煩わせるな
なんとか間に合ったが、ぎりぎりもいいところだな。
というか全身血みどろで、三途の川を渡ろうとしてたんじゃないか?
だが、"エスポワール"で失った血液を戻せたのは重畳だ。
できなければ結局は失血死していた可能性が高いほどの出血だからな。
なんだろうな、この感覚は。
強く苛立っているように思えた。
……あぁ、そうか。
これもヴィクトルさんが言っていた通りなのか。
その道のプロだとしてもルーナが怪我を負った事実、それもこれほどの重症で命すら危うかった状態にまでされたことに強い憤りを覚えているんだな。
今にも泣き出してしまいそうなほど潤んだ瞳でこちらを見つめる彼女に思うところはあるが、それよりもまずは俺にできることをしよう。
ルーナもそこはしっかりと分けているようだ。
真顔に戻りながら報告をした。
「現状は?」
「下方以外どこからでも攻撃が可能。
空間に歪みが現れて攻撃到達までおよそ0.2秒。
刃に遅効性の毒、発症時間と相手の行動を予測し確実に狙い打つほどの使い手。
身体強化や投擲武器の使用は未確認、木の壁も貫けない腕力。
空間移動後、約50秒間は再使用が難しいと推察」
「……なるほどな。
だいたい分かった」
的確だな。
短期間でそこまで見極めれば対処ができそうなものだが、そんな彼女をもってしても反撃するまでには至らなかったようだ。
遅効性の毒、か。
即効性のものにしておけば早期に片がつくんだが、敵は余程の慎重派らしい。
瞬間的に効く毒は回復されやすく、遅効性の毒は突発的な対処がより遅れる傾向があることを知っているんだろうな。
まぁ、そのお陰で俺も間に合ったんだけどな。
……まさか、こんな情報が役に立つとは思ってもみなかった。
教えてくれたラーラさんはこのことを予期していた……とはさすがに思えないが、ともかく感謝してもしきれない。
再会したら美味しいごはんをご馳走しないといけないな。
「開けた場所は危険よ。
すぐに背後を護らないと」
「必要ない。
ここで迎え撃つ」
きょとんとしているんだろうな、今のルーナは。
だが、そんなことをしてもこちらの行動に制限がかかるし、何よりも向こうが警戒する。
この一見不利としか思えない状況こそが、相手を制するのに効果的なんだ。
ここは"相手の間合い"。
向こうが攻撃しやすい場所から離れる理由のほうがメリットを感じない。
ルーナの気配察知能力だと、対応がワンテンポ遅れるんだろうな。
だからこれほどまで追い詰められたんだ。
たとえ相手が百戦錬磨でこの戦い方が必勝のパターンだとしても、俺には通用しないことを証明してやるよ。
それでも冷静さを保てる相手か、それとも青ざめて慌てるのか、見ものだな。
10秒後、それは現れた。
まずは確実に倒せるルーナを狙うことも想定していたが、それを逆手に取って俺の真上に歪みが出現したようだ。
迫る相手の右手首を左手で掴み、かなり力任せに引き寄せて右こぶしを振る。
多少ポイントはズレたが人中へ右ストレートが入ったな、この感覚は。
腕が伸びきった状態でこれだけの威力を当てれば、呼吸困難になってるはずだ。
そのまま掴んでいる手首を外向きにねじり、力の流れを強引に下へと誘導。
空間から黒いフードの男を引きずり出し、地面へ強烈に叩きつけながら右肩へ踵を叩き込んだ。
不快な感触が伝わるがルーナをこれほどまで追い詰めたんだ、お互い様だろう?
殺す覚悟を持つ暗殺者が、殺される可能性を考えないわけはないからな。
肩を砕いても声を上げない根性はさすがだが、今は大人しく寝てろ。
「"ステータスエフェクトⅣ・レサジー"」
プロの暗殺者がゆっくりとまぶたを閉じたことが衝撃的だったんだろう。
口をぱくぱくさせながら言葉にすらならないルーナへ、軽く話をした。
「昏睡させた。
尋問は後だ」
護衛者たちのほうへ歩みを進め、鋭い威圧を込める。
瞬間的に汗が噴き出し、痙攣するようにがくがくと足を震わせる姿に見苦しさを感じながらも、念のため警告をした。
こうでもしないと逃げ出す可能性がある。
ここまで全力疾走して、結構疲れてるんだ。
あまり手間をかけると手加減できないからな。
「転がってる男のように潰されたくなければ、その場を動くな」
青ざめながら小さく悲鳴を漏らす姿に情けなく思う。
馬鹿男に忠誠を誓っているわけじゃないのも理解してる。
だが、どんな理由があろうと、フラヴィが怖い思いをしていた時に行動すらしなかったからな。
お前らを潰さなくていいメリットがあるなら、ぜひ聞かせてほしいもんだ。
だからこれ以上、俺を煩わせるな。
本気で潰すぞ――。
……強めに威圧が出すぎたか。
泡吹いて失神したやつが出たみたいだ。
どうでもいいか、そんなことは。
俺の知ったことじゃない。
勝手に転がってろ。
廃墟に入り、中央の部屋にいる男と対峙する。
目を丸くしながらもこちらを睨みつける姿に安堵した。
どうやらしっかりと"恐怖"を植えつけられていたみたいだな。
勇ましくも膝が笑う様子は滑稽の一言に尽きるが。
「このゴ――」
単語が発せられる前に水月へ左拳を軽く突き刺す。
男は悶絶するが、これだけ優しくしてやってるんだから感謝しろよ。
だが、俺も怒りが収まらないようだった。
思わず考えていた言葉が口から飛び出した。
「ゴミはお前だ。
"殺戮者"がまともに終われると思うなよ」
だがこれで、ようやくこの男ともオサラバできる。
嬉しさのあまり胸元を掴み上げ、護衛者のいる近くへ放り投げた。
廃墟とはいえ木製の壁をぶち破りながら地面へ転がる姿に笑みがこぼれる。
騎士の装いをしている連中の眼前で止まったようだ。
我ながら中々のコントロールだと感心した。
"人中"
上唇と鼻の間にある窪みのこと。
人体急所のひとつ。