それでも私は
……アンジェリーク様の仰る通りだ。
私はただ、静かに暮らしたいだけだった。
何事も起こらない日常を、この方の傍で……。
すべてが崩壊したあの日を忘れて、私は平穏な日々を生きてもいいのか……。
……いや、そうじゃないな。
私たちは"そうあること"を許していただけたんだと思いたい。
もしそうでないのなら、違った形で結末を迎えるだろう。
それまでのひと時を、大切なひとと故郷で暮らしたいと思えた。
「決まったようね」
「はい。
優柔不断で申し訳ございません」
「慣れてるわ。
それよりも、あの子は元気にしてた?」
「はい。
ヴィクトアールはずっと、あなた様の傍におりました」
「そんな心配はしていないわ。
あの子にとって私は必要だし、私にとってもかけがえのない子なの。
たかだか1000年以上離れた程度で消える絆なんて持ち合わせていないわ。
私が心配しているのは、骸骨騎士に恐怖を抱いたんじゃないのかってことよ」
虚を突かれ、表情が凍り付いた。
そんな私にため息をついた姫様は、呆れながらも言葉にした。
「……歳月を重ねたところで過保護なのは治らないみたいね。
とりあえずこっちにもいるのだから、謝っておきなさい」
「ぽかんとする彼女の顔が目に浮かぶのですが……」
「あら、けじめは大切よ。
あなたのためにね」
「……やはり、あなたはアンジェリーク様なのですね」
なんとも"らしさ"が溢れていた。
そんなあなただからこそ護りたかったのだと心から思えて、胸が苦しくなった。
「妙なことを聞くのね?
正確に言えば、あなたの目の前にいる私は私ではないわ。
あるべき魂はもう転生し、未来の私に受け継がれているもの。
それでも私は私であって、それ以上でも以下でもない」
……哲学的なことを仰る……。
だが、その意味は分からないでもない。
ならば姫様は姫様だ。
私にはもうそれで十分すぎるほど幸福を感じる。
「それで?」
「……ぇ?」
不意に話を振られ、普段は出ないような声が出た。
一瞬、何を言っているのか分からなかったが、続く姫様の言葉も私には理解できずにいた。
「まだ分からないの?
周りをよく見なさい」
「……大聖堂ですね」
「月日を重ねても、中身はまったく変わらないのね……」
今日はよくため息をつかれる日だ。
あちらの姫様にも呆れられたのを思い出した。
「私が言いたいのはね、ここが大聖堂で、ここには私たちしかいないの。
1000年も待った私に、何か言うべきことはないのかしらと言いたいのよ」
そういえば、前にも似たようなことがあった気がする。
大体は姫様の気まぐれだったと記憶しているが、今回も同じだろうか。
「……申し訳ございません」
「違う」
「……お待たせしました?」
「それも違うわね」
「……魂の分け身とはいえ、1000年も魂が保てるものなのですね」
「あなたが鈍すぎたのを、改めて思い知ったわ……」
まるで魂まで出てしまいそうなほど深くため息をつかれた。
今も理解できずにいる私に、姫様はあきれ果てた様子で言葉にした。
「あの日、交わした"約束"まで忘れたのね。
私はそう言いたかったのよ」
不快感を露にした姫様に私は取り乱す。
「も、申し訳ございません。
ですが、私には皆目見当が……」
そう言葉にすると、大きなため息をつかれた。
どうやら心底あきれ果てているようだ。
「……本当にこんな朴念仁と……大丈夫なのかしら、私は……」
呟いた姫は続けて言葉にする。
もう言葉にしなければ分からないと思われたんだろうか。
「私は、"あの日の答えをまだ聞いていないわ"、と言ってるのよ」
その瞬間、記憶が鮮明に蘇った。
同じ場所に立ちながら、確かに姫様は言葉にした。
それは私の夢であり、願いでもあったこと。
心の底から嬉しかった、幸せを感じた瞬間だ。
しかし、そんな感情を一介の騎士が持つことは許されない。
このお方は一国の姫で、私が護るべき主君。
「国の宝に触れるわけにはいかない、なんてまた答えたら、今度は父様と母様の前に連れ出して同じ質問をするわよ」
……なんて恐ろしいことを言うのだろうか、このお方は……。
陛下も王妃様も、これでもかと瞳を輝かせて見守る姿が目に浮かぶ……。
……でも。
もし私にも、幸せを享受する資格があるのならば、あの時とは違う答えを言葉にしても……許されるのだろうか……。
強欲にも等しいことではあるが……。
それでも……私は……。
そう思えたら、自然と心が軽くなったような気がした。
すべてのしがらみを忘れて幸せになりたかったのは、私だったのか……。
敵のいないこの場所であれば、剣を置くことだってできるかもしれない。
「……いつもの瞳に戻ったわね」
「アンジェリーク様」
「何かしら」
私は、あなたと共にいたい。
これから先、どれだけの時間が私に残されているのかは分からない。
それでも私は、アンジェリーク様と同じ時を共有できたらと心から思うのです。
だから――
「私と結婚してください」
跪きながら、私は幼き日の約束を叶えるために手を伸ばす。
こんな無骨者を、気の遠くなるほど待たせてしまった上に大切なあの日の約束すら忘れていた愚か者を、それでもあなたは赦してくださいますか?
「……ばかね、ほんとうに……。
私があなたの想いを断るわけがないでしょう?」
そう言葉にしたアンジェリーク様は、満面の笑みで私の手を取ってくださった。




