どれだけ待たせれば
微睡むような混濁した意識の中、自分が辿ってきた道を考えていた。
もっとこうしておけば、ああしていれば。
そう思ったところで結末が変わることはない。
……私は負けたのだ。
武力にも屈し、大切なものを護り通すこともできずに骸となって動き出した。
これのなんと醜く、無様なことだろうか。
あの時、たくさんの声が聞こえていた。
沈みゆく意識へ降り注ぐ雨のように、止むことなく聞こえていた。
悲鳴も、嘆きも、怒りも、恐怖も。
私が作り出してしまった。
すべては私が弱いからだ。
誰よりも強ければ護れたはずだと思えてならなかった。
……私は間違えていたのか。
どこから道を違えてしまったのか。
ふいに父の言葉を思い出した。
『あの方がアンジェリーク様だ。
これからお前は、あの方のために身命を捧げなさい』
庭園に置かれたベンチへ腰をかけながら、厚い本を読む幼い少女が視界に映る。
何と美しい子なのだろうかと素直に思えた。
気品の中に強さをはっきりと感じさせた。
あの方のためならばと、子供心に忠誠心が芽生えた日だった。
それが習い事から逃げ、好きな本を読んでいたのだと知った時はどう反応していいのかも分からずに困惑することになるが、初めて会った印象は何百年経とうとも変わることがない。
ひと目会ったその瞬間から、私はあの方のために身命を捧げようと思――
「――いい加減に起きなさい!」
青空のように澄み渡る声が耳に届いた。
私は覚醒するように意識をそちらに向けた。
「……アンジェリーク様……」
「ようやく起きたわね。
いったいどれだけ待たせれば気が済むのかしら」
「……ここは……」
……大聖堂?
しかし、時間による傷みがまったくなかった。
……では、私がこれまで見ていたものは……。
「夢じゃないわよ。
まだ意識が混濁してるみたいね」
確かに大聖堂だ。
どんなに見回しても変化を感じない。
……それに。
「私は、確か……アンデッドに……」
「そうね、中々の強面だったわ。
普段のあなたからは想像すらできないほどの。
あれでは折角の優しい顔が台無しよ」
くすくすと美しい顔で笑われた。
しかし、同時に疑問があふれてきた。
だとすれば、ここはいったい……。
「……死者の国、でしょうか?」
「少し違うらしいわね。
人が亡くなると訪れる場所ではなく、ここは女神様があなたのために用意してくださった特別な世界。
何百年と闇に囚われたあなたの魂に報いるために創造した世界だと聞いたわ。
それと私だけじゃなく、ローゼンシュティールの人たちもいるの」
……私が骨として歩いていた記憶は間違いではなく、死者の世界でもない。
ということは、今こうして笑顔を見せている美しい人は……。
「……アンジェリーク様は……もう……」
「記憶と意識はあるけれど、厳密に言えば違うでしょうね。
私たちの魂は随分前に"新たな生命"として循環されているらしいわ。
だからこそ私の生まれ変わりを現実世界で見つけられたんでしょう?」
言葉に詰まる。
なんと返していいのか分らなかった。
「……私は、人外へと成り果てたのだから、あの方の下へは、行けないのか……」
「それも違うわね。
細かいことまでは理解していないけれど、私を含めたローゼンシュティールの人たちは一方的な悪意に飲み込まれたわけだから、女神様が救済してくださったのだと私は考えているわ。
この世界にいるあなた以外の住民は"魂の分け身"と呼ばれ、本来の魂から記憶や経験を持って作り直された存在だと説明を受けたの。
本来はすべてを浄化させて新たな命へと生まれ変わるところを、"別の形"として具現化してもらえたみたいね。
平たく言えば、あなたの本来持っていた時間を、この世界で幸せに暮らせるの。
それを全うすると、私たちや世界も消えるようになっているそうよ。
あなたは新しい命へと生まれ変わり、私とあなたが心から望むのならまた惹かれ合うようにしてもらえると聞いたわ」
本来持っていた時間をこの世界で幸せに暮らす?
もう一度あなたと逢えるように惹かれ合う?
その言葉の真意に気付けず、私は目を丸くしたまま固まった。