覚悟の話
遅れて異変に気付くディートリヒ。
瞬時に木に身を隠し、無言で合図を送ってきた。
冒険者のサインは分からなくとも、その意味くらいは理解できる。
同じように行動して悪意を放つものを確認する。
見た目は大きめの子供。
だが、明らかに異質な存在。
少ない知識から導き出したのは、ゴブリンという単語だった。
それが正しいのかは分からない。
唯一確信できるものは、剥き出しの悪意を感じることだ。
"敵"だ。
それは間違いないだろう。
木に隠れながら視線をディートリヒに向けると、やはりというべきか彼は驚いているようだ。
俺がいち早く敵に気が付いたことに驚くのも当然だろう。
さてどうするかと考えていると、彼は小声で話しかけてきた。
「俺が戦うから、トーヤはここで待ってろ」
「いえ、俺に戦わせてくれませんか?」
目を丸くするディートリヒ。
まぁ、そんな反応になるよなと思いつつも、しっかりと瞳で意思表示する。
しばらく考え込んでいたが、彼は答えた。
「大丈夫なのか? いや、それ以前に3匹同時に相手するのは、この世界に来たばかりのトーヤには流石に厳しいと思うんだが」
「問題ないと思います。
見た目や気配と違い、化物じみた能力を隠し持っているなら話は別ですが」
「それはないな。あいつらはゴブリンだ。レベルは高くても2ってところだろう」
レベルの概念が敵にもあるのか。
いや、現状でそれを気にする必要はないな。
やはり色々と勉強しなければならない。
「話し合いが通じる相手だとも思えません。ここで倒した方がいいんですよね?」
「あぁ。あれら魔物は、この世界じゃ倒すべき存在って認識でいいぞ。
話も聞かんし言葉も通じない。そういったスキルがあるって話も聞かないな。
人が育てた魔物じゃなければこちらを襲うからな。特にゴブリンはここいらの食料だけじゃなく鹿や猪とかも喰うから、討伐対象にするギルドも多いんだ」
興味深い話を聞いた。
だがまずはゴブリンを倒さないとな。
「なるほど。実戦経験を積むには申し分ないですね。遠慮なく倒します」
「た、確かにそうなんだが……本当に大丈夫なのか?」
「ああいうのが普通に闊歩している世界、なんですよね?」
「街以外はそうだな。こういった場所には魔物がいるのは一般的だ。
まぁ、熊とかもいるから、一概に魔物だけが危険だとは言えないんだが」
危険動物もいるのか。
毒蛇とかにも気をつけないといけないな。
魔物と動物が一緒に存在するのには違和感を感じるが。
だがそれも、現状で気にすることじゃないな。
まずは、必要なことをひとつずつ学んでいくか。
「あのゴブリンどもは俺がひとりで倒します。
この世界で生きていくのに危険になる"甘さ"を捨てるために、単独で相手をさせて下さい」
「甘さを捨てるため、か。
……分かった。トーヤに任せる。
こいつを使え。重すぎるならダガーもあるが?」
「……これなら扱えそうですね。少しお借りします」
剣を受け取り重さを確かめていると、彼は含み笑いで言葉にした。
「あとで返せよ? 中々の業物なんだ。
持ってかれたら、一晩中泣きながら酒呑むことになるんだからな?」
「大丈夫です。ちゃんと折らずに返しますよ」
「お、おう……」
冗談を飛ばしながらも借りた剣に意識を向ける。
静かに鞘から刀身を抜くと、重さと重心を確かめるように軽く角度を変えた。
両刃の西洋剣、か。
これは長剣と呼ばれるようなものだろうな。
日本刀よりも少し重く感じるが、1.5kgってところか。
だが、これくらいの重さなら扱えるだろう。
強敵を倒すのなら話は変わるが、ゴブリンくらいなら問題なさそうだ。
何より素人目から見ても、かなり出来のいい剣なのがよく分かる。
名剣とはいかないだろうが、相当高価な物なのは間違いない。
……それにしても、メインで使っている武器をためらいなく渡したな。
普通はこっちじゃなくて、サブ武器のダガーを渡すと思うんだが。
実力に見合った武器をって意味じゃないだろうな。
あの顔は、心配だからいい武器を渡したってことか。
本当にいい人だな、ディートリヒさんは。
なら、安心させる意味も含めて安全に戦うか。
まさか習ったことがこんな意味で役に立つとは思ってなかったな。
状況が違えば必要になる、ということなんだろうか。
……父さんには感謝してもしきれないな。
だが、まずは甘さを捨て、この世界で生きていく"覚悟"を持つ。
そのために人型の敵と対峙するのは都合がいい。
悪いな。
俺が覚悟を持つための糧になってもらうぞ、ゴブリンども。
「本当に大丈夫か? 同時に飛び出すか?」
「いえ、俺ひとりで大丈夫です。
危険だと判断したらこちらに戻るか、助けを呼びます。
ディートリヒさんはここで待機して下さい」
「わかった。気をつけろよ? 危なくなったら必ず助けるからな」
「はい。ありがとうございます」
とは言ったものの、ゴブリンが倒せなければ街の外には出られないだろうな。
ダダ漏れの気配から察するところ、力の抑え方も満足にできない程度の敵だ。
こんなところで躓くようじゃ、先が思いやられる。
当然、気をつけなければならない点も多い。
一番危ないのは、直前で攻撃をためらうことだ。
それは命を分かつほどの危機に繋がる可能性が高い。
そういった意味で都合のいい人型の敵。
最初に斬れるか、それともできないのか。
たったそれだけで今後の進む道が大きく変わる。
ゴブリンを倒せるのか、という単純な話じゃない。
これは覚悟の話。
必要以上に気負うことはない。
だが、町で精神を鍛え直すのはごめんだ。
まずは力を示し、必要なものを手に入れる。
剣を貸してくれたディートリヒさんを安心させたいしな。
折角だ。
できることを実践してみるか。
そんなことを考えながら鞘を木に立てかけ、落ちていた手頃な石を手に取った。