どこか抜けてるのね
避難通路から断崖の外へと出ると、辺りはすでに日が暮れていた。
眩いばかりの輝きを見せる美しい星々を見上げながら、今日のことを思い返す。
本当にたくさんのことが起こった日だった。
悪いほうへ話が向かわなかったのは良かったし、オリヴィアの姿を無事に戻せたのは重畳だ。
髪の色だけは変化があったが、特に悪影響もなさそうに思えた。
「靴の履き心地はどうだ?
締め付けるような痛みはないか?」
「はい、大丈夫ですよ。
しばらくは"慣れ"が必要ですが……」
そう答えたオリヴィアだが、さすがに裸足のまま歩かせるわけにもいかない。
そんな状態で町を歩けば町人にいらぬ誤解を与えかねないどころか、最悪の場合は憲兵に通報されることも考えられる。
できれば靴は履いてほしいところだな。
「履きなれない感触に我も初めは戸惑ったものだ。
その感覚に慣れるまでは随分とかかるやもしれぬぞ」
「私も慣れたのはかなり先でしたね。
でも次第に違和感はなくなっていくと思いますよ」
「なるほど。
おふたりはこの不思議な感覚に慣れたのですね」
"裸足勢"が妙なところで意気投合し始めた……。
悪いことじゃないんだが、会話の内容には突っ込みたくなるな。
今は馬車に乗っているからそれほど影響はないだろうけど、町で食べ歩きでもしながら慣れてもらうか。
街道とも言えない場所を馬に進ませていると、アンジェリーヌは思い出したように話した。
「私が目覚めた時にいた部屋は、数百年の時を感じさせないほど綺麗だったわね」
「まぁ、あれじゃないか?
『姫様を汚らしい場所に寝かすわけにはいかない』なんて理由で、あいつが掃除でもしたんだろ」
「アンデッドの姿でお洗濯とかお掃除をしたのね。
想像するとなんだかとてもシュールで面白いわ」
夜の空に溶けていくようにアンジェリーヌは笑い声をあげた。
ひとしきり笑うと、彼女は空を見上げながら小さく呟いた。
「…………ほんと……ばかね……。
その忠誠心は、私に向けるべきものじゃない。
自分を大切に想ってくれる人にだけ、向ければいいのにね……。
……そういうところが、どこか抜けてるのね……きっと……」
とても悲しそうな声色で彼女は言葉にした。
その想いは彼に伝わることはないだろう。
それでも、伝えてやりたいと思える俺がいた。
本当に、不器用なやつだよ。
不器用で素直じゃなくて、どこか融通が利かない。
でも何よりも、誰よりも優しい人だったんだろうな。
俺にはよく分かる気がするよ。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「……彼は、天国に……逝けたのかな?」
難しい質問を投げかけられた。
正解を答えられるほどの知識はない。
「……どうだろうな。
アンデッドってのは本来、悪しきものって扱いなんだろ?」
「……そうね。
それでも私は、きっと無事に逝くことができて、大切な人に逢えたと思えるの。
恐ろしいアンデッドと人から呼ばれる存在でも、彼はとても"いい人"だもの。
私には彼の行く先を知ることは生涯ないでしょうけど、不思議とそう思えたの」
美しく澄んだ瞳で彼女は答えた。
正しいことなんて俺にも分からないけど、これだけは言えると思えた。
「なら、大丈夫だろ。
あいつの性格じゃ、今ごろ主人に振り回されてそうだけどな」
「私を強引にさらったことも、きっと怒られてるわね」
とても楽しそうに笑いながら、アンジェリーヌは涙する。
初めは強引に連れ去り、怒りすら覚えていた存在を愛おしく想いながら。
とめどなく溢れる涙を拭うことなく流し続けた。
"生まれ変わりであったとしても、まったく別の波長をする"
ラーラさんは俺たちにそう考えていると話した。
これはあくまでも彼女の推察だし、それが正しいとは限らない。
もしかしたらそれが正しいのかもしれないが、答えだとも言い切れなかった。
その推察が正しいのであれば、彼はなぜ数百年後の未来で目覚めたのだろうか。
そんな途方もないと感じるほどの時が流れ、それでもアンジェリーヌがあいつの仕えた主人だと判断したのはなぜなんだ。
なぜ町にいる彼女を、遠く離れたローゼンシュティールから見つけられたのか。
……それは、答えを聞かなくとも分かることだと俺には思えた。
"人の命は巡り廻るもの"
そう考えられるのは俺が日本人だからなのかもしれないが、笑顔で涙を流しながら星空を見上げる彼女がそれを物語っている気がした。