向こう側
美しい。
その一言に尽きる。
荘厳な造りや繊細で上品な装飾から察するに、かつては訪れる人も多かっただろうことは想像に難くない。
暖かな西日が降り注ぐように差し込む大聖堂はとても神々しく、今にも天使や女神が降臨してきそうなほどの別世界に見えた。
入ってきた場所を確認するように視線を向ける。
どうやら何もない石壁の奥が外へと繋がっていたようだ。
こちらから見てもまったく分からない仕掛けだった。
なぜこんな造りになっているのか。
その意図を考えながら視線を戻すと、感嘆のためいきをつきながらリゼットは言葉にした。
「とても美しく、立派な大聖堂ですね。
石灰岩とも違うようですが、この周辺特有の石材なのでしょうか。
彫刻や細工、天井画などを見ても今とは随分と違う印象ですね。
約730年前に滅んだイェルザレム王朝よりも時代が古いと思われます」
それはかつてこの国が自由都市同盟と呼ばれる以前の王朝だと、リゼットは教えてくれた。
血で血を洗う泥沼化した大戦争を経て、いくつもの国々が互いの無益な戦いに終止符を打ち、ようやく手を取り合ったのが起源らしいが、それは言葉にすると夜が明けてしまうほど大変な時代だったと伝えられているそうだ。
敗戦すれば属国どころでは収まらない。
最悪の場合は滅ぼされるだろうが、その痕跡も俺には見つけられなかったほどに保存状態がとてもよかった。
「大聖堂内に争いの痕跡が感じられない点から察すると、女神ステファニアを信仰していたのだと推察できます。
もっとも、圧倒的とも思えるほどの美しさを誇るのですから、危険思想を持つような宗教だったとは思いませんが、大聖堂の造りから我々の知る国々とは違う文化を持っていたのは明らかでしょうね」
「ということは、現代でも未発見の場所になるのか?」
「そうなると思います。
私はこの周辺に教会があるとは聞いたことがありません。
進んだ距離を考えれば、ここは断崖の向こう側なのではないでしょうか」
断崖の先、か。
確かにそう思えるほど随分と歩いた。
もしそうであれば、調査隊も入れない場所になる。
ここにはワイバーンを始めとした飛翔する魔物が多いと聞く。
となれば、現代でも未発見だと言われても納得できた。
だとすれば、光が差し込む大聖堂を魔物が襲撃されない点は気になる。
空からの奇襲に対して無防備としか思えないのだから、建造物を空へ伸ばすように建てるのはおかしいし、これだけ美しさを保っていることも不可能だと思えた。
現実的に考えれば地下に造れば済む話だが、何か秘密があるのかもしれないな。
たとえば魔物を寄せ付けないようなもの、魔道具などが考えられるだろうか。
アーティファクトの製造は人に不可能と言われているが、それは現代の話だ。
それに近い性能のレジェンダリーくらいは作られていても何ら不思議ではない。
俺の推察通りであるなら、恐らくは……。
いや、断崖の先を調査するために来たわけじゃない。
さらわれたアンジェリーヌを救出することが目的なのを見失うな。
「ともかく、正面と思われる扉の先へ行こう。
ここなら馬車も安全に置いていけるはずだ」
「ふむ。
襲撃の危険性がない根拠があるのだな」
「勘になるが、敵の目的は別にあるみたいだからな」
それがアンジェリーヌなのか、誘い出そうとしている俺たちのかは分からない。
だが少なくとも馬車が狙われることはないと、どこか確信じみた何かを感じた。
水を張った大きめの桶と飼い葉を用意する。
さすがに馬具を外すと俺たちを追いかける可能性もあるからできないが、戦いの痕跡がないこの大聖堂なら安全だと思えた。
スケルトンに馬車が狙われる意味も思い当たらない。
足を奪ったとしても、フュルステンベルクから4日と離れていないからな。
先ほど感じた別の可能性がより現実味を帯びたが、それでも言葉にはできない。
確信を得るまでは沈黙するべきなんだが、相手との会話が成立するのかも分からない以上、罠を警戒しながら先を目指す選択しか俺たちには選べなかった。
巨大にも思える豪華な扉に力を込めると、重々しい音を立てながら開かれた。