我が身可愛さに
だが、どうやらそれだけで終わる単純な話ではなかった。
大きくため息をつきながら肩を落としたルーナは、呟くように話した。
「……まったく。
クラウディア様を斬って終わらせようとしたアタシ、完全な悪役っすね」
「気にしてないわ。
私も完全に諦めてたもの」
「……"様"って……やはりそうなのか?
それに"グラーフ"って名称から察すると、クラウディアは伯爵令嬢なのか……」
「そうっすよ。
それもヴァーレリー家は隣国でもかなり立派な名家っす。
『ヴェンデルガルトを支える剣となり盾となりその身を賭す』が家訓っすよね」
「ええ。
私も貴族令嬢だろうと戦う術を真剣に教わったの。
その剣は弱き者のために振るい、略奪者から人々を護ることを信条にしてたわ。
だからこそ我が身可愛さに人の命を奪うなんて、私にはできなかった。
……でも」
なんとなく読めてきたが、どうやらその通りのようだ。
しかし、彼女が"奴隷"として流れることになる原因までは分からなかった。
その内容を聞くに、相当な厄介事となっているのは間違いなさそうだな。
「食事に眠り薬を入れられた……と、思う。
気がついたら私は奴隷商人に売れられていたの」
「攫ったやつの顔は見たっすか?」
「意識を保てないほど薬が効いてたから。
"刻印"を刻まれた時の激痛で目を覚ましたの。
意識を失いかけてた私に"両親も売られた"と下卑た笑みを浮かべながら言葉にした男の顔は、今でも鮮明に覚えてるけれど」
凄まじい話になっているが、名に恥じるような生き方をこれまでしてこなかった名門家の貴族ともなれば、攫った人物や共犯者も限られてきそうだな。
ちらりとルーナへ視線を向けると、彼女も同じことを考えていたようだ。
小さく頷き、クラウディアを見ながら言葉にした。
「伯爵様だけじゃなく婦人まで狙ったんだとすれば、犯人を絞れそうっすね。
噂じゃ、その時勤めてた給仕がひとり消えたって聞いたことがあるっす。
それが誰かまではアタシも知らないっすけど、ヴェンデルガルトで調査すれば色々と分かるかもしれないっすね」
「復讐はできないし、するつもりもないわ。
たとえ再会できなくとも、両親が無事でいてくれるならそれでいい。
ふたりに"もしも"のことが起きたとしても、家名に恥じない生き方をしなければならないわ。
……その前に、私をゴミのように扱ってくれた男の顔面に感謝の気持ちを返さなければヴァーレリー家の淑女として恥知らずとなるので清算したいところですが。
私を救ってくださったヴァイス様へのお礼も尽くさねばなりませんし、やりたいことが多すぎて困ってしまいます」
ちりちりと焼けるような鋭い気配を放つクラウディアだが、まずはその格好を何とかしてもらったほうがいいな。
とてもじゃないが、まともな服とは言えないようなひどい布だ。
清潔感もないし、そのままでいられると申し訳ない気持ちになる。
マジックバッグを装った袋から服と靴を取り出し、クラウディアに差し出した。
「とりあえず、これを。
上等なものじゃないが、ローブとブーツだ」
「そんな……これ以上、良くしていただかなくても……。
それにもうお返しできないほどの大恩がありますし……」
「気にしなくていいし、恩を返す必要もない。
俺は俺のできることをしただけだ」
もし俺がエスポワールを所持していなければ、彼女の覚悟を踏みにじっただけじゃなく、命すらも奪うことになっていただろう。
それは、考えうる状況の中でも最悪だ。
希望を持たせて絶望に突き落とすなんて、そういうのも悪党って言うんだと俺は思う。
そうはならなくてよかった。
それだけで俺には十分だ。
目を丸くしてこちらを見るクラウディア。
すぐに表情は和らぎ、潤んだ瞳を向けられて視線を逸らしてしまった。
時々俺は相手の女性が好意的に想ってるなんて勘違いをするんだよな……。
そんな簡単に人の心が動くわけもないし、そんなつもりで助けたんじゃない。
勘違い甚だしい情けない心も、なるべく早めに叩き直したほうがいいだろうな。