魔物の卵
小さな椅子に座り、インベントリから卵が入った箱を取り出す。
目の前にあるテーブルに置き、卵を孵化させる準備に入った。
しかし、ふと気になることが頭をよぎり、俺の手をぴたりと止めた。
孵化させるには、魔物の卵に魔力を込めればいいだけだ。
あとは自然に卵から魔物が孵ると言われている。
……だがもし、魔力じゃない力を込めた場合はどうなるんだろうか。
孵化することなくだめになってしまう可能性も考えられるが、魔力を込める必要性が必ずしもあるとは思えない。
「……試して……みるか……」
静かに呟くと、卵を両手で覆うようにして力を込める。
小さく、丁寧に、何よりも優しく力を送り込んだ。
懐かしい家族の顔を思い起こし、余韻に浸る。
だが次の瞬間、深い亀裂が卵に入り、心臓が飛び跳ねた。
大地の裂け目のような傷跡は次第に卵全体へと向かう。
まるで俺の力が侵食していくように、確実に爪痕を残していく。
ヒビが卵全体を覆い尽くすまで、そう時間はかからなかった。
卵の上部から灰のようにぼろぼろと崩れていく殻を見ながら、余計なことをするべきじゃなかったと後悔するも、さすがにもう遅すぎたようだ。
「…………ん? なんだ、この灰色は……」
徐々に卵の下部まで灰となる様子を見続けていた俺は、中央に何か丸いものが固まっていることに気がつく。
「……これは、まさか……」
恐る恐る指で触れると、温もりを感じた。
少しだけ撫でた瞬間、丸いものは声をあげた。
「ピィッ! ピィッ! ピィッ!」
その声に安堵のため息が出た。
どうやら無事に産まれてくれたようだ。
余計なことはするべきじゃないな。
さすがに本気で焦った。
一息ついて、可愛らしく産声を上げる子を観察する。
ふわふわな灰色の産毛、すらりと短めに伸びた黒色のくちばし。
ひらひらと羽ばたいていけるような翼……とは少し違うな。
……これは、いわゆるフリッパーと呼ばれているものだろうか。
産まれたばかりで開かない瞳がさらに可愛かった。
腹部は白色で、いかにもあの動物を連想させる。
形状から察すると、これはペンギンの魔物なのか?
子供の頃に一度だけ水族館でヒナを見たことがある。
その時の子と似ている気がするが、生まれたてで瞳の上に黄色い模様があるな。
キマユか?
いや、ヒナで眉が黄色いのか俺には分からない。
そもそも魔物の子なんだから、必ずしも動物と同じだとは限らないか。
だが、どこか安心している俺がいる。
この子はまったく問題のない、とても大人しい子だと直感した。
インベントリから取り出したタオルに優しく包み、濡れている体を拭く。
ものすごく嫌がっているのはわかるが、このままじゃ風邪を引くかもしれない。
小さな命の重さを手のひらに感じ取り、思わず頬が緩んでしまう。
俺よりもペンギン好きがいるんだが、逢わせてやりたかったな。
そんなことを考える前に、名前を決めてあげないと可哀想か。
何がいいかと考えていると、俺の手のひらをベッドにして眠っていた。
いつの間にかタオルから抜け出していたが、このままで大丈夫なんだろうか。
手のひらの方は無理だが、念のため反対側を拭いておくか。
さて、名前。
名前か。
……そうだな。
静かに寝息を立てる子の体を指の腹で優しく撫でながら、俺は思いを馳せる。
この子であれば、町に向かうことも問題ないと思えたからだ。
たとえ魔物であろうと、ペンギンである以上は大きさに制限があるはず。
街門守護者もこの子であれば通してくれるだろうとも思えた。
なら、この子がある程度大きくなったら、一度ラーラに逢いにいこう。
缶詰生活をしているだろうし、何よりも産まれたこの子を見てもらいたい。
でもまずは、この子に名前を付けてあげないとな。
「ゆっくりでいい。
丈夫な子になろうな、フラヴィ」
すやすやと眠る子を見ながら、この子が優しい子に育てばいいなと俺は思う。
不思議な話だが、この子が乱暴な子になるとはまったく思えなかった。
大丈夫だ。
きっと優しい子に育つだろう。
そんな予感が俺にはあった。