賢者と聖女と勇者な彼と猜疑の魔人
疑うなってほうが無理。
と彼は笑った。
彼は金持ちだった。
体格にも恵まれ、なかなかの好男子。
女が途切れたことはない。
妻をもらうまで。
美しい女だった。赤みを帯びたストロベリーブロンド。
清楚で愛想よく、人をそらさない。
男は彼女に夢中になり、彼女も彼に応えた。
結婚を機に彼は女遊びを止めた。
やがて妻が身籠り、息子が生まれる。
幸せの絶頂。
しかし、そこから彼は突き落とされる。息子が成長するにつれて、自分に全く似ていないことに気がついて。
男は荒れた。酒と女の日々。
ある時、馴染みになった女が言った。
「貴方のためなら死んでもいい」
「なら、やってみろよ」
男は今いる宿の窓から飛び降りてみろといい放つ。
ここは二階だ。死ぬかどうかは分からないが、大きな怪我をするのは目に見えている。
「やだ、何言って……」
死んでもいいと言った口から否定の言葉がこぼれ落ちた。
男は女を窓に引きずっていく。
女の悲鳴が鳴り響く。
自分でも驚くほどの力が出る。
「ここから落ちたら、金貨を十枚やるよ」
男は窓を開け放って、女を無造作に突き落とした。
「で、それ以来、月に一度、この人に金を払って突き落としているわけですか」
賢者は魔人に成りかけた目の前の男の話しにやれやれと肩をすくめた。
隣には先ほど降ってきた女をなんなく受け止めた勇者が立っている。
腕に女を抱えたまま。
女は顔を赤く染めて勇者を見つめていた。
その様子を見て、魔人に成りかけていた男は女に嘲けりの笑いを浴びせる。
「重くないですか、勇者様」
「君は羽のように軽い。いつまでも抱き抱えていられるさ」
「まあ」
「本当だよ。それに君は良い匂いがするね」
ベヒモスを投げ出す腕力がある勇者だ。女の一人や二人、抱え続けるなど朝飯前だ。
賢者は、勇者が自分と聖女を両脇に抱えて、崖から飛び降りたことを思い出して遠い目になる。
あの時は死ぬかと思った。
「大丈夫ですよ。死んでも私の魔法で生き返らせてあげます」
聖女が事も無げに言ったが、賢者は知っている。
蘇りの魔法を使われたものは術者と魂が強力に結びつけられるのだ。
旅が終わった後も天然聖女の面倒をみるなど真っ平御免だ。
「良い匂いがするのはここかな?ここかな?」
魔人未満と賢者の存在を無視して、勇者は女の匂いを嗅ぐマネをする。
このスケこ○しめ!
抑制剤の聖女がいないのでいつもよりヒドイ。
「これだから女なんて信用出来ない」
魔人未満の台詞が部屋に空しく広がる。
その意見には、少しばかり同意したくなる気持ちもないではないが。
「だからといって、窓から突き落とすのはやり過ぎでしょう」
「俺のためなら死んでもいいと言ったのは、あいつの方だ。それに死んでないし」
男はやっと勇者の腕から降りた女に顎をしゃくった。
「彼女は風の魔法の心得がありますからね。それで落下をコントロールしてました」
賢者が女の方を見て言った。
バレたかと云うように女は肩をすくめた。
「え、そうなの?じゃ、俺がダッシュして、格好良くこの人を受け止めたのは」
「ええ、全く必要ありませんでした」
だから、賢者は落ちてくる女を見ても魔法を使わなかった。
「ヒドイ、詐欺だ。今まで渡した金貨を返せ」
男は今度はわめきたてる。
「私は正当なお金をもらっただけよ」
女が嘯いた。
まあ、おおむね女が正しい。
「この」
男が女に詰め寄った。勇者が素早く前に出て、女を庇う。
睨み合う二人。
勇者と半ば魔神と化した男が戦えばこの宿は半壊する。
そうしたら、勇者と聖女は宿の再建費を出すと言い出すだろう。
それだけは避けたい。
「賢者ー、連れて来たましたわー」
一触即発の空気も読まずに割って入る能天気な声。
助かった。久々に聖女が聖女に見える。
聖女が連れて来たのは、幼い子供。
その子を見るなり、男が震えだして、顔が醜く歪む。
「なんで、そいつをここに連れて来た!」
子供は男の息子だった。自分にも妻にも似ていない子供。
男の怒鳴り声に子供は怯えて、彼女を呼んだ。
「お母さん!!!」
勇者の後ろにいた女が子供に駆け寄った。
「えっ?」
男は事の成り行きに付いていけずに女と子供を交互に見た。
