った。
居並ぶ馬たちが怯え、兵士達も天から落ちる雷と男の声の魔力にひれ伏していく。
「我が神は至高におわす。恐れよ。崇めよ。地に伏して許しを請うがよい」
雷電が二筋、天からほとばしり、姫の天幕と公子の馬の近くに落ちる。
気絶した姫が天幕から運び出され、馬から落ちた公子に味方の兵士が駆け寄る。
「驕り高ぶった二人よ。自らをもて、人々に神の怒りを伝えるがよい。神の真なる怒りに触れる前に、悔い改めよ!」
そして大きな雨粒が両軍に降り注いだ。
「お株を奪われたな。楽でいいけど。どうする。一応、姫と公子の様子を確認しとくか?」
「そうしましょう」
賢者は即座に答えた。
法皇の姿はすでにない。
どうやら後始末をするのは賢者達の役目らしい。
◇
先ほどまで敵対していた姫と公子が同じ天幕の中にいる。
燃えた姫の天幕から公子の天幕に姫が移ったのだった。
法皇の雷電への恐れは両軍の争う気持ちを萎えさせて、お互いに協力をする気にさせていた。
天幕の中には姫と領主の他にそれぞれの将軍が一緒にいた。
甲冑を着た彼らも、今起きた出来事の恐怖を覚えたのか青い顔をしていた。
「いや、誰も近づかないで」
可憐な姫の声は恐怖に震えていた。
「誰?怖いよ」
低い声が甘えるように響く。公子の声だ。だが、しかし。
「姫と公子は恐怖のあまり、子供返りをしてしまいまして」
姫の将軍は心底困っている。
「お互いにああやって離れないのです」
公子の将軍がため息をつく。
姫と公子は慰めあうように手を取り合っていた。
「大丈夫?大丈夫?」
「平気よね」
頭をくっつけあって言い合っている。傍からみれば、いちゃつく恋人同士にしか見えない。
舌っ足らずの口調を除けば。
「いやあ、そういう趣向に見えなくもないな」
「どういう趣向だ」
勇者の言にすかさず突っ込みをいれる賢者。
「実は他の騎士や兵士達にも子供返りをしているものが何人かおります」
言い出したのは姫の将軍。
「精神魔法ですね」
「そうですわ」
賢者が聖女に確かめる。
「なんか知らんけど、あの時、雷電の近くにいた奴らは子供返りをしてるってことか」
勇者は髪の毛をかき回した。
「いえ、そうではないのです。この天幕に出入りした者たちが次々と。私も、この天幕に入ってから、子供まではいきませんが、なんだか騎士見習いの時の気持ちになっています」
姫の将軍が困ったように言った。
「何?貴公もか。私は叙勲を受けたばかりの頃になっておる」
公子の将軍が驚きと疑いの混じった声をだした。
「姫と公子の魔法が伝播しているのです。恐怖を感じ、神を畏敬する気持ちが精神魔法となっています」
賢者は魔法の流れを読み取って、そう結論づけた。
「でも、なんで子供返りをしてるんだ?」
「お二人が心から神を畏敬していた頃の年齢に戻っているのですわ」
聖女の言葉に勇者が低く唸った。
「早めに何とかしましょう」
このまま大勢が幼児化なんて目も当てれない。
むさくるしい男たちが幼児言葉を使うのを想像して賢者は恐怖する。
「奇跡の剣の力で払えませんか」
「一応、試すか」
すらりと勇者は剣を抜き、凪払うようにして振るう。
勇者の魔を払う力が天幕を満たしていく。
しかし、姫と公子の顔には怯えが残っている。
「やっぱりな。奇跡の剣って自分が心底望まんと起きないんだ。だから、極限状態だと起こりやすいんだが」
おこちゃま相手に振るっても、気分が乗らなくて奇跡とまではいかなかったらしい。
「使えませんね」
「ひどい、そこまで冷たく言わなくても」とすねた口調の勇者は放っておく。
「他の方は法皇様の魔法をまともに受けたわけではないですから、お二人と離してしまえば徐々に戻りますわ」
何とか姫と公子に近づこうとしていた聖女が振り返った。
その隙に姫と公子が「やだ、あっち、行け」とか小さく言っていた。
「お姉さんは怖くないわよー」
嘘だ、怒らせると、とても怖い。滅多なことで怒らないだけだ。
「とりあえず、魔法を遮る壁をお二人の周りに施しました。これで他の方への影響は無くなるはずです。後はどうやってお二人を元に戻すかですが」
賢者が思案し始めると、二人の将軍が切り出した。
「元に戻さなければいけないんですか?」
「はい?」
「いえ、元に戻したら、早晩また諍いが起きると思いまして」
「別に我々も、好んで戦をしたいわけではなくて」
「このままでもいいかと」
「お二人ともちょっと楽しそうですし」
勇者の力で少しは回復したのか、姫と公子の会話は少し違ってきていた。
「大丈夫、僕がいるから」
「ほんと?私はいつも独りぼっちで寂しいの」
「一緒にいるよ。君が僕を裏切らないなら」
「もちろんよ」
「僕も君を信じるよ」
姫と公子は手を繋ぎあっている。
「楽しいのか?」
「聖女は楽しそうですよ?」
聖女は手を伸ばしては二人がビクリとすると、手を戻す動作を繰り返していた。
賢者達の目にはそう見えなくても、聖女の目には二人が子供に見えているのかもしれない。
聖女の顔は子供を脅かして面白がる大人の顔だ。
「聖女、むやみに人を脅かすのはおやめなさい」
「脅してはいませんわ。遊んでいるだけです。それに」
再び、賢者達へ振り向く聖女を姫と公子が、えいやとばかりに抱きついて聖女が倒れる。
倒された聖女が「やられたー」といって気絶するふりをした。
「やったー」
「やりましたわ」
二人は喜びの声をあげた。
しかし、動かない聖女を見て今度は心配になったのだろう、「大丈夫かな」と言い出した。
「平気?」「怪我をしたの?」
跪いて聖女に声を掛ける。ゆっくりと聖女が起き、「大丈夫です。あなた方は勇敢で、そして本当はとても優しいのですね」と言った。
姫と公子はお互いを見合って嬉しそうに笑った。
「こうやって人と触れ合うことで、回復していくはずですわ」
起き上がった聖女が賢者と勇者に言った。
◇
高慢な姫がいた。
心に孤独という枷をつけた。
傲慢な公子がいた。
心に不信という重荷を持った。
孤独と不信がぶつかり合い、まさに戦とならん時、天にから落ちた雷で、魔の力に姫と公子は捕らわれた。
されど、勇者の一行が、かの魔を払い、二人を救った。
奇跡は、姫と公子を結び付け、謙虚と自戒、親愛と信頼を二人に与えた。
「まさか二か月の長逗留になるとは思わなかったな」
勇者が大きく伸びをした。
「心に影響する魔法は複雑ですから」
賢者は肩をすくめる。
「他の方にも影響するので、賢者が遮断魔法の掛け直しをしなくてなりませんでしたもの」
「公子を筆頭に皆、勇者に、鍛えてくださいと纏わりついて、せがんでましたしね」
「お前だってお抱え魔術師に追っかけ回されてただろう?」
「聖女が姫や侍女それに騎士たちに追い回されていたほどではありませんよ」
聖女は皆に人気だった。
「女性に追い回されていたのは、勇者と賢者じゃありません?」
「勇者は追い回していた方かと」
「あら、そうですの?」
「女性を褒めるのは礼儀だろ」
「私はあまり褒められたことがありませんわ」
「勇者があなたを褒めないのは、非の打ちどころがないからですよ」
「ぜってー俺より、賢者の方が女の敵だと思う」
「何か言いましたか?」
「いーえ、何にも」
三人でこんな軽口を叩くのも久しぶりだ。姫と公子の客でいる間は、誰かしら傍にいたから。
「自由ってのはやっぱりいいなー」
嬉し気にあたりを見回す勇者に、賢者と聖女は大きく頷いた。