「ご紹介が必要ですか?こちらは貴方の奥方、……さんですよ」
賢者は思い切り勿体振った声をだした。
聖女はニコニコと笑い、勇者は今にも吹き出しそうだ。
「こいつが妻?だって顔が全く違う。髪の色だって。言っちゃなんだが、妻は美人だ」
男の言う通り女は特徴のない、いたって平凡な顔をしている。
「こちらが、素顔の奥方です。貴方は今まで化粧を落とした奥方の顔を見たことがありましたか?」
賢者の言葉に男ははっとなった。
子供を抱き寄せて男を見つめている女の顔立ちは、地味ではあるが、バランスが取れていた。
「でも、髪は?あのストロベリーブロンドの髪は?」
男はそれでも抵抗を試みる。
「答えはこれですわ」
聖女がどこから取り出したのか、帽子と水の入った瓶を見せびらかした。
帽子といっても、天辺はまあるく穴が空いていた。
「そして、これもです」
聖女は瓶を降り、男に向かって口を開けた。
泡となった炭酸水が男に降り注ぐ。
……通常より、勢いがいい。魔法を使ってるだろ、これ。
賢者が聖女に視線をやると、相手は目だけ微笑んでみせた。
「炭酸水で髪を洗って、乾く前にこの帽子を被ってお日さまに髪をさらします。すると、あら、不思議。栗色の髪は赤みを帯びた金髪になりまーす」
賢者は、女に魔法を施す。
髪の色を抜き、目につけ睫毛、瞼に影を入れ、白粉をはたき、唇に紅をはく。
旅の途中で、たまに貴族の館に招かれることがある。
その時、聖女に化粧を施すために習得した魔法である。
……たまに、この魔法を使って日銭を稼ぐこともある。
賢者なのに。
いや、賢者ゆえに魔法は完璧。
地味な女は消えさり、まばゆい美女か現れた。
「詐欺だ……」
男の声に力はない。
「詐欺じゃなくて努力ですぅ」
聖女はちょっぴり口を尖らせた。
「解った。そいつが、この女の子供だってのは認めよう。だが、いい機会だ。お前も俺を騙してたんだと認めろ」
他の男の子供を生んだんだろ。
男は最後まで言わなかった。子供が目の前にいるから。赤子の頃は心底可愛がった息子。
ここいらが男が完全に魔人落ちしない要因か。
賢者は推察する。女を落とす時にも男は無意識に、彼女に身体強化の魔法かけていた。
「確かに私は、盛って盛って、貴方に近づいたし、貴方が家を出たあとは名前を教えず近づいたけれど、誓って私が愛したのは貴方一人」
「だが、似ていないじゃないか」
男は子供から視線を反らした。
「似てますよ」
「似てますわよね」
「間違いなく似てるだろ」
賢者と聖女と勇者な彼は口々に男と子供が似ていると断言する。
「どこがだ」
「「「耳の形」」」
男は自分の耳を掴んだ。立派な福耳だった。
子供は、やはり福耳だった。
「昔から、男の子は母親に似るって言うだろ」
今までほとんど空気だった勇者が男に向かって話しかけた。
「でも、だけど、あいつは俺に嘘をついて、金貨を受け取ってたし」
「それは私とこの子の生活費に当てました」
女が冷静な口調で言った。
「そういうことだ。それに、女のかわいい嘘を黙って受けとめてやるのが、男の甲斐性だろ」
勇者は男の肩を軽く叩く。
賢者はそれが相手の魔を払うための行為だと解った。
「あとは、二人、いや、三人でよく話しな」
「勇者様、ありがとうございました」
女が部屋を出て行こうとする勇者の背中に礼を言った。
勇者は振り向かず軽く手をあげて、それに答えた。
部屋を出ていく三人の耳にぎこちなく謝る男の声が届いた。
「上手くいきますかね、あの二人」
「上手くいって欲しいですわ。お子様のためにも」
「絶対、上手くいくだろ、あの二人なら」
「根拠は?」
「化粧を落とした顔でも奥方に惹かれたんだ。だから、彼女も男を見棄てなかった」
勇者は断言した。彼が言うなら大丈夫だろう。
「しかし、女性の化粧の技術はすごいな。……聖女も何か盛ってる?」
命知らずの勇者らしい質問だった。
「わたくし、何も持っていません」
天然なのか、誤魔化したのかわからない聖女の返事。
賢者は知っている。
聖女は少し、寄せて上げているってことを。
たが、女の他愛のない嘘は知らん顔をするべきなのだ。
猜疑の魔人になりたくなければ。
男の子が母親に似るというのは、遺伝子的に根拠があるとことだそうです。
それをもとに書いてみました